秘恋-3- 

2006.10.18.re-up

 
      夢を見た。
      それは、幸せな夢。
      切なる願いと、現実と。
      それらを散りばめて紡がれた、夢──
 
 
 目覚めの気分はとても爽やかだった。
 目の下に影を作る長い睫毛を震わせ、クラピカはゆるりと瞼を上げた。
 そして数度瞬きをし、軽く一息つく。その後、思わず笑ってしまった。
 つい先程まで見ていたような錯覚に陥る、遠くに霞む夢と、対極にあるこの現実。
 それらのギャップの大きさに、苦笑を禁じ得なかった。
 夢にしては珍しくも、整合性というものがあって、そういう意味では現実と夢にさほど差はなかった。シンプルな共通項を挙げるなら、体調の悪さゆえにベッドの住人になっている情けない自分がいた、というところだろう。
 けれど、決定的に違っていることが一つ。
 それは、あのキルアが、夢の中ではクラピカに対して他の仲間と同じようにごく普通に接してくれていたことだ。
 あり得なさすぎて、笑える。
 
 けれど、夢を思い返してみても始まらない。
 そう思ったクラピカは、現実問題として、己の置かれた現状を顧みた。
 
 夜の睡眠を取るためではなく、急を要してこうしてベッドに横たわらなければならないほどに、眠る前までの体調はすこぶる悪かった。
 そして、今──
 頭も気分も、いつになくスッキリしている。
 頭だけでなく体も、思いがけないほど軽い。それからかなりの空腹感。
 一体どれくらいの間、眠ったのか。
 半日以上、下手したら丸一日以上の数日間、眠っていたのであろうことは相違ない。
 ──水を吸った砂のように重く鈍い手足。熱に火照った体を持て余し、全く回らなかった思考。
 時間感覚はわからないが、どのような体の不調を自分が訴えていたのかは、記憶にある。
 そもそも、心身ともに急激な消耗を強いられるほどの相当な無茶をしたという自覚が、クラピカにはしっかりあった。
 今の今まで寝込んでいたのは、その無茶が原因だ。
 本当に馬鹿な真似をしたと、今にして思う。
 念能力を長時間使い続け、精神力と肉体を酷使した代償がこの状況である。
 つまりは後先を省みずに行動した結果がこのザマというわけだ。
「…………失態だ…」
 最早笑うこともできず、ベッドの中、上半身だけを起こしたクラピカは渋顔でがくりと頭を垂れた。
 
「あ、クラピカ! 起きたの? もう平気?」
 元気な明るい声で、でも心配そうにゴンが声を掛けてくれる。
 不甲斐ない自分自身に苦笑を浮かべ、クラピカは謝辞を述べた。
「ああ、もう大丈夫だ。ありがとう。色々と世話を掛けてしまったようだな…本当にすまない」
「そんなことないよ。──っていうかさ」
 ゴンはペロリと舌を出して、言った。
「オレなんかよりキルアの方が看てくれてたんだよね、クラピカのこと。だから御礼はキルアに言ってあげて。『することないし暇だから』なんて言ってたけど、本当はクラピカが心配だったからだよ。素直じゃないんだからなーもう」
 クラピカは目を見開いた。
 まさか、そんなことをキルアがするとは思えない。
 看病も心配も、クラピカ以外の者を相手になら、しただろう。もちろんひねくれ者の彼のことだから、不承不承という体を装うはずだが、クラピカ相手となると俄には信じがたい。
「キルアが…私の看病を?」
「うん」
 否定を期待したその問いに、しかしゴンはあっさり頷いた。
 あり得ない、と言おうとして、クラピカは寸でのところで飲み込んだ。
 一つの可能性を思いついたのだ。
 ゴンが嘘をつくとは考えにくいから、それはきっと本当のことなのだ。
 紛れもない事実だと仮定して、もしもキルアが看病をしてくれたのだとしたら──それは優しさからではなく、何らかの打算が入っている、とも考えられる。クラピカの夢の中ではその真逆で、しかもキルアがクラピカに優しかったりしたわけだが、単にそこにいるだけで様子などこれっぽっちも見ていなくても、端から見ればいずれも同じ『看病』だ。違いなどない。違いがあるとしても、看病された側のクラピカにしかわからない。
 つまり、あくまでもゴンの目には、真実、クラピカを心配するキルアが映し出されていたのだ。
 そんなふうにクラピカは推測した。
 それでも、夢と現実を微妙にダブらせてしまうクラピカの心境は、複雑だった。
 違うとわかっていながら、夢のようであればいいと、心のどこかで願っている。
 願望による己の夢のねつ造が脳裏を過ぎり、特に今のクラピカはキルアとは顔を合わせにくかった。
 何も話したくないというのが本心だが、事情が事情ならば仕方がない。
 ──キルアが私の看病をしたと言うのなら、私はキルアに礼を言う義務を果たさなければ。
 それが当たり前のことであるし、同時に、目の前のゴンが期待していることでもある。
 クラピカは一つ嘆息した。
「…わかった。──キルアは今どこに?」
「多分、部屋で寝てるんじゃないかな」
「……寝てる? もう昼過ぎだろう」
「そうなんだけど、ずっとクラピカのトコにいたみたいだし。あんまり寝てなかったのかも」
 ──寝ないで、私のことを看ていたというのか?
 ゴンの口から出てくるのは予想外のことばかりで、クラピカは再び驚きとともに困惑した。
 計算ずくの『看病』だとしても、計算が合わなさすぎる。
 クラピカの知るキルアでは、絶対にない。
 ゴンが何か勘違いをしているんじゃないだろうか。
 あるいは自分が寝込んでいる間に何かがあったのだろうか。
 クラピカはそう思ったが、今は深く考えまいと、頭を切り替えた。
「そうか…。とりあえず私はシャワーを浴びてくるよ」
「いってらっしゃーい」
 ヒラヒラとにこやかに手を振るゴンに微笑みを返し、クラピカは浴室へ足を運んだ。
 
