結局、涼介が言うところの『お付き合い』を始めることになった。
二ヶ月経った今でも、現在進行形である。なりゆきまかせで始めた割には、長い方だと言えるだろう。
長いだけではなく、なかなか良い感じで順調に関係を深めつつあった。少なくとも、拓海はそう思っている。
涼介は暇さえあれば拓海を誘って行動を共にしたがったし、拓海は涼介から声が掛かるのが楽しみだった。さほど多趣味ではなくても多方面において造詣の深い涼介と一緒にいるのは、殆ど無趣味の拓海にとっては非常におもしろかった。また、一緒にいる時間が増えるほど、彼自身にも惹かれずにはいられなかった。何もせずただ一緒に時間を過ごすだけでも、拓海は何となく良い気分になれた。
だが。
ここにきて、敢えて避けていた話にブチ当たった。とは言っても、一方的にその類の話題を避けていたのは拓海の方だ。
『たまには藤原から誘ってくれると、オレとしては嬉しいんだけど』
これは、つい先程拓海が涼介に言われた台詞である。
ここまでは良かった。何の問題もない。
意地悪く笑われて、拓海はふてくされた顔でボソボソと反論した。迷惑掛けることになるかもしれないだの、涼介さんからの誘いがあるからそれで十分だだの、他にも色々と。
その何が気に障ったのか、不意に彼は楽しげな表情を消して言った。
「…そうだったな。そもそも藤原は、オレを好きってわけじゃないんだよな」
原因は拓海にはわからないが、その方向性がよろしくない。
しまった、と拓海が思った時には遅かった。
言ったきり、涼介は無言で拓海を見つめて…否、睨みつけてくる。
拓海は拓海で、『涼介の言う通りだったかもしれない』との思いもあるため、否定できずに押し黙る。
──そう、拓海が避けていたのは、気持ちを言葉で明確にすること。
この『お付き合い』のきっかけの時も、今現在も。自分が涼介のことを実際にはどう思っているのか、これまでずっと拓海は言わずに通してきたのである。
同時に、涼介の気持ちを確かめることも、敢えてしなかった。
今睨まれるのはともかくとして、涼介に返す言葉が見つからなくて、拓海は途方に暮れた。
涼介が黙っているのは、拓海の言葉を待っているからなのか。仮にそうだとしても、涼介の告白に答えを返した当時の気持ちは、拓海自身説明できない。何分、彼を良く知る以前の話だ。
あの時点で、彼を嫌いじゃなかったことは確実で、付き合いを断る気が起きなかったことも保証できるが、ただそれだけである。それ以外の感情があったかどうかは不明だ。
…答えられない。
拓海はいたたまれない気持ちを抱えながら、今は沈黙するしか術がなかった。
随分と時間が経ってから、黙って拓海を見ていた涼介が、口を開く。
「…藤原は、さ。最初は同情だったろう? それはオレもわかってる。でも、今はどうかな。以前より少しは、オレに好意を抱いてくれてるか? オレと同じ意味で」
そうじゃないなら、と涼介は続けて、ふっと口元だけで苦く笑う。
「もうやめようぜ。お互い不毛なだけだ」
その言葉に、拓海の心臓は竦み上がった。言葉の破片が胸に突き刺さる。
急な展開に驚くより先に、不意打ちの衝撃が痛みを倍加させた。
目の前の涼介はというと、苦い笑みを湛えていて──それを見るとズキズキと痛む胸の疼きが、ますますひどくなった。何だか頭も痛い。
拓海は、ギュッと拳を握った。
「涼介さん、それ、本気で言ってますか?」
「もちろん。…本当は、前々から言おうとは思ってたんだ。でも、言えないもんだな。…なかなか踏ん切りがつかなくてさ、………未練がましい話だけど」
肩を竦めて、涼介が苦笑を深める。
だが、それに同調して笑うことは、拓海にはできなかった。
「前から、ですか? じゃ、前から………オレのことはもう、好きでもなんでもなかった…?」
「何言って…。違うだろ、それは」
「違うんですか?」
「ああ、だってオレが藤原を好きなのは変わってないから。…藤原はそうじゃなくてもな」
