パチンと照明を点けた途端、「あっ」と遼が少し素っ頓狂な声を上げる。
「…何だよ、文句以外のことなら受け付けてやる。何か珍しいモンでもあったか?」
「…………いや、…別に、何も」
言いながらも、呆然としていた遼の顔はじわじわと次第に綻んでいく。抑えようと努力しているのだろうが、緩む頬は見た目に明らかだ。
当麻は不思議に思って首を傾げた。部屋を一瞥して驚くのはわかるが、その後の嬉しそうに笑う反応は何なのだろう。意外の一言に尽きる。この部屋では多様な物が床に投げ出されたような形で存在しているが、遼の喜びそうな物が転がっているかというと、決してそうではないと自信を持って言い切れる。
だが、遼に問い掛けてみても、一向に口を開こうとしなかった。言えるのは、遼がとても満足そうだということだけだ。
何がいたくお気に召したのかわからないが、部屋の主自ら『無法地帯』と称したコレを見ても文句がないならそれで良しとするか、と肩を竦め、当麻は開けた引き戸に軽く背を預けた。
遼の視線の先は、正面の壁だった。
パソコンモニタとキーボードの置かれた、作業台と思しき製図用の大きな机。部屋に入って真正面の壁面にくっつける形で配置されている机は壁に向かってど真ん中にあり、椅子に座って顔を上げれば丁度目の前三十センチの位置に、大きなコルクボードが壁に直接接着されていた。色々なメモ書きやら付箋が、そこに留め置かれている。
だが、走り書きされた多数のカラフルな紙切れよりも余程広くボード一面を占めていたのは──遼の送った何枚もの絵ハガキだった。
そのどれにも遼には覚えがある。自分で撮ったポラロイド写真を片面フィルム加工してハガキ仕様に仕上げたものもあれば、デジカメで撮った写真をパソコンで処理して無地のハガキにプリントしたものもあった。南国の色鮮やかな植物、夜の黒い海、岩山に咲く珍しい花──『絵』ハガキと言っても、ハガキサイズの紙に印刷されているのは絵画ではなく写真である。カメラの種類、加工、印刷方法はまちまちだが、規正の品ではなく遼の撮ったものばかりだ。見間違えるわけがない。
ボード上に整然と並べて貼られてはおらず、配置もてんでバラバラだが、遼が当麻に宛てて送った十数枚の全てがおそらくそこにあるのではないだろうか。
一度として当麻は返事を返さなかった。それを気にしてないと遼は言った。だが、自分がそうありたいと願ったから言っただけで、遼の本当の気持ちが全くその通りだったと認めることは、残念ながらできない。
仲間の皆からは何かしら連絡があったりするのに、当麻からは何もなくて、しかも誰かから話を聞き齧る限りではとりわけ自分だけが当麻と関わりが薄いのではないかと思わされた。一度そういう思考が過ぎってしまうと、距離をわざと置かれているかもしれないという疑心が沸いて、どうにも消えてくれなかった。他の仲間達とは揃って会うことがなくても個人的な行き来が互いにあるのに、当麻とだけは何もない。彼とだけ繋がりが完全に断たれてしまうんじゃないかと、遼は不安だった。そうなるのがどうしても嫌で、なしのつぶてであろうとずっと一方的に送り続けたハガキの数々。何の気なく捨て置かれているのかな、なんていじけた気分に陥ったこともしょっちゅうだった。
まさか自分のハガキが当麻にこのように扱われているとは、思いもしなかったから。
だけど、とハガキの一つ一つを見て思う。
無法地帯と本人が呼ぶ、相当散らかっていて一番片づけられないここは、きっと当麻が最も長く時間を過ごす部屋だ。
普段よく使っている部屋の、いつでも目に入るところに遼のハガキを飾っている──それだけで、遼は十分だった。もう他のことは何も気にならない。ハガキの返事は今まで同様なくても構わないし、単に写真が気に入ったから壁に飾ってくれていただけとしても、それならそれでいいと思えた。
「あー、あのな遼。見たいと言うから見せたが、相当散らかってるのは俺もよくわかってる」
突然聞こえた当麻の声に、遼はハッとした。
真っ先に視界に飛び込んできたのは自分のハガキで、だから他は特に何も、遼には見えていなかった。一応認識はしていたが、ただ視界の端は乱雑な気がした、その程度のものだった。
言われて改めて見渡すと、確かにこれはかなり酷い惨状である。どうしてまずこの有り様に目が行かなかったのかと、自分で訝しむ程だった。
リビングと同等の広さがありそうなのに、所狭しと床に散在する本と積み上げられた本の山、バラバラに散蒔かれた書類。紙類以外に放り出されているのは、隙間を埋めるように脱ぎ散らかされたジャケット等の衣類と、数種類に及ぶバランス栄養食の箱。他にも何か転がっていそうだが、とにかく障害物がありすぎて、部屋の中を真っ直ぐ歩行することはできない。
左右の壁に設置されている本棚はぎゅうぎゅうに本が詰まっており、ごっそり抜かれた形跡はなかった。床に幾つもの高い山を築いているのは、棚に入りきらない本なのだろう。
簡易ベッドの上だけが聖域のように、雑多な物が一切置かれていない。だが、そこに辿り着くにはやはり幾つもの障害を越えねばならない。
ここは一体何部屋だ、とこれだけは当麻に問うてみたい。不潔感がないのは救いだが、空き巣に入られた後のようだ。
「最初に無法地帯と言っただろう。だが、この部屋以外は一応それなりに片づいてはいるんだ。だから──」
リビングに通した時とは反対に、長い沈黙を保っていた遼の様子をどう見立てたのか、遼にしてみればかなり的外れな言い訳を、当麻はばつの悪い顔で延々と続ける。
遼は、焦って必死に言葉を尽くす当麻を振り仰ぎ、じぃっと見つめた。
遼が何に気を取られていたのか全く気付いていない当麻は、遼が今どんな気持ちでいるかも当然わかっていない。思えば現役鎧戦士だった頃も、この智将殿はいつもは聡い癖に時々どこか抜けていたっけな、と遼の脳裏で昔と今が重なった。
「……な、んだよ」
強い視線に晒されて顎を引く当麻に、遼は綺麗に破顔した。
「ありがとな、当麻」
不意を突いて向けられた、力強くも至極嬉しそうな満面の笑みに、目を丸くした当麻は何に対する礼なんだという質問を投げるタイミングを完全に逸した。
.....続く
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