 熱めのシャワーを頭から浴びながら、クラピカの脳裏はキルアのことで一杯だった。
『キルアが看ていた』
『ずっとクラピカの所にいた』
 そんな馬鹿な、とクラピカは思う。
 ゴンの言うことが本当で、額面通りに受け取るのなら、クラピカの夢に出てきた別人のようなキルアがここにいることになる。では、現実だと思っている今はまだ夢の中だろうか? ──いや、流石にそれはないだろう。
 あるいは…そう、キルアがゴンに嘘を言っているとしたらまだ納得がいく。だが、もしそうだとしても一日も保たずにバレるはず。
 何か別の思惑がキルアにはあったからそんなことをしたと考える方が自然で、その可能性はおそらく高いが、だとしたらメリットは何なのだろう。そうまでしてクラピカに恩を売り、貸しを作って、得になることが本当にあるだろうか?
 だが、どんなに考えても彼の思考などわかるわけがなかった。
 確かめるには、キルアに直接訊ねることだ。
 どのみち自分は、彼の元へ行くべきではあるのだから。
 クラピカは大きな溜息が出そうになるのを、何とか堪えた。
 
 キルアの部屋の扉をノックしても、返事はなかった。
「キルア。いないのか?」
 ノブを回してみると、不用心にも扉は難なく開く。
 女性の部屋というのではないのだからと思い、入るぞ、と一言言い置いて、クラピカは部屋へと足を踏み入れた。
 見渡すまでもなく、部屋のど真ん中にあるベッドの上に、キルアの姿があった。
「……キルア」
 少し遠慮がちに小声で呼んでみる。だが、起きる気配もなく、安らかな寝息が聞こえるばかりだ。
 音を立てないよう近付いて、キルアの様子を眺めてみる。
 ケットも掛けず、出掛けられる服装のまま横になっている。
 なるほど確かに疲れているふうで、目の下に隈ができているようだ。
 それがもし、自分の看病をしていたためだったとしたら──と考え、クラピカは自嘲気味に首を横に振った。
 そんな想像は、無意味だ。
 事実は一つしかないのだから。
 そしてそれは本人に訊けばわかることだが、仮に、ゲーム三昧で徹夜をしていて寝不足だったとしても、キルアを今起こさなければならない理由はどこにもなかった。
 元よりクラピカには、キルアの眠りを妨げる気など最初からないのだ。
 空気に溶けて消えてしまうほどの小さな声で、クラピカは囁く。
「おやすみ」
 そしてキルアに背を向け、立ち去ろうとした時だった。
「……クラピカ…?」
 寝惚けた声が、クラピカの背後から聞こえた。
 驚いて振り向くと、キルアが目を擦ってこちらを見ようとしていた。



.....続く     

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