青嵐-2- 

2007.6.7.up

 
 扉を最後に閉じる寸前、元気な彼女にパチンとウインクを送られた三人は顔を見合わせて苦笑した。
 暫くして、同時にクスクスと笑いが零れる。
「かなわねーなぁ、ナスティには」
「ほーんと。トラブってる時にはすごく実感するよ。心強いし、正直助かるね」
「あの調子ならば、遼のことはナスティに任せておけば安心だろう。問題は…」
 真面目な顔で眉を顰める征士が指す先は、伸も秀も十二分にわかっている。
「当麻か? ──俺、あいつは放っておいてもいい気がすんだけど。繊細そうに見えて結構図太いし」
 当麻の昔馴染みである秀は至極あっさりしたものだった。
 当麻は出逢った頃こそ無愛想で己の感情を見せることはあまりなかったものの、行動を共にしているうちに、少しずつ素の感情を垣間見せるようになった。だが、どんなに感情的であったとしても、一人になれば直ぐ冷静さを取り戻す。常に客観的に物事を見る質は幼い頃からのものであり、成長した今もその部分は変わらない。事が起こった時、反省はするが、今後に活かそうという考えからか立ち直りも早い。だからこそ、当麻が智将たりえたと言える。
「でもさ、当麻ってここっていう拘りを人一倍持つ方でしょ。今頃は自己嫌悪に陥ってるんじゃないの、また感情的になったーとか内心頭抱えてそう。いつでもどんな時でも冷静に対処しなきゃって、自分に課してるところあるから。ま、落ち込んでも遼と違って復活するのは早いから、僕らが出張ることはないのかもね」
 二人のやり取りを聞いていた征士は、半分以上頷きつつも、やはり疑問に思うところを言わずにおれなかった。
「確かに、案外神経が太いとは思う…。が、神経質な面も多少あるというか……」
 どうも言葉にしづらいな、と考えながら言ってみると、一瞬目を瞬かせた秀がああそっか、と得心した顔で呟いた。
「征士は当麻と同室だっけな。なんか気付いたことでもあんの?」
「いや……言う程のことではないのだろうが、気が立っているような感じではある、な……。しかも日を追う毎に酷くなっているんじゃないかと、そんなふうなんだが……」
「そりゃそうなって当然じゃないの? 今日みたいな派手なのは久々だけど、大なり小なりしょっちゅう誰かさんと口喧嘩してたら流石に心穏やかじゃいられないよ」
 何故そこに疑問を抱くのか、と不思議そうな伸に、征士は更に続けた。
「そうではなく。私達は当事者じゃないからわかっていることを、当事者の当麻はわかっていないかもしれないな、と」
「何を?」
「遼が頑なで喧嘩腰になりがちなのは主に当麻に対してだけだが、それを、当麻がどう受け止めているのかということだ。…もしかしたら」
 ──嫌われていると思い込んでいるのではないか。
 そう思えなくもない自嘲を当麻が零していたことも、思えば幾度かあったのだ。瞬きした次の瞬間には跡形もなかったけれど。
 征士がそう言った直後のレスポンスは、思いの外、早かった。
「え。だって相手は遼だよ? 『仁』だよ? あり得ないよ? もしそんな思い込みしてたとしたら相当馬鹿?」
「あー馬鹿だな。いや元々どこかボケてるってあいつ。IQ250の頭は実は飾り?」
 テンポ良く紡がれる心ない言葉は、熱い友情の裏返しだと思いたい。
「……だから言っているだろう、当事者にはわかりづらいのではないかと。それにこれは私の勝手な推測に過ぎん。当麻がそう感じている可能性はあると、私が勝手に想像しただけだ」
 大いに溜息が混じってしまったのはやむを得ないことだろう。だが、二人の言い分に同調したい気持ちもある征士は、そこは否定せず、ただ同室の仲間のことを案じた。
「うーん、端から見ればシンプルな構図なんだけどねぇ」
「そうそう。結局の所、遼はあれだろ。自分を大事にしなかった当麻が気に食わない」
「だよね。で、当麻は、自分の体調をイマイチ把握できてない遼が心配なだけ」
「正面からぶつかるに決まってるよなあ、全く同じなんだから」
「性格は正反対なのに言ってること同じなのが面白いんだよね〜あの二人」
 だんだん人の悪い笑みを浮かべ始めた伸を、征士が窘めた。
「…面白がっている場合か。もしも誤解があるなら解いてやろうとは思わんのか」
「あ、それ俺やる!」
 いち早く挙手して颯爽と腰を上げたのは秀だった。
 悩み事の相談役として秀は適切なのか、いやこれは面白がっているだけなのではないか、と征士が訝しむも、行ってくるーと爽やかに手を振って、秀は当麻がいるであろう屋敷内の書庫へと走っていった。
「…………行ってしまったな…確証も何もないんだが」
 呆然として呟いた征士に、伸があっさり言う。
「いいんじゃない? 普通に喧嘩の仲裁役としても適役だよ」
「そうか?」
「話してるうちに気が抜けること請け合いだね。それに秀は当麻の扱い方を心得てると思うから、心配要らない」
 伸にそう言われれば、そんな気もしてくる。自分や伸が行って話すよりは、秀の方が喧嘩直後の当麻の気分を逆撫でしなくて済みそうだ。
「そうだな」
 フッと微笑んで安堵の息を漏らす。
 軽く笑い返した伸は、先程の遼と当麻の言い合いを思い出していた。
 単なる罵倒に聞こえかねない台詞の数々は、意地の張り合いだ。そしてそれが止んだかと思うと、また少し異なる空気が流れた。そのきっかけは遼の言葉。違和を感じたといえば、後に続いた当麻の言動と遼の表情。
