「…もーまだ笑ってるよ……」
俺そんなに変な顔をしたのかな、とがっくり項垂れる遼は恥ずかしそうにぼやいた。大っぴらに笑わないまでも時折思い出しては肩を震わせる当麻を横目に睨み、エレベータを降りてもまだ文句を言って口を尖らせている。
こういうところは全然変わらないな、と当麻はやや膨れっ面の遼を見て、少々不謹慎ながらも嬉しくなった。
先程みたいにくるくる変わる表情をいつも見せてくれるものだから、ついからかったりしてみたくなるのだと、遼は気付いているだろうか。昔から当麻にも伸にも、そして秀にでさえ、反応が面白いからと時々遊ばれていた。間違ってうっかり加減をし損ねてやりすぎると本気でいじけてしまい、そんな遼を宥めるのに四苦八苦したこともあった。大概当麻がその宥め役に抜擢されていたが、それもまた懐かしい思い出の一つだ。
「感心してるんだよ、遼は表情が豊かだなぁと」
当麻は何のフォローにもならない台詞を吐いて、緩む口元をそれとなく手で隠した。笑っていることはもうとっくに遼にバレているが、ここは隠しているという体裁を繕っておくべきなのだ。ポーズも見せないとなれば更に遼は拗ねるだろうから。
だが、拗ねる表情や素振りは年月を経ても大差ないのに、昔のように子供じみた幼さは感じられなかった。
伏せられた瞼、瞳に影を作る長い睫毛。そこまでは一緒でも、シャープになった頬のライン、鍛えられた二の腕や胸板──仕草は以前と変わらなくても体躯は成長し、顔の造作も大人びた。そのせいか、それとも彼の内面から滲み出る穏やかな雰囲気がそうさせるのか、ちょっとした拍子に遼に目を奪われる。
無骨なようでいてしなやか、きつく見えるのに柔和、そんなアンバランスな感じが遼の動作一つ一つに色気を漂わせているんじゃないだろうかと、ぼんやり推測する。
当麻も身体が鈍らないようトレーニングは続けているが、基本的に長身且つ痩せ型で、表情も変化に乏しいから雰囲気的に硬質、ともすれば人工的で怜悧な印象しか与えない。その上、光に翳せば明らかに蒼みを帯びている瞳や髪、とくれば、尚更冷ややかさが強調される。
見てくれなど比べるものじゃないとはいえ、何となく男として負けた気がする。
「当麻、どうしたんだ?」
遼に声を掛けられて初めて彼を凝視していた自分に気付き、当麻はやっと我に返った。
「──ああ、お前モテそうだなと思って」
「…なぁに言ってるんだか。もう俺当麻の言うことなんか真に受けないからな。どーせこういうガキっぽいとこが女の人にウケるんじゃないか、とか言いたいんだろ」
当麻が思ったことをつい滑らせたら、ふてくされた遼から表情そのままのひねくれた台詞が返ってくる。
ガキっぽいっていう自覚はあるのか、と当麻はまた笑いがこみ上げてきて、口元を必死で引き締めた。それから、別にそういう意味で言ったのではないけれど、自分の台詞は否定しないでおいた。
確かに遼の言うように、こういうので母性本能が擽られるパターンも大いにありそうだと思ったのだ。
「ま、とりあえず、ここが俺ん家。期待はするなよ? 今ならまあ、そこそこ片づいてる…と思う」
はっきりしない台詞とともに慣れた動作で鍵を開け、その手で「どうぞ」と中へ誘う。早速遼は当麻の後ろについて、家の中へと足を踏み入れた。
短い廊下をゆっくり歩き、脇の両側の壁に扉が幾つかあるのを見つけたがそこは素通りし、正面の扉へ向けて歩を進める。
元々開け放されていた先にあった部屋は、リビングだった。おそらくはリビングダイニングキッチンに相当すると思われる部屋だ。四脚とセットになったテーブルが、部屋の中央に置かれていた。その上には積み上げられた厚い本の山が一つあり、更に雑誌か何かが数冊広げっぱなしになっていて、何だかあまりダイニングっぽく見えない。テーブルの向こう側には、テレビとDVDレコーダーらしき電化製品が専用の台に設置され、コードが綺麗に束ねられて渦を巻いている。部屋の左を見れば、充実したシステムキッチンがモデルルームかのような磨かれた美しさを保ったまま収まっていた。
「へえ…随分広いな。それに、なんか部分的にすっごく綺麗なんだけど……。当麻、確かずっと同じとこに住んでたよな?」
「こっちに出てきてから引っ越した覚えはないな」
淡々と言ってのける当麻に、とてもそうは思えない、と遼はキッチンに近付いてケラケラ笑った。
「お前、ホンットーに全っ然自炊してないだろ。長年住んでてキッチンがこんなに綺麗だなんて、絶対あり得ない! まるでハウスクリーニング直後みたいじゃないか。もったいないな〜俺こんな立派なキッチンあったら絶対毎日使ってるって」
羨ましそうにガスコンロや大きなシンク、天井まで届く収納棚をじっくり眺めている。
そういえば遼は案外自炊する方だったか、と昔聞いた話を思い出した当麻は、家政夫になるならここに置いてやってもいいぞ、と軽口を叩く。
それもいいかも、と半ば本気で呟いて物珍しそうに辺りを見回していた遼は、リビングから続くもう一つの部屋を見つけた。
半分以上開いたガラスの引き戸の奧は、暗くて良く見えないが、本やパソコンらしきものが置いてあるようだ。
「当麻。もしかしてあの部屋が仕事場? ちょっと見てみてもいい?」
一応、今は在宅で色々な仕事をしている、と当麻は遼に、細かいことは端折って大まかに説明していた。
仕事だけではなく、パソコンを使うことは全てその部屋で行っていて、自分の家の中でも一番長く当麻が過ごすのが其処だ。むしろプライベートルームに近い用途だから、仕事場かと問われると素直に首肯し難いのだが、間違いではなかった。
「…あー…そこはその、今は、いわゆる無法地帯だ。それでも文句をつけないと言うのなら、いいけど。あるのはパソコンと本と簡易ベッドだけだぞ」
それ以外は何もないから、と遼の関心が薄れるよう祈って補足説明をつけ加えたが、早くも仮称仕事部屋の入り口付近で急かすように浮き浮きと待ち構えている遼を見て、肩を落とした当麻は重い足取りで渋々促した。
.....続く
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