キルアの視線がゆっくりクラピカに当てられる。
寝起きのせいか、いつもの眼差しの鋭さは感じられない。けれど全てを見透かすような双眼の蒼は、以前と変わらず、曇りのない綺麗な色をしている。
久々にその瞳を真っ向から受けて、クラピカは内心穏やかではいられなかった。
何か言わなければ、と必死に頭を巡らせるクラピカだったが、寸での差でキルアに先を制された。
「…おはよ」
「……あ、ああ…おはよう。その、起こしてしまってすまない」
まともな朝の挨拶がキルアの口から出てきて、クラピカは戸惑った。
戸惑うあまり、この部屋に入る前からあらかじめ用意していた言葉は頭から飛んでいき、うっかり普通に挨拶を返してしまう。
本当は、キルアが何かを言う前に早々に看病の礼を言って退室する予定だったのだ。
まさか先にキルアから話し掛けられるとは思いも寄らなかったから、思い通りに事を運ぶことは容易いと考えていたのだが、誤算だった。
しかし済んでしまったことは仕方がない。
とりあえず、何とか気を取り直して、今度こそはとクラピカが口を開いた。
だが、またしてもクラピカが声を発するより早く、起き上がったキルアが言葉を綴った。
「あのさ。オレ、顔洗ってくるから。ちょっと待ってて」
言いながら欠伸を一つしてベッドを降りるキルアの動作を、クラピカは目で追った。
「え…?」
「あんた、オレに用があるから来たんでしょ」
「……そうだが…用ならすぐ済む。私はただ看病の礼を…」
「だから、後にしてってば」
ピシャリと言ってクラピカの言葉を遮り、キルアはその傍らを横切った。
真横でふわりと空気が動くのを感じながら、クラピカはただそこに立ち尽くした。
──…何なんだ、一体。私に何か言いたいことがあるとでも?
ここでわざわざクラピカを待たせる理由があるならそういうことだろう、とは予測できる。思えば大抵キルアは、言いたいことをそのままクラピカにぶつけていた。
だが、そうは言っても、クラピカにはその内容が思いつかなかった。殊更キルアの不興を買った覚えはないのだ。
最近では、クラピカとキルアは、ほとんど会話の成り立たない関係で落ち着いている。
不自然でない程度に言葉を交わし、それ以外では一切の関わりを持たない。他の誰も側にいなければ、キルアがそこにいても誰も存在していないかのようにクラピカは振る舞う。キルアの望むのはその状態なのだから、それがきちんと維持されている以上、彼にとって特に不満はない──はず。
なのに、何を自分に言おうというのだろう。
何であろうと、あまり聞きたくない内容であることは疑いないと思えた。
しかし、だからと言って──と、先程入ってきた扉をクラピカは見た。
ここを出ていくことは簡単だ。だが、後々のことを考えればそれもできない。断りもなくこの場を離れれば、キルアの怒りを買うことは必至だからだ。
クラピカが軽く溜息を吐いたところで、キルアが戻ってくる気配がした。
「待った?」
「……いや」
幾分かすっきりした顔で、キルアがこちらを見上げてくる。
その表情は、何を考えているのかさっぱり読めず、クラピカはそっとキルアから視線を逸らした。
それでも尚、キルアの視線は感じる。
キルアは変わらず、クラピカをじっと見続けていた。
「そこ、座れば。余分な椅子ないし、ここ」
「…ああ」
背後を指差され、クラピカは迷いながらも言われるがままベッドの端に腰を下ろした。
だが、長居するわけにはいかない、とクラピカは思う。
キルアとの会話は精神的に消耗するのだ。
クラピカとしてはさっさと話を終わらせたくて、用件だけを滔々と述べた。
「さっきも言い掛けたが、私は単に礼を言いに来たまでだ。お前が私の看病をしてくれていたと、ゴンから聞いたのでな」
「……ああ、そのこと」
興味もなさそうに、キルアは両肩を竦める。
「世話を掛けてすまなかった」
こんなことを言ったところで、キルアの反応はないだろう。
それがいつものことだからと割り切っているクラピカは、返答を待たずに腰を上げた。
「私の用はそれだけだ。…起こして悪かった」
言いながら立ち上がるクラピカを、キルアは制止した。
「ちょっと待ちなよ。それだけ? まだ話は終わってないじゃん」
「私には他に用はない」
「ホントに?」
「ああ」
「本気でそう言ってるんだ?」
「…もちろん」
何故キルアが食い下がってくるのか全くわからないクラピカは、答えながら内心首を傾げた。
「…そう。でもあんたになくても、オレにはあんの」
急に苛立ちのこもり始めた低い声音に、クラピカは歩き出そうとした足を止める。
キルアとまともに向かい合うのは避けたかったのだが、どうやらそうもいかないらしい。
背後の彼へと向き直り、クラピカは久々に、キルアの目を正面から見た。
キルアの青く冷たい瞳に、自分の姿が映っている。
こんなふうにひたと目を合わせる機会は、あるようでいてなかなかない。互いの瞳の中に何かを探すかのように、見つめ合う──ひどく長く感じる、刹那の一瞬。
クラピカがキルアの目をこうやって覗くようなことは、過去にもなかった。
夜の空にも似たその綺麗な深い青にクラピカを映し、キルアは何を考えているのだろうか。
「…座って」
暫くして、キルアが目を逸らさぬまま、再び言う。
そこには拒みきれない何かが潜んでいて、ようやくクラピカは先程と同じ場所に腰を下ろした。
.....続く
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