優しい時間の壊し方-2- 

2000.3.20.up

 重ねるだけのキスをして、そうっと唇を離すと、10cmと離れていないところで一歩と目が合った。宮田の予想通り、彼は驚いた表情のまま、顔を赤くして硬直している。

「ビデオは…後でもいいだろ」

 小さく独り言のように呟いて、宮田は一歩の顎に添えていた手を、そのまま触れるか触れないかの距離でなぞるようにして首筋へと這わせた。
 途端、ピクリと一歩の体が微かに震えたのがその手から伝わってきて、宮田は内心ほくそ笑んだ。

 そう、『今』じゃないとできないことが、最優先──
 …初めは、ビデオを一緒に見ても構わない、とも思っていた。他愛のない話をすることだって、別にイヤじゃない。それも、今しかできないことには違いない。
 だったらもう少し──あと少しだけでも、何をするのでもなくゆったりとくつろいだ時間を過ごしても、よかったかもしれない。明日まで、一緒にいるんだろうし。

 心の片隅でそう思う自分も、確かにいる。
 でも、『今』一番したいと思っているのは。
 ──過ごしたい、時間は。
 なまぬるいお湯にたゆたうような、そんな種類のものじゃなくて──

「…あ、後でも…いいけど………でも………」

 何も考えず、呆然とただ言われたままを繰り返したかに見える一歩は、それでも、彼が"単なる録音テープ"と化してしまったわけではない証拠に、逆接の接続詞を辛うじて述べた。

「『でも』…何だよ」

 不機嫌さを隠さずに、一段と低い声で宮田は言った。
 正確には、"不機嫌さを装って"である。
 一歩が何を言おうとしているのか、言われなくたって宮田には理解できた。
 ──いつも、こうなのだ。
 宮田が誘っても、一歩が二つ返事で乗ってくることはまずない。
 大体、宮田以外に家人がいないとわかっていても、宮田の家になかなか足を踏み入れようとしない。宮田が何度も同じようなことを繰り返し言って、ようやく一歩は頷くのだ…いつも。
 今回は、本当に珍しく一歩から連絡があったから、少しは違った反応が返ってくるかも、と期待したのに。
 今日も、やっぱりいつもと変わらない反応で。
 それが少々宮田の気に食わない。

 鈍感さにおいては並ぶ者がない──そんな一歩でも、宮田の機嫌が急降下したことは理解できたらしい。
 ふ、と絡み合っていた視線をずらして、下を向いた。

「で、でも………ビデオ借りに来ただけ、だし………」

「…本当に、それだけか?」

「え?」

 宮田を仰ぎ見た一歩の頬を、宮田は両の手のひらで掬って固定し、その黒い瞳を覗き込んだ。

「本気でそう言ってるのか? お前。明日の夕方まで、オレもお前も予定ないってのに?」

 からかうでもなく詰問するでもなく宮田に言われ、じっと見つめられて、一歩はそれ以上言葉を紡げなくなった。
 何か伝えたいことはあるのに、何をどう言えばいいのかわからない──そんな困った表情で押し黙った一歩に、宮田はクスリと微笑った。
 本音を言えば、今問いかけた内容は宮田にとってはどうでもいいことだった。だが、一歩の困った顔が見たい気持ちを抑えられず、つい突っ込んでしまった。…おそらく、もっと問い詰めたら宮田の望む通りの答えが返ってくることだろう。
 それでも、宮田はこの点に関して、一歩に問い質すのは控えることにした。
 何よりも、一歩がビデオを借りるのに、同じジムの鷹村でも木村でも青木でもなく、自分を選んだということだけで、実は結構嬉しかったりするのだ。彼らだって、絶対録画しているに違いないから。
 …一歩には、こんなこと、口が裂けても言えやしないが。

 宮田のそんな思惑も知らず、責められているような気がして黙り込んだ一歩に、宮田は口を開いた。

「…別に、それでもいいんだぜ。………でも、もうわかっただろ?」

 一旦言葉を区切って、宮田は一歩をひたと見据え、さらりと言った。

「オレが…お前を帰すつもりなんか、さらさらないってのは」

 宮田の言わんとすることに、一瞬で一歩の顔が朱に染まった。
 天然記念物並みに鈍い一歩も、この手のセリフにはある程度敏感になったようである。
 しかし、その言葉に対してコメントのしようがないのか、一歩はほの赤い困惑顔のまま所在なげに俯いた。
 ころころ変わる表情を間近で見るのは、存外楽しいものである。特に、一歩の表情の変化は殊更楽しく、宮田は好んで困らせることがあった。
 だが、それも時と場合によるのだ。
 なかなか動こうとしない一歩に少々焦れてきた宮田は、目の前にある彼の耳朶をやんわりと唇で挟み、軽く吸った。
 ビクッと微かに震えた一歩の体を抱き締め、少しばかり強引に床に引き倒して、器用に片手でGパンのボタンを外し、手早くジッパーを下ろした。
 ──てこずる場合は、実力行使。
 こと一歩に関しては、それが一番の近道であり効果的であることを、経験上宮田は十二分に知っていた。
 そして、おそらく。一歩がそれを、全く望んでいないわけじゃない、ということも──

