──当麻はあまりに軽んじてやしないか? 自分のことを。そして仲間の──俺の思いを。
気持ちのままに動く遼の腕は迷わず当麻の胸倉を掴み、当麻をぐっと己の方へ引き寄せた。
「……ふざけるなよ当麻」
「ふざけてない。……俺が独断で動いたのは事実だ。お前がそのことで俺を守れなかったなどと悔いる必要はないんだ」
「そんなこと言うな。何でわからないんだ? 俺は、お前が…当麻が大事なんだ。『天空』じゃない。俺にとっては……当麻が、大切で……だから守れなかった自分の不甲斐なさに、後悔してばかりいるのに」
滲む涙を目一杯その目に湛えた遼の告白に、当麻は息をのんだ。思わず抵抗を忘れる。
焦点がギリギリ合う中、一度の瞬きで濡れて煌めく黒曜石が当麻の瞳を絡め取った。
「当麻がそんなに柔じゃないのはわかってる…けど、傷つく姿を見るのも、喪うかもしれない恐怖に怯えるのも…嫌なんだ。ずっと、俺はそう思ってた。だから、もっと自分のことを考えて…無理はしないって…──そう言ってくれよ……当麻」
これはただの遼の我侭だ──と思いたくても、遼の真摯な表情がそうさせてくれない。
見つめてくる真剣な漆黒の瞳と希う声の震えが、当麻の動きを縛る。
「……お前は…征士達にもそんなことを約束させたのか」
当麻の頭の中で警鐘が鳴る。
知らず知らず遼を自分の懐に入れていた、自分。真正面からぶつかってくる瞳を見て過去に感じたのは──恐怖だ。無意識のうちに彼を身近に置いていた事実は、裏を返せば己の彼に対する執着を表している。遼は穢れを祓う炎、慈愛の仁そのものだ。深入りは当麻自身を追い詰める。そんな予感がある。だからこそ、彼とは一定の間隔を保っている方が望ましい。遼を避けていたのは何も諍いをなくすためだけではない。なのに──
「当麻だけだよ。一番無理するのは当麻だろ。だから……」
計算を台なしにするのは、当の遼だ。当麻が折角設けたその距離をゼロにする。
当麻の胸元を引っ張り上げていた遼の手は、いつしか力が緩み、頼りなく服を掴んで縋るような形になっていた。戦いの時には前を行く力強い背中しか見なかった気がするのに、今の遼はこんなに近くにいる。そして──脆く映る。本当は決して脆くはない彼の本質を熟知している筈が、そんな様子を見せられると強く出られない自分に、当麻は溜息しか出なかった。
「──……条件付きだ。遼がそうすると言うのなら、俺も…努力してみてもいい」
「本当に…? 絶対だな?」
初めて承諾を得られ、ぱあっと喜色に目を輝かせた遼は、当麻の顔を覗き込んだ。
不器用にもたった一つのことにしか心を砕かないひたむきな遼の姿は、当麻の中の恐怖を忘れさせ、悪戯心を芽生えさせる。魔が差したとでも言おうか──ただそうしてみたくて、当麻は遼の方へ体をほんの僅か傾けた。
「約束の、証だ」
ほんの一瞬、ちょんと触れ合わせた、唇と唇。それは温もりも感じない程度に掠めただけの、他愛ない子供じみたおふざけだ。
すると、嬉しげだった遼が、その一瞬で両目を見開いて固まった。
冗談だと言う前にこの後は怒るに違いないと、表情の変化を眺めながら当麻は考えていた。
しかしその予想は、今まで見たことのない遼の顔つきに見事に裏切られた。長い睫毛に縁取られた大きな目はいつだって感情を素直に曝け出しているのに、当麻を映す瞳の中に読み取れないものが入り混じる。そして、口元に微かに浮かぶ笑みには艶があった。
そんな遼の表情など拝んだことのない当麻は、目が離せなかった。
「……うん、約束」
言うなり、当麻の呼吸を、遼が奪った。
頬を両手でそっと固定された当麻は、しっとりと押し付けられる柔らかな唇と寄り添ってくる暖かな体から、直に他人を感じた。触れている箇所の感覚だけで満たされ、そこから全てが麻痺していく。
全くの想定外である遼の行動に、当麻の頭の中は真っ白になった。
当麻がこれを証というならそうしよう、と思った遼が当麻の悪戯を逆手に取ったなどとは、知る由もなかった。
.....続く
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