居間ではナスティと伸、征士、秀が寄り集まって書庫にいるだろう二人を案じていた。
「遅いわね……。もしかして、あの子達を向かい合わせるのは時期尚早だったのかしら」
ふう、と悩ましげな溜息をナスティが吐く。しかし、ギスギスした遼と当麻の関係を改善したかった。いつまでもあんな状態だと、見ている側も悲しい。
「いや、喧嘩ばっかりだったってことを差し引いたら、これくらいの時間は必要なんじゃないかな」
まあ大丈夫でしょ、という伸の姿勢は最初から変わっていない。
「また大喧嘩ということになっていなければいいのだがな」
「うげ、もしそうならセッティングした俺の責任も重大? ……ちょっと様子見に行ってこよっかなあ」
浮足立ってさっさと腰を上げそうな秀は、単に野次馬根性を見せているだけであろう。
「ダメよ秀。これは二人の問題なんだから。解決できないようだったらアドバイスしてあげるのは勿論構わないけれど」
泣きつかれるまでは手出し無用です、との年長者の意見に、伸も征士も賛成の意を表明した。
「そうだよ、元々は仲悪いワケじゃないんだから。どっちも頑固なだけで」
「当麻とて遼に懐かれるのに悪い気はしなかったようだしな」
「へえ、流石同室。見てないようで見てるんだねぇ、征士」
「……伸、それは褒め言葉と受け取らせて貰うぞ」
「どうぞどうぞ、ご自由に」
にこにこ。と不必要なくらいの笑顔でサービスする伸を、征士は澄ました顔で受け流す。
彼らを横目に、秀とナスティは微妙な笑顔を浮かべて目を交わし合った。
と、その時、カチャリとドアノブを捻る音がした。
「あれっ。みんな、揃って何話してるんだ? もしかして夕食? もうそんな時間だっけ」
扉を開けたのは遼だった。
明るい笑顔と朗らかな雰囲気に、皆一様に安堵した。目元が少し赤いけれど──うまく話し合えたのではなかろうか、と遼に気付かれないよう互いに目配せをする。
「ええ、下準備はもう終わってるの。そういえばそろそろ夕飯時よね」
「あ〜言われたら急に腹が減ってきたなあ」
途端に反応するのは、ここにいる面子で最も大食漢の秀である。そして、秀に匹敵するほどに大食いなもう一人は、この居間に唯一いない当麻なのであるが──
「遼、当麻はまだ書庫なのかい? 一緒に来てないようだけど」
伸が遼に訊ねてみると、遼はうん、と頷いた。
「えっと、まだもう少し、あそこにいるって。だから俺だけ戻ってきたんだ」
不自然ではない理由だがどもりがちな様子に、少し引っかかった伸はあまり納得してなさそうな表情でふぅんと呟いた。
そこに征士が問い掛ける。
「当麻とは話し合えたのだな?」
「ああ──うん、話せた、と思う。今まで言えなかったことも、俺は…言えたし。当麻の方は…わからないけど」
照れたように笑う遼からは、少なくともこれまでの鬱屈が消え失せていた。これは秀の策が効を奏したのだな、と征士は一安心する。
「あっ、じゃ当麻呼んだ方が良いよな。俺が──」
呼んでくる、と秀が言い終える前に、遼が遮った。
「秀、俺が行くよ」
おや、と秀は片眉を上げた。つい今し方まで当麻といた遼が、ここに戻ってきたばかりなのにそう主張するとは思わなかったのだ。
「そっか?」
「ああ、行ってくる」
目映いばかりの笑顔で頬を上気させてそう言われては、よろしく、と見送るしかない。
扉が閉まると同時に、感嘆の呟きが秀の口から零れた。
「ひっさびさに上機嫌だなー、遼」
「二人とも話の途中で短気を起こさなかったみたいだね。にしても、わかりやすくて可愛いなあ、遼」
「そうね。何だか逆に、当麻の様子が想像つかないんだけど」
くすくすと笑うナスティに、征士も同意した。
「…遼がああだと、困る当麻の顔しか思い浮かばんのだが」
「あははは、そりゃいいや、当分困っちゃえ」
当麻には何故か少々手厳しい伸に、秀が問い掛けの目を向けると、顎をつんと反らした彼はこう答えた。
「僕は素直な子には優しいの。大体ね、遼は当麻に甘いんだから、僕が当麻にちょっと厳しいくらいで丁度バランスが取れるの」
「当麻が遼に甘い、の間違いじゃねえ?」
「まあまあ。あの子達が仲直りしたんなら、それでいいじゃない」
万事解決したところで夕食よ、とナスティがまとめると、彼らはそれに続いて各々手伝いに取り掛かった。
万事、とまではいかないかもしれないが、解決に至ったという見解は皆共通のもので、安堵した彼らの顔は晴れやかだった。
急ぎ足で書庫に辿り着いた遼は、扉の前でピタリと足を止めた。
扉の向こうには、当たり前だが当麻がいる。呼ぶべきなのだが、先程のことを思い浮かべるとなかなか声が出せない。
「……そこで何をやってる」
「うわあっ」
直ぐ傍で声を掛けられてビクッと体を震わせた遼が、声の主を振り返る。
「と…当麻…いたのか……。あ、あの、俺、当麻を呼びに来たんだ」
「知ってる。夕食だろ? 居間に行ったら秀がそう言ってた」
──居間に、行った?
遼は首を傾げた。自分とは顔を合わせなかったから、どこかで行き違ったことは理解した。
だが、これから夕食だとわかっているにも関わらず、当麻は書庫に戻ってきたのだろうか。ここに急ぎの用なんてなさそうのに──とそこまで考えて、自分がここにいる意味を思い出した。
「もしかして…俺のこと、呼び戻しに来てくれた?」
そんな些細なことが嬉しくて、自然と顔が綻んでしまう。しかし当麻は素気ない。
「さっさと行くぞ」
「えっ? 待てよ、当麻」
宣言通りさっさと背を向けたくせに、追おうと走り掛けた遼を当麻が斜睨む。
「走るな馬鹿」
「あ。……つい」
そんな怒った顔しなくても、と口を尖らせ、遼は偉そうに腕を組む当麻の傍までてくてく歩く。それを確認して満足げに頷いた当麻を遼がじっと見つめると、彼は目で何用だと問い掛けてくる。
普段と変わらない当麻の態度に、遼は訊きたいことがあったけれど飲み込むことにした。
「ん、いや、何でもない。──行こっか」
ふわりと微笑む遼に、当麻はホッと肩の力を抜いた。
気になっていることは、きっと同じだ。──あんな約束の仕方があるだろうかと、今更思っている。抗わなかった、嫌ではなかった、だからその感触を追うことに意識を集中した──そんな数秒が確かにあったと、次に間近で目が合った時に気付いた。何故そうなったのか、どう思ったのか、気にならないと言えば嘘だ。しかし、何も敢えて今問うべきことでもない。
こうして肩を並べて言葉を交わしながら歩くことができるなら、その方が断然良い。今までとは別の意味で相手を意識することに違いはなくても。
だからあの約束は胸にしまいこみ、二人は普段通りの自分を心掛けながら、並んで皆のいる居間へと向かった。
終
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