後熟の果実-2- 

2007.6.28.up


 適当に注文したところで、自然と二人の視線が絡んだ。
 互いの顔を見て、自分と同じ表情だなと思う。時間が経ちすぎて、聞きたいことも言いたいことも沢山ある。だから、何を最初に口にすればいいかと考えあぐね、結局言葉が出ない。
 お互いがそう思っていることまで伝わってきて、微妙な空気が暫し流れる。
 次第に黙って見つめ合っている自分達がおかしくて、視線を絡ませたまま同時に噴き出した。
「…っはは! 遼、おま、何て顔してんだよ」
「それは俺の台詞! そんな神妙な面、当麻には似合わないって」
 一頻り笑って、遼は改めて当麻を見、目に掛かる前髪を乱雑に掻き上げた。
「あ〜もうほんっと何年振りだろ。俺、全然会えてなかったもんな、特に当麻とは」
 懐かしさを滲ませて弾んだ声で言い、「なあ当麻?」とズイと前のめりにした上体を当麻の方に傾けてくる。程近い距離で、遼が意地の悪い目つきで上目遣い気味に流し見る。
 久々に接する仲間のちょっとしたドアップに一瞬当麻の心臓が跳ね上がったが、その額を艶やかな黒い前髪ごとやんわり後方に押して「うるさいぞ」と退かし、蒼い目を眇めて抗議する。
「それをお前が言うか? どこほっつき歩いてるかわからなくて全然掴まらないのは、俺達の中でお前が筆頭なんだからな、遼」
「えー、でも俺はその代わり、ちゃんとハガキとかで近況書いて送ってるぞ。第一当麻に限って言えば、俺が当麻と会えてないのは、面倒臭がりの当麻が不精して何の返事もくれないからじゃないか」
 この点に関しちゃ絶対俺の方に分がある、と堂々言い切る遼に、当麻は反論できず低く唸った。
 不精、は認める。ハガキも届いていた。フリーのカメラマンというのは依頼次第で全国津々浦々飛び回ることが当たり前なのか、いつも消印が違っていて、けれど短く書かれる近況に、元気でやってるんだなと遼の頑張る姿を頭に思い描いていた。
 だが、返信したことはない。遼の住所は以前から変わってないらしく、消印の違うハガキに記載された差出人住所はいつも同じだったが、元来筆無精の当麻は返事を書こうにも書くべき内容が思いつかず、また返事を遼が期待しているとも思わなくて、ただ送られてくるハガキを見て満足していた。返事をしないままでも便りが途切れないことに毎回安堵の息を吐いていたのが実状だが、だからといって返信した試しはなかった。
 運ばれてきたグラスに口を付けながら、遼は続ける。
「それに。この何年かの間で電話やメールを一切俺にくれなかったのって、当麻だけだ」
「え」
 ぐーっとグラスをあおり、半分程飲んだところで遼はふぅっと息を吐き、膨れた顔でじろりと当麻を睨んだ。
「っとに冷たい奴だよな。俺、毎回ハガキに書いてなかった? 『どうしてる?』とか『近況教えてくれ』って。何年も返事なくてぶっちゃけ届いてるのかもわかんなかったけど、宛先不明で返ってくることもなかったから、意地で送り続けてた」
 さあ、何か言い訳できるものなら言ってみろ。
  どーんと構えた遼に態度でそう言われた当麻は、ひきつった笑いを浮かべて忙しく頭を巡らせた。
 電話やメールに関しては、当麻から連絡できなかったちゃんとした理由がある。
 単純なことだ。住所以外の遼の連絡先を知らなかった。
 だが、そんなことはとてもじゃないが遼に言えない。うっかり口に出そうものなら、何で聞かなかったんだと遼は憤慨気味に詰問するだろう。そこで聞けなかったと言えば、何故だと理由を訊いてくるに決まっている。しかしその問いに当麻は答えたくなかった。小さな事に拘っていただけだったのだと自分でもよくわかっていたから、尚更答えたくない。だから、聞けなかったとも、知らなかったのだとも言えない。
 実際、住所だけはわかっているのだから、ハガキの返事は確かにいつでも出せた。
 ちら、と遼を見る限り、早々納得してくれそうにはない様子だ。
 常日頃難問奇問を解くのにはちっとも困らない頭脳は、こんな時に限って全くの役立たずで、この状況を上手く切り抜けられる適切な言葉が導き出せない。どうでもいい相手なら二枚目の舌で煙に巻くところだが、旧知の朋友ともなればそんなわけにはいかない。
 あー、だのうー、だのと呻いているだけの当麻をひととき眺めた遼は、たまらずプッと噴き出した。
「っく、あっははは、何だよその変な顔」
 遠慮なく声を立てて笑う遼に、当麻はお前のせいだろうがとムスッとして斜睨む。だが、言い訳できないバツの悪さが手伝って、睨む目に力は入らない。暫く笑いが収まるまで、遼の顔を黙って見ているしかなかった。
 目尻に溜まった涙を指で拭い、遼はそれが区切りであるかのようにハア、と一つ息を吐いた。
「いいよ別に。気にしてないから。それに、今回初めて当麻から連絡くれたからチャラってことで」
 ──でも、できたらあと一つ、お願いきいてくれないかなあ。
 それはもうにこやかに、且つ声音に甘みを加味して遼にねだられ、当麻は何でもどうぞ、と仕方ない風をわざとらしく演出しながら、笑って促した。
 些細なことに拘って連絡を怠った自分に非がないとは、当麻も流石に思わない。だからこの場合、遼に多少我侭を言われた方がむしろ気は楽だ。それに、遼の我侭ならば言われ慣れている。サムライトルーパーだった当時、遼の我侭を最も被っていたのは他ならぬ自分だった、という自負もある。あの頃はさんざん振り回されて苦労したよな、としみじみ思うのに、総合的には楽しかったという感想しか残っていないのが自分でもおかしかった。
 じゃあ、とキラリと瞳を輝かせた遼のお願いは、当麻にとって何ら負担となるものではなくて、ただ意外で驚いたけれど、お安いご用だと首を縦に振る。
 その後は今度こそ近況をということで「どうしてた?」を第一声に、仕事のことから日常に至るまで、当麻は遼の質問攻めにあうことになった。
 勿論同じだけの質問を当麻が遼に浴びせたことは、言うまでもない。
 
