『涼介さんのことが、好きです』
下を向いていたが、涼介にきちんと聞こえるように言ったつもりである。
…だが、それへの返事は、返ってこない。やっぱり、という思いは拭えないが、正直辛い。
何も言えないほど驚いてるのかな、と拓海は思った。あるいは、デマカセだと受け取られたのかも、とも思った。
そう考えると、またしても拓海の心臓はツキンと痛みを訴えてくる。
驚きに値するくらいに、涼介にとってはそれが意外だということだ。もしくは、信じるに足る要素に欠けているから、デマカセにしか聞こえなかったか。
どちらにせよ虚しいことだったが、拓海はここで黙るわけにはいかなかった。
「…最近のことじゃなくて、もっと、大分前。オレから涼介さんに、初めてキス…した時。涼介さんはもう覚えてないだろうけど、あの時にはもう、好きになってた。だから、したんです。………オレ、相手が誰でも、付き合いなんかでキスなんて、しません」
「………………藤原…それは…」
躊躇いがちに聞こえてきた涼介の小さな声を、拓海はわざと遮った。
「慣れとかただの挨拶とか今言われてショックだった。やめようとか不毛だとか言われたのはもっとショックだった。でも………全部、オレが悪いんですよね。…オレ、涼介さんならもうオレの気持ちなんかわかってるだろうって、勝手に都合良いように考えてました。………涼介さん、オレに何も聞かないし、それに、言うのすげー恥ずかしいから…そういう話は避けてて…」
語尾が小さくなるのを避けるために、息を吸い込んだ。
「だから謝ったんです。オレが何にも言わなかったせいで、ずっと誤解させて、余計なコト言わせて、…すみませんでした」
言えば言うほど情けなくなってくる言い訳だが、他に言いようがないのだ。
救いようのないバカとは自分のことに違いない、と思いつつ、拓海はギュッと目を瞑り、同時に冷たくなった拳も固く握り締めた。
「………あの、オレ、本当に、反省してます。これからは、もっと、言う…ようにします。だ、だから、その…、涼介さん、オレと、これまで通りで、いてくれませんか…。それともやっぱ、ダメ、ですか? ………虫が良すぎるって思われても仕方ないけど、オレ…──」
言葉を少し途切らせると、涼介が遮った。
「確かに虫が良すぎるな。藤原が身勝手なのも最初からわかってるつもりだが、それを毎回許容できるわけじゃないぜ、オレも」
涼介の容赦のない冷たい言葉に、拓海は凍りついた。
勝手だと承知の上で言ったことで、そんな答えも拓海の予想範囲内だったが、実際に言われると想像以上に身に染みた。
その声音に、言葉とは裏腹の穏やかさが含まれていると気付く余裕は、拓海には残念ながらない。
また、顔を背けているおかげで、涼介の浮かべている表情も、当然知りようがなかった。
「………………………………そう、ですよね…ごめん、なさい………」
「謝られても、しょうがない。…それよりも、償いというか…それなりの誠意を藤原が見せてくれた方が、オレの気は済むと思うが?」
「………だったら、何か、…何でもいいから言って下さい」
「何でも、ね。…じゃあ──まず、顔を上げてオレの目を見て」
恐る恐る顔を上げ、徐々に涼介へと目を移した拓海は、怒っていない涼介の様子にホッとした。
だが、端麗な面からは喜怒哀楽の全てが抜け落ちていて、そんな彼の目は、拓海にとって脅威だった。
「OK。じゃ、次は、…オレがお前に一番言って欲しい台詞を、言い当ててもらおうかな」
「………………………………『ごめんなさい』………?」
わからなくて、蚊の鳴くような声で適当に答えた拓海に、涼介は溜息を吐いて氷のような一瞥をくれた。
「…そう言うと思った。知ってたけど、お前、オレが頭痛くなるくらい天然だよな…。──藤原、目を逸らすな」