さらっと言われて、拓海は一瞬ピタリと呼吸を止めた。特に台詞の後半に、耳を疑った。
その表情を見て、涼介は、ビックリすることでもないだろう、と言って笑う。
しかし、拓海はつられて笑ったりはしなかった。
「………………『藤原はそうじゃなくても』って…何で? だってオレ、涼介さんと…キスはしてますよ?」
「うん、まあね………。でもそれは、オレが一番最初の時にしたからだろ?」
最初も最初。『付き合ってもいい』と告げた拓海の舌の根が乾かない内に、涼介は拓海にキスを仕掛けた。
曰く、『付き合いって、こういうのも全部込みなんだけど、本当にいいのか?』と、要は事後承諾の形で、アッという間に唇を奪われた。ほんの一瞬だった割には触れた感覚が拓海の唇にしっかり残っていて、それでも気持ち悪くも何ともなかったから、拓海は結局承諾したのである。
そのことがあったせいか、二人きりで会った別れ際には、必ず挨拶とともにキスを交わした。
軽く触れ合うだけのものから、舌を滑らせてちょっと深く交わるものまで。別れ際に限らず、時折何かの拍子に悪戯のように口づけてみたりもした。
それは涼介からだけではなく、拓海からすることも、決して稀ではなかった。
拓海は、自分がしたいと思えば、多少の恥ずかしさを押し退けてキスをした。その度に見せてくれる涼介の照れ臭そうな顔が、気に入っていたから。そして何より、触れたいと思う気持ちもあったから。
そんな拓海の思惑に関係なく、涼介の言葉は続いた。
「付き合いでしてたとしても、そのうち嫌でも慣れが生じてくるもんなんだ。軽いキスなら単なる挨拶の延長、みたいな感じでさ」
「………涼介さんもオレも、付き合いとか慣れで…やってたって言うんですか…?」
「いや…オレじゃなくて、藤原が…多分そうだろうっていう話。………それでもオレはよかったんだ、嬉しかったから」
涼介の声音は柔らかく、口調はやけにあっさりとしていた。
だが、それだけに、拓海には堪えた。
「………………よくないよ、全然。知らなかった………涼介さんにはそんなふうに見えてたんだ、オレって」
「…藤原?」
ショックは割と大きい。
『彼ではなく自分が』──つまり、涼介と拓海との気持ちの差を、彼は言っているのだ。
指摘されて、拓海は初めて気が付いた。
彼の告白に、自分は頷いた。彼の誘いには、大概乗った。そうやって、能動的な涼介に対して受動的に応じるだけで、拓海が自ら何か行動を起こすことは殆どなかった。
思い返せば、何とでも解釈できるいい加減な言動しかしてこなかった。涼介にどう取られても、全く不思議じゃない。
涼介と顔を合わせていられなくて、拓海は俯いた。
気分は、最悪である。
「オレ、ホント………最低………………」
呟きが漏れる。独り言でも、自分を責めずにはいられなかった。
始まりからして曖昧で最低な返事を涼介に返したが、その後の己の行動はもっと最低だと思った。
「すみません、涼介さん………。オレ、すげーバカで、いい加減で、鈍くって、全然…何も気が付かなくて………ホントに、ごめんなさい」
「──藤原は何も悪くないよ。これは単に、”お試し期間”みたいなものがあって、それが終了したってことで。オレとしても、何もなかったよりは…──」
「違う」
すかさず拓海が断固とした口調で、きつく否定する。
初めて聞く拓海の厳しいもの言いに、涼介は言い掛けた台詞を宙に浮かせた。
「違います、謝ったのはそのことじゃない…。大体それ、根本的なところが間違ってます」
「根本的なところ…?」
オウム返しに涼介が呟くと、拓海は俯いたまま頷いた。
「はい。だって…オレ、涼介さんのこと、ちゃんと好きです。………ものすごく根本的だと思いませんか」
初めて、拓海は自分の気持ちを言葉にした。
.....続く
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