「え!? ちょ…っ、ま、待って、宮………!」

 セリフを最後まで言う前に、咄嗟に一歩は口を手で覆った。
 一歩の言葉が途切れたのは、いきなり直に股間のものを握った宮田の手のせいだった。性急なその動きに、一歩はくぐもった声を漏らした。
 宮田のもう一方の手は一歩の片手を抑えている。一歩が宮田の悪戯な手の動きを遮るためには、口元を覆う手を外さねばならない。──が、羞恥心を捨ててはいない今の段階で手を外すことは、一歩には無理な注文だった。
 当然のことながら、それを見越した上で、宮田は一歩を煽っていた。
 一歩が多少体を捩ったりしたところで、宮田の手の妨げにすらならない。

「…っ………」

 とにかく感じまいとする一歩の様子に、宮田の嗜虐心が疼き出す。
 ──そんなふうに、赤い顔で、目をぎゅっと閉じて眉根を寄せて堪えているのを見ていたら、もっと苛めたくなるってこと………コイツ、全然わかってないよな。
 そんなことを考えつつ、宮田はゆるゆると根元から先端までを丁寧に愛撫し、時に袋を手のひらで転がした。
 そのたびにビクンと跳ね上がる体を抑え、仰け反る喉元に、鎖骨に、口づけを落とす。
 勃ち上がるその先端からぬめりを帯びたものが伝ってきて、ようやく宮田は手の動きをとめた。
 ようやく一息つける、と思ったのか、一歩の体からも余計な力が抜けた。

「…その気になったか?」

 ゆっくり一歩が瞼を上げる。
 そこにあったのは、先程とは違う、瞳だった。
 今黒い目の奥にあるものは、先程から自分の内にくすぶっている火と、同じモノ──
 それを見るとき、宮田はいつも思うのだ──今だけじゃなくてこの先もずっと、その目の先に自分しかいなければいいのに、と。
 …他の人間がどうであれ、自分の執着心は、対象となる存在がある限り続くだろう。宮田はそのことを、よく理解していた。
 できることなら、ずっとこの瞳を、独占していたい。

 そう思う宮田の耳に聞こえてきたのは、しかし、あまりにも一歩らしい言葉だった。

「………でも、明日は練習が………」

「──…あのな」

 一つ、嘆息。
 …究極のところ、言葉で言わないとわからないこの男に、多少の苛立ちとそれを上回る愛おしさを感じつつ、宮田は、いつまでも煮えきらない一歩と視線を合わせた。
 一歩を見つめる瞳は、自分でもわかるくらい、熱を帯びていた。

「オレが…したいんだよ」

 瞬間、一歩の頬が仄かに赤くなった。だが、今度はその瞳はそらされることなく、変わらずじっと宮田を見ていた。
 言葉もなく、けれど言葉を使うより雄弁に、その瞳は語っていた。
 語るのは、欲──自分を欲する、熱い瞳。
 宮田は、コクリと息を飲んだ。

 ──そう、これが、欲しかったのだ。
 支配するのは自分の方か、それとも相手の方か。
 どっちでもかまわない。

 いずれにしても、今は、自分だけのものだ──その事実に高揚する。

「…イヤか?」

「………まさか。だけど…宮田くん?」

「何だよ」

「セーブ効きそうにないんだけど………いいの?」

 望む通りの答えに、宮田は婉然と微笑んだ。

「──ああ、かまわないぜ」

 言って、誘われるままに、唇を重ねた。
 唇だけじゃなく、腕も、指も、胸も──余すところなく、触れる。
 セーブなんか、本当は必要ない。
 いつだって、宮田は隠すことのないそのままの一歩に、触れたいのだ。
 心も、体も──いつも。




 ──過ごしたい時間というのは、たくさんあって。
 苦痛と、そして、それと紙一重の快楽をも伴うものだって、含まれているのだ──



終     

   

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