「………あ、あのぅ、違うんですか」
「違うな、大いに。…自分で言ったことも覚えてないのか? 『これからは言うようにします』って、お前は一体オレに何を言うつもりだったんだ?」
意地の悪い微笑と眼差し。
それを見て、やっと拓海は気が付いた。…涼介は本気で怒ってはいないようである。
「あ…、それは、………えと、自分の…気持ち、とか…」
「どんな?」
先程、自分が俯いて言った言葉を、今度は涼介と視線を合わせたまま繰り返すだけだった。
それだけのことが、彼の目に曝されていると非常にやりにくい。やりにくいが、しかし、言わねばならない。
「………だから、…涼介さんのことが、好き、ってこと…。今まで言わなかったから、その分」
一拍置いて、涼介は破顔し、拓海の髪を乱雑にかき混ぜた。
「──合格。まあ、こんなもんでいいだろう」
涼介の台詞に、拓海は拍子抜けをした。
「え…、いいんですか? 本当に? もう気が済んだってこと? ………早すぎるよ、これじゃあ。…あの、それと、オレに愛想が尽きたとか…やっぱり付き合うのはやめにしようとか、思わなかったんですか…? 涼介さんがイヤなら言ってくれないと、オレ、ホントにこのままでいいんだって思いますよ」
脅しのような、そうでないようなことを、真剣に語る拓海に、涼介はおかしそうにクッと笑う。
「…藤原は、愛想が尽きたってオレに言ってほしいのか?」
「イヤです…そんなの」
「なら、納得しておけよ」
言われて納得できるなら、苦労はしない。
だが、涼介の手前、拓海は不承不承口を噤んだ。
フェアじゃないことが、気に入らないのだ。貸し借りと同様に、拓海が自己反省をした同じ分だけ、涼介に何かの形で報いたいと思う。なのに、涼介はすぐに帳消しにしてしまった。嬉しくないわけではないが、この借りは大きいような気がするのだ。しかも、返そうにも、何だか受け取ってくれそうもない。
「………藤原。お前はそう言うけど、オレにはな、藤原が相手だからできることもあるし、反対にできないこともある。今回のは、後者だ。好きな奴に謝られて、喋るの苦手なのに色々言ってくれて…それを最終的に拒むなんてオレにはできない。………藤原にはそういうのはなかったのか?」
少しだけ拓海は考えたが、ものの数秒で、解答に思い至った。
「…あ、それなら、最初っからありましたよ。最初に付き合おうって言われて頷いたのって、多分そういうことだし。涼介さんじゃなかったら、オレ、断ってました。…イヤだって、そんなコト涼介さんには絶対言えないって思った。だってオレ…どうしても、涼介さんの喜んだ顔があの時見たかったから」
「………………………そういうことを自覚なしに言うなよ、ったく…」
「え?」
「何でもない。──もう寒いから、帰ろうぜ」
拓海が返事をする前に、涼介はさっさと背を向け、クルマの方へと歩き始めた。
「………寒いけど、まだ八時なのに………」
一方的に話を終わらされて、拓海は仕方なく、宙ぶらりんな気持ちで涼介を追う。
土を踏みしめる足の先が、かじかんでジンジンと痺れ、鈍く痛む。
手もすっかり冷たくなって、指先の感覚はない。
寒いのは寒い。季節は冬なのだから。
だが、寒いのと帰りたいのとは、違う。
自分は何を優先したいのかを考え、言っておきたいことは言うべきだ、と思い直した拓海は、白い息を弾ませて小走りに追い掛け、後ろから涼介の腕を掴んだ。
驚いて振り向く涼介に、言い募る。
「涼介さん、さっきの話の続き。オレ、今ならイヤって言えますよ。──寒いからってもう帰るのは、”イヤ”です。オレ、もっと涼介さんと…──」
続く言葉を拓海が言えなかったのは、ひとえに涼介の責である。
しかし、帰宅が遅くなり、あまつさえ日付を越えてしまったのは、涼介だけの責とは言えなかった。
終
|