青嵐-7- 

2007.6.7.up

 
 目でさっさと話せと当麻に促され、行き当たりばったりで当麻と向き合うことを余儀なくされた遼は、躊躇いがちに口を開いた。
 もう目の前に当麻がいるのだ。意外に短気なところのある彼は、遼がさっさと言わなければそのことに対して怒るだろう。
「一つは、当麻に謝ろうと思って。…今日のことで」
 無機質な深い蒼の眼差しが、真っ直ぐ遼に向けられた。だが、そこに当麻の気持ちは見えない。
「…俺が意地張って、当麻の言うこと素直に聞けなかったから……。無理して体また壊したらいけないからって、当麻は俺のこと心配してああ言ってく──」
「ストップ。わかった」
 被せるように言われ、無理矢理中断させられた遼の台詞は宙に浮いた。
「そのことはわかったからもういい。で、他には?」
 遼が言いにくい状況の中、折角頑張って勇気を出したというのに、いきなりこれだ。既に、当麻は顔を背けてこちらを見向きもしない。
 当麻の身勝手過ぎる態度に、遼の怒りは簡単にリミットを超えた。
「何なんだよその態度! お前がそんなんじゃ俺が何言っても全然意味ない。こっち見てちゃんと聞けよっ」
「ちゃんと聞いてる。わかったと言っただろう」
「わかってない! …いいよ聞かないなら何度だって言ってやる」
「もういいっつってんだろこの馬鹿」
 最悪な奴だなと続けられ、馬鹿とか最悪って何だよ、とムッとした遼が睨んだ先の当麻はというと、俯いて片手で顔を覆っていた。
 片手では覆い隠せない色白の頬や耳は、仄かに赤い。偶に見せるその表情は、遼にも見覚えがあった。
「当麻…?」
「言うな」
 長い前髪の向こうからじろりと睨みを効かされても、照れ隠しとわかっているだけに迫力はない。決まり悪そうな赤い顔を隠し切れてないところが普段大人びた彼にしては歳相応に可愛く見えるのだが、怒るのは目に見えているためそれを言うのは憚られた。
「他に話すことがないならもう行けよ」
 先程の冷たい促しように比べて大分柔らかくなった当麻の声に、遼の口元は僅かに綻んだ。
「…あのさ。いつも聞き流されちゃうけど、俺は当麻にちゃんと聞いて貰いたいし、わかってほしいことがある」
 より深い感情を込めた遼の言い方に、当麻は短く息を吐き、軽く目を伏せた。
 口論でさんざん繰り返された遼のしつこい程の台詞のことを指しているのだとわかると、やはり苦笑しか浮かばない。
「無茶をするな。自分を労れ。……ってか? 今の俺は十分それを実行できていると思うがな」
「今だけじゃ足りない。非常時でもだぞ」
 真顔で断定する遼に、当麻は呆れたように肩を竦め、腕を組んだ。
「非常時ならその場その場で適宜対応するのが常道だ」
「…そんな時でもできるだけ自分のことを第一に考えて動いてほしいんだよ。だって、当麻はいつも……捨て身、だったろ」
 最後の一言を聞いた刹那、当麻の顔色が変わった。纏う空気までひんやりと刺々しく変貌する。
「──お前にだけは言われたくない台詞だな。『烈火』」
 殊更低い声が、遼を責める。
 その通りだとナスティに言われて気付かされた遼は、言い返せなかった。
「考えなしのお前が前を突っ走っていた行動はどうなんだ。あまつさえ、最後には阿羅醐と同化した自分を斬れと俺達に言った。そんなお前に……わかるものか。お前を斬った感覚は、今もこの手に残っていつまでも忘れられない……あの瞬間の気持ちも風化することは絶対にないんだ」
 静かな口調で語られるそれは声が掠れていた。向けられる当麻の瞳には、抑えがたい激しい感情が見え隠れする。
 伝わる苦しみが、遼の胸を軋ませた。あの時の遼の咄嗟の行動は目前の敵だけを見据えた反射的なものだったが、結果として仲間に苦痛を齎している。遼はそのことを、今はもう十分理解していたから、余計痛い。
 だが、当麻の方はまだわかっていない。その身を容易く盾として利用するような当麻を見ると、周りの者が苦しむということを。
「お前は何も言わなくていい。俺は事実を述べた、それだけだ」
「……なら、俺にも言わせてくれ。『俺にはわからない』って当麻は言うけど、そんなことない。だって…そうだろ? 忘れたとは言わせないからな──征士達が捕らわれて俺と当麻だけで妖邪界に向かったあの時…お前は何をした? 二人で力を合わせて三人を救おうって誓ったのに、お前は一人で何をやった?」
 気が緩むと潤んでしまう目に力を込めて、遼は当麻に挑むような目つきで見つめる。
 ゆっくり口を開く当麻は腕を組んだまま、淡々としていた。
「あれは作戦の内だ」
「そんなこと…お前は俺に一言も言わなかった。それに作戦にしちゃ無謀すぎる。──俺と一緒にいた筈なのにいつの間にかお前一人が妖邪兵に囲まれて、ボロボロになってて…、捕まったお前はその後見せしめのように逆さ吊りにされて城のどこかに連れ去られた。あんな酷い光景の中で…その場にいてどうすることもできなかった俺の気持ちなんて……あの時の絶望なんて、お前にわからないだろ!? 本当に殺られてたかもしれないんだぞ!!」
 少し吃驚した様子で、当麻は遼を見た。だが、遼の台詞は止まらない。
「あの恐怖が、忘れられない……。当麻を喪ったかと思うと目の前が真っ暗になった…お前一人さえ守れなかったんだ、俺……。そんな俺の力なんてたかが知れてる、だけどお前と誓ったことを破るわけにはいかないと思った…捕まったみんなが本当に無事かどうかなんてわからない、でも当麻がそう言ってたから信じた、でなきゃ俺は一歩も動けなかった!」
 止まらないのは台詞だけではなかった。
「遼……何泣いてんだ……」
 大きな瞳から溢れ出した涙が次から次へと頬を伝う。零れる涙を拭うこともせず、頬はしとどに濡れそぼっている。そんな遼の様子に困った顔をした当麻はその辺に置いてあったタオルを手に、立ち上がって遼へと近付いた。
 強引に顔に押しつけると、遼がタオルをゆっくり手に取る。
「相変わらず泣き虫だな」
「ほっとけ。……そんなことより、当麻、ちゃんと聞いてたのかよ」
 赤くなった目だけタオルから覗かせて遼が睨むと、当麻は大きく嘆息した。
 返事はせず、遼の座るソファの隣に、ドサッと無造作に腰を下ろす。
 一人分空けて横に座る当麻を、遼は腫れた目で窺い見た。隣にいる分距離は近くて、棘のある空気が消えていることにホッとする。だが、当麻の表情からは何も伝わってこない。
 暫くじっとその涼しげな横顔を見ていると、小さな声が返ってきた。
「…聞いてた」
「じゃあ」
 わかってくれたのか、と遼がパッと上体を起こして当麻へと向き直ると、苦い笑みを口元に湛えた彼は髪を掻き上げて目を伏せた。
「……どうやら、俺はとんだ読み違いをしていたな…………。ある程度は想定していたが、まさかお前がそれほどあのことを気に病むとは思わなかった」
 一瞬、何を言われたのかわからなかった遼は、理解した瞬間、唇をきつく噛んだ。
 あれくらい大したことじゃない、とこの智将は言ったのだ。



.....続く     

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