Noと言えない理由がある-1- 

2002.11.23.up

 夜更けの戸外は冷え込むばかりだった。
 山もすぐ側という峠の麓、そして暦が11月末とくれば、さもあろう。
 寒風が服の裾をはたはたとはためかせ、肌の温度を下げていく。
 かじかんだ指先の感覚は、既に鈍い。
 だが、どこか暖かい場所へ移動してこの寒さをしのぎたくても、今はそれを実行できる状況ではない。
 会話が丁度、佳境に入っているからだ。
 人影のすっかり途絶えてた山の麓、辺りに建っているのは旅館の一軒二軒のみ、外灯もまばらにしかないという場所で、寒々しい空の下、男二人が向かい合って立っていた。
 剣呑、とまではいかないが、緊張感が漂っていることは伺い知れる。
 じっと真正面から睨むように見つめられて、藤原拓海はいつもと変わらぬ表情で、しかし内心途方に暮れていた。
 
 
 
 
 
 拓海が高橋涼介から求愛されたのは、ふた月ほど前に遡る。
 晩夏、高校最後の夏休みが終わりを告げて間もない頃に、拓海は涼介とバトルをした。
 どちらが先にゴールしたのかは誰の目にも明らかだったが、拓海の意識の中では勝ちの部類に入らない勝負であった。
 そしてその後、十数日が経過してから、再び彼が、拓海のバイト先であるガソリンスタンドに姿を現したのだ。
『ちょっと話があるんだ。バイトが終わった後の予定は空いてるかな?』
 小さく微笑む涼介に、拓海が彼の期待通りの答えを返すと、終わる頃にまた来ると言って、ロータリーサウンドを轟かせて颯爽と去っていった。
 涼介の用件は何なのか、疑問に思わないではなかった。だが、拓海が考えたところで、直接本人に訊かないことにはわかるものでもない。
 彼を間近で見て、またしても頬が赤くなっていた拓海は、火照りを冷ますためにも今は涼介のことを忘れなければ、とその後は仕事に専念することに努めた。
 そうして数時間が過ぎ、無事に本日のバイトを終える。
 一息ついてから着替え終わった拓海を、待ってましたと言わんばかりのナイスなタイミングで、涼介は迎えに来た。
 余程込み入った話なのか、涼介がFCのナビに乗った拓海に話し掛ける内容といえば、他愛のない事柄だけで、秋名の峠を上りきるまで話すつもりはないようだった。
 頂上に着き、車を降りると、拓海の方が待ちきれなくて、話を振った。
 己の妙な緊張感を、少しでもほぐすために。
「あの…、高橋、さん。話って、何ですか」
 峠のカリスマである高橋涼介が自分に用件があるというのなら、クルマに関することだろう。
 そう予想して訊いた拓海の問いに答える前に、涼介は一つだけ訂正を申し出た。
「名字じゃなくて下の名前で呼んでくれるか? 『涼介』ってのがオレの名前なんだけど。…『高橋』だと弟の啓介と区別できないから」
「あ、はい」
 拓海が素直に頷くと、涼介が目を細めて嬉しそうに微笑む。そして笑みを湛えたまま、口を開いた。
「単刀直入に言おう。…オレと、付き合ってくれないか」
 ──『付き合う』………?
 拓海は動じることなく、涼介の傍らにある白いFCをチラリと見た。
 拓海にとって、高橋兄弟=峠、高橋涼介=FC、である。
「…またバトルをしようってことですか?」
 拓海自身、クルマを走らせるのはおもしろいと感じるようになってきた。バトルの挑戦をされたら受けてもいいと思うくらいには、楽しくなってきた。──但し、ステージは秋名以外の峠で、という条件下に限る。今後一切、秋名でハチロクに乗ってバトルをするつもりは拓海にはないのだ。
 しかしながら、涼介を相手に再戦というと、また話は異なる。秋名以外の場所であったとしても、返事が鈍る。第一先日バトルをしたばかりで相手の腕の凄さも自分の力量もわかっているのに、日を置かずに再び、というのには抵抗があった。
 だが、拓海のそんな心配は、全くの杞憂に終わった。
 涼介はきっぱりとそれを否定したのだ。
「いや、バトルの挑戦じゃない」
 では、一体何なのか。
「付き合ってほしい、と言ったんだぜ、オレは。…意味、わかるか?」
「はあ…、わかることはわかりますけど…。でもバトルじゃないとすると………、あ、もしかしてクルマの話をしたいとか、そういうことですか?」
 それはそれで、悪いけどオレ無知だから付き合えないなぁと、メカに滅法弱い拓海はわざわざ赤城から来た涼介に、とても申し訳なく思った。
 すると、またしても彼に否定された。
「いや、そうじゃなくて…。………わかった、言い方を変えよう。つまり、だな」
 一つ咳払いをして、涼介は改まった表情で拓海を見た。
 暗さでごまかされているが、少しだけ、涼介の頬の辺りがほの赤くなっていた。
「オレの恋人になってほしい、と言ってるんだ」
 涼介の台詞の中にあった、知っている割には滅多に耳にしない単語に、拓海の心臓が反応し、ドクンと大きく跳ねた。
 ──『恋人』…。コイビトって………、なんかその言葉の響き自体、すげー恥ずかしい………
 平然とした顔で言ってのけるなんてすごい大胆な人だな、と涼介のことを感心した。
 それと同時に、拓海はハッと我に返った。
 そんなことより、もっと大きな問題があることに、気が付いたのだ。
 そう、『恋人』になってほしいと、今涼介は拓海に言ったのである。
 この自分にだ。