 単純に回数を重ねただけだと思っていた口喧嘩だが、考えてみれば、以前は二人が意思を曲げないで膨れっ面を引っ提げて終わるのが常だった。だが今は憤然としているだけではない。思い浮かぶのは遼の傷ついた表情。それから、当麻の無表情。
「──征士の懸念してること、少しは当たってるのかも」
 沈黙の後、伸は改まって征士に告げた。
 振り向いた征士と伸の目がかち合う。
「今思った。思い過ごしだといいけど、さっき『俺はもう知らない』って言った時の当麻は、ちょっと辛そうだったかな」
「…そうか」
 沈鬱な顔をした征士に、伸は苦笑した。
「そんな顔しなくても大丈夫だって」
「……どんなに私達が茶化して言っても、実際あれは、遼も当麻も真剣だぞ?」
「わかってるよ。もし普通の友達があんな喧嘩してたら、流石に僕だって即座に止めてる。だけど、僕らの絆は特別製だろう? 一時でも命を預けた仲間なんだ、あれくらい何てことないさ。気の済むまでやってればいい。そんなに難しく考えなくてもいいと思うよ」
「…伸は随分と余裕なんだな」
 言葉少なだが嫌味でなく心からの感嘆を述べる征士に、伸は穏やかにゆったり笑った。
「当然。僕を誰だと思ってるの? 『信』の心を司る水滸だよ? …多少行き違いがあっても仕方ない、あんなに性格の異なる二人なんだから。でも征士、さっきの怒鳴り合いの言葉をよ〜く思い出してみな? お互い大事な仲間だと思ってるからこその痴話喧嘩に過ぎないんだよ、あれって」
 そんなものだろうか、と征士は考えてみた。
 深く考えずとも答えは出た。──成る程、とそれはもう簡単に頷けた。
 痴話喧嘩、とは言い得て妙なものだ。確かにそう表してもおかしくはない。
 彼らは、相手に自分をもっと大事にして貰いたいと訴えているだけなのだ。
 最初は二人が声を荒らげれば直ぐに割って入り、中断させていた。火は早めに消すものと相場が決まっている。どのみち諍いは良い結果を生み出したりはしないのだから。しかし、数を重ねて慣れてくると、肝を冷やすこともなくなり、繰り言になる辺りまで暢気に聞いてから仲裁していた。考えてみればそんな自分達の順応性もどこかズレていておかしいのだが、自分達がそんなに悠長でいられたのは──相手を貶める言葉がないからだ。だから安心していた、そういう部分が確かにある。
 クッと思わず笑って肩を震わせた征士に気を良くした伸の舌は、益々滑りが良くなった。
「アレはアレでかなり傍迷惑ではあるけど、一種の心の交流だと思えば、宥め役の僕らの存在価値も上がるしその努力も報われるってものさ。本当は、もっと穏やかに本音を言い合えるようになれればいいと思うんだけど、特に当麻はなかなか言わないね。ああ見えて遼も口割らないし」
「遼は言っている方だろう?」
「肝心なことは口にしないって意味だよ。具体的に、当麻が何をやらかしたのかとか、誰も知らないよね? 僕が前に遼に聞いてみたら、思い出したくないみたいでごまかされちゃった。──だから逆に、想像はつく」
 人を救うためならその身を投げ出すことも厭わない、仁将。その遼が最も厭うことを想像するのは容易い。実際、四人の仲間の犠牲と引き替えに妖邪帝王が倒せるチャンスが来ても、四人がそれを望んで促しても、遼は剣を揮えなかった。そんなふうに、犠牲があってもやむを得ない程に常時戦力ギリギリの状況にありながら、五人で戦うところをたった二人──遼と当麻──で切り抜けねばならなかった一時期もある。その戦況は最悪だったろう。
「当麻に身を呈して庇われた、というところか」
「それも一度ならず、だね。そんなの僕だって数え切れないくらいあったし、お互い様なんだけど」
 遼がそうだったなら、同時に当麻にも言えることだった。遼に庇われ、当麻は己の力量不足に歯噛みする思いを味わった筈。
 戦いの中においては、伸も秀も征士も、誰もが何度も繰り返し味わった悔しさだ。しかし五人の中で、わかっているようで一番わかっていないのは、遼だろう。自分がしていることと、仲間がしていること──行動は同じなのにその比重が同じであることを理解していない。だから、自分自身を犠牲にすることへの抵抗がなくても、自分が庇われるのは我慢ならないのだ。
「そういう意味では遼も当麻もわかってないから、難しいかなあ。頭脳明晰でも自分に関することには鈍い智将の方は、特に救いようがないや。──何にせよ、暖かく見守ってあげようじゃないか」
「それはもちろん賛成だ。が、伸……その、時折混ざる毒舌はどうにかならないものだろうか……」
「何言ってんだい、ちょっとした愛嬌じゃないか。狭量だなあ征士は。友愛はたっぷり篭ってるから大丈夫」
 愛嬌と言うには可愛げがないのでは、と少し悩む征士だったが、その点については言及しても意味がないと、全く悪びれずに笑う伸を見て思い直す。
 遼と当麻については、少なくとも自分よりも伸の方が正しい見方ができているのだと、征士は思う。
 観察眼のある伸のことだ。根幹のところを理解した上での自信に相違ない。
 だったら自分が余計な気を回さなくても、いずれ上手く収まるだろう。
 安心したところで、テーブルに置かれっぱなしだった本の存在を思い出し、征士はそれに手を伸ばした。



.....続く     

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