 
 
 
 話しながら二人合わせて両手両足でも足りないくらいにグラスを空け、時計を見れば結構な時間になっていた。
 日付を超えて一時間強。明日の予定を考えると、今が次の行動に移るのに丁度良い頃合だろう。
「遼、そろそろ──」
「ん、わかった。あー楽しみだな〜」
 ねだられた遼のお願い。それは、羽柴当麻のお宅訪問である。
 顔が少々赤く染まっているだけで正気はしっかり保っている遼は、ますます上機嫌になって顔を更に緩ませた。鼻歌まで歌いそうな様子に、当麻は呆れ顔になった。
「…言っておくが、面白くも何ともないぞ」
 当麻の所が一般的な部屋と異なるのは、専門書を中心に本が多いこと。コンピュータ関係が充実していること。目立つのはそれだけで、他には何の特徴もないと当麻は思う。少なくとも遼が楽しめる場所じゃないことだけは断言できる。のだが。
「わっかんないかなぁ。”当麻が、今、住んでる”って所に、俺は行ってみたいんだよ」
 一つ一つを強調して、それはもう心から楽しそうに遼は笑う。曇りのない笑顔は、酒で赤らんでいても人の目を惹きつける。何だかなあと苦笑を漏らしつつも、当麻はこれ以上水を差すのはやめておくことにした。
 訊ねられていないので何の説明もしていないが、ここから当麻の住むマンションまでの距離は僅か数百メートルだ。歩いて数分という所で、借りている部屋にしたってもったいぶるようなシロモノでもない。
 会計を済ませ、酒に火照った頬を涼しい夜風で冷やしながら、振り向いた遼が今気付いた、という顔を見せた。
「なあ、当麻」
「ん?」
「そういえば、当麻ん家ってどの辺? こっちって駅方面じゃないよな。タクシー拾うんだったら、ここ結構辺鄙なところみたいだし、店で呼んで貰った方が良かったんじゃ……」
 当麻の住む家は近くではないだろうという予想を、遼は立てているらしい。
 だとしたら至極真っ当なコメントだがな、と考えつつ、当麻は「もう少し先に行けば──」と後半の言葉を一旦途切れさせた。
「着いた。ここだ」
「……は?」
 何もない。大通りもタクシーも。
 閑静な住宅街。目の前にはマンション。それだけだ。
「当麻? ここ、って…何、え、まさか…」
「そ。俺ん家。ここの八階」
 夜風に当たって気持ちいいなと思った矢先だ。せいぜい五分程度、歩いたくらいである。
 声もなく、目玉が転がり落ちそうな程目を大きく開ける遼に、当麻はくっくと喉奧で笑った。



.....続く     

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