優しい時間の壊し方-1- 

2000.2.1.up

 ──自分一人ではなく、黙っていてもそこにいてくれる存在。
 そして、特に何をするでもなく、ただ空間をともにしているだけの、時間──

 時折、それがやけに心地よいと思うことが、宮田にはあった。
 …今日のボクシングの練習も終了し、明日は互いに朝・昼ともに仕事もなく。日課の練習が始まる明日の夕刻まで、ほぼ24時間のプライベートタイム──
 それは、共有する相手が、一歩だから心地よいのだ。宮田にとって、特別な相手だからこそ、この沈黙が、優しいと感じる。けれど同時に、その優しい空気が愛しくてたまらなくて、逆にそれを宮田は自ら壊してしまうこともあった。
 実際には、壊したいわけではなくて…。
 もっと欲しくなるのだ──優しさも、心地よさも………全てが。そして貪欲に欲するが故に、その沈黙も静寂も、結果的に他のものにすり代わる。
 …結局は、優しさだけが欲しいんじゃない──そういうことなのだ。

 壊すきっかけとなるのは、いつでもほんの些細なことだったりする。





「…? 宮田くん?」

 宮田の視線に気付いた一歩が、小首を傾げて斜め後ろを振り返った。
 この部屋の片隅にあるビデオラックに整然と並べられたビデオの背表紙を、先程から一歩は一つ一つ見ていた。
 見逃した試合があると言っていたから、おそらくそのテープを探しているのだ。

「何? どうかした?」

「………いや、別に」

 背中に感じた強い視線とは裏腹な素気ない宮田の返事に、一歩はクスッと笑ってから、またビデオラックに目を戻した。
 ──いつまでビデオと睨めっこしてる気だ?
 一心に捜し物をしている一歩を見ながら、本気で宮田は疑問に思った。
 一歩をすぐ側で無遠慮に眺めていられる機会も滅多になくて、宮田にしてみればそれはそれでいいのだが。
 まあいいか、とあくまで宮田は一歩の観察者に徹することにした。
 しばらくして一通り眺め終わった後、一歩は少し困った顔でくるりと宮田に向き直った。

「あのさ。…宮田くんは、テレビ放映した試合は全部録画してるって、確か前に言ってたよね?」

「まあな。…見当たらないのか?」

「あの…こないだのライト級世界タイトルマッチなんだけど………」

 こないだも何も、つい2日前のことだ。
 ──そういうコトは、早く言え。
 少々呆れて、宮田はテレビの方向を指差した。正確には、テレビの下の機器を、である。

「………それなら、デッキに入ってるぜ」

「えッッ? …な、何だ、そっか………あはは〜…」

 頭を掻きながら力無い笑みを浮かべる一歩に、宮田は内心嘆息した。
 …まあ、そういう少し間の抜けたようなところも、らしいと言えばらしくて、イヤではない。
 ベッドの端に深々と腰を落ち着けたまま、宮田がまた一歩のすることを眺めていると、一歩は宮田の指した方向へと早速歩み寄った。
 ──どうでもいいが………何でコソ泥のように近づくんだ? アイツは。
 変なヤツ、と宮田はこっそり笑う。

「えーと…どのボタン押せばいいのかな………」

 早速デッキの前に行ったはいいが、一歩は操作方法がわからないようで、困惑した声を上げた。
 こればかりは一歩が知らなくとも当然かもしれなくて、仕方なしに宮田はようやく腰を上げ、一歩の隣で跪いた。

「…二度は説明しねえから、よく聞いとけよ。これが電源。で、こっちが………」

 ──と。
 宮田は続きを言おうと一歩を振り返って、間近で見る一歩の真剣な瞳に、不意にゾクリとした。
 一歩は、宮田に視線を当てていたわけじゃなかった。ただ、ボタンが並んだデッキの表面部を見ているだけだったのに。

 なのに、それだけでも、時にはきっかけになったりするのだ──



 急に言葉を途切らせたのを不思議に思った一歩が、宮田を仰ぎ見た。

「で? これは何のボタン? もしかして、再生?」

 ふわりと笑い掛けられても困るのは、こんな時だった。

「………いや、それは巻き戻しで………」

 茫洋としたまま気もそぞろで、それでも宮田の口は正確に言葉を発した。
 だが、内心は──

 …ビデオの説明なんか、どうでもいい。
 そんなことより…こうやって二人してゆっくりしていられる時間は滅多にないんだから、もっと………。

 ──"だから"…"もっと"………。

 本当に、静かで穏やかなこの時間に浸っていたいのに。
 それは決してウソじゃないのに、だけどそれだけじゃ、満足できない。
 こんなに身近な距離にいられるなんて、あまりないことだから。
 "だから"、"もっと"、………身近に感じたい、のだ。
 距離をゼロにするくらいに、身近に。

 ──有り体に言えば、それは………。

 そう思った時には、宮田はいつも歯止めを掛けようとはしない。
 …そんな必要はないからだ。

「宮田くん? あの………?」

 訝しげに問う一歩の顎と肩に手を添え、驚きに変わる表情を認めつつも、見ないフリをして半開きになったままの彼の唇に自分のそれを重ねた。



 ──有り体に言えば………SEXしたくなった。
 …ただ、それだけのことだ。



.....続く     

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