 そのことを理解した刹那、ボンッと音を立てる勢いで、拓海の頭は沸騰し、顔から火が出た。もちろん心臓も、これ以上ない速さでドキドキと高鳴っている。
 聞き間違いじゃないよな、と涼介に驚愕と疑いの眼差しを向けると、彼は小首を傾げて拓海に確認してきた。
「…藤原。今度はちゃんとわかってくれたか?」
「え! あー、ええと、まあ多分、はい。…いや、ていうかその、高は…じゃない、涼介さん、あの…オレ、ちょっと確認したいことが…」
「ん? 何だ?」
 質問があるなら何でもしてくれ、と涼介に鷹揚な態度に出られて、見た目ほど冷静さを保っていない拓海はごくりと唾を飲み込み、パクパク口を開閉した。
 が、虚しくも、声がちっとも出てこない。
 色んな思考や涼介に訊きたい事柄が、ドッと津波のように一気に押し寄せてきたからだ。
 口は一つなのだから、どれだけ言いたいことが多くあっても一度に一つのことしか言えない。なのに、どれもこれも比重が似たり寄ったりだったものだから、咄嗟にその中から一つを選ぶことができなかったのだ。
 涼介に質問したいことはあった。突っ込みたいこともたくさんある。
 ──コイビト? 言葉の意味わかってて言ってるんだよな? そういやこの人医大生だっけ…変人が多いって聞くけどオレが男だとは知ってるよな? で、知った上でオレをコイビトにって言ってんの? てことは涼介さんてホモ? でも何で相手がよりによってオレ? この人、女でも男でももてそうなのにヘンだよな? なんかおかしい…そうか、もしかして初めから全部冗談? オレをからかってる? けど、それじゃただの暇人だよなあ…でもそれはあり得そう、つかその方がオレは困らないんだ。いや待てよ、どうだろう、本当に、本気なのかも──
 全て訊いてみたいことだったが、涼介と目を合わせていると、何も言えなくなる。
 脳裏に色々な台詞が浮かびはしても、言うことができない。
 涼介の持つ雰囲気がそうさせるのか、あまり彼と深く知り合っていない間柄だから衒いのない質問ができないのか──とにかく浮かぶ質問群の内、1パーセントも涼介に言えないだろうという気がした。
 悩むだけ悩み、相当な時間が過ぎてから、拓海はたった一つだけ訊いた。
「…ええっと………、あのぅ…涼介さん、何で、オレ…なんですか…?」
 今だ混乱から逃れられずに不整脈を打つ心臓にハッパを掛けながら、やっとのことで拓海がそう訊くと、涼介はようやく出てきた問いにホッとした顔をし、微笑んだ。
「それは、藤原がオレより速いから」
「………は…?」
「きっかけ、というより決定打かな、それが」
 クルマを走らせる能力が突出しているから。
 それがきっかけなのだと、涼介は言って小さく笑った。
 拓海はその台詞を聞いて、気が抜けた。何だそういうことか、と納得し、安心した。
 彼にとってはスピードが魅力であり、その速度でクルマを自在に操れる人が彼にとっては魅力ある人──彼は、そう言ったのだ。多分。
 そうとわかると、拓海は気が楽になった。気楽に考えられるおかげで、涼介の申し出を断る気すらも、失せてしまった。断っても構わないが、受けてもいいような気にもなっていた。
 コイビトなんて言葉を遣われたから腰が引けてしまったが、自分と似たようなものではないのかと拓海は思ったのだ。
 涼介が拓海の能力に惹かれたというのなら、拓海もまたそうだった。
 白いFCに、何度も目を奪われた。バトルの最中も、あの速いクルマに追い付き、そして追い抜きたいと思った。それから、FCの乗り手が今目の前にいる高橋涼介だとわかった瞬間、何か特別な感じがした。あの時、他の誰にも持たなかった感慨が、自分の中に芽生えた。
 置き換えてみれば、涼介と自分は同じなんじゃないだろうかと思ったのである。
 涼介は、拓海のそんな思惑など露知らず、その沈黙に苦笑した。
「…ものすごく困ってる、って顔してるな。………ごめんな」
 涼介の謝罪に、一人自分の考えに耽っていた拓海は、ハッとして涼介の顔を仰いだ。
 自嘲気味に笑う彼は、拓海と目を合わせたまま、静かに語る。
「今日は、オレの気持ちを伝えるだけは伝えようと思って、藤原に会いに来たんだ。返事は急かないつもりだけど、…もし答えがもう決まってるんなら、今言ってくれると助かる」
 涼介が殊更軽い口調で言うのは、拓海に気遣ってのことだろうか。
 だが、その気持ちとやらは真剣っぽいし、やはり表情の翳りは隠せない。
 涼介に似つかわしくない苦々しい笑みに、拓海の胸はズキンと痛んだ。
 ──断っても構わない、と先程は思っていたのに、その選択肢は、この時点で消失した。
「あ…あの、涼介…さん、オレ………」
「──うん」
「…なんか、…その、えーと、何ていうか………」
 何だかんだと言っても、涼介は即行で断られることを覚悟の上で、拓海に告白したのだろう。それは拓海にもわかった。
 わかるから余計に、尚も微笑んでいる涼介が痛々しく見える。
「イヤだとは、…少しも思わなかった、んです…」
「──そうか…」
「それと…、これは今思ったことだけど、………涼介さんの哀しそうな顔、あんまり見たくない…。そんな顔させたくもない…気もするし…。だ、だから………」
 勝手なことを言おうとしている、と自覚している拓海は、言い淀んだ。
 でも、身勝手でも、これが正直な気持ちである。
 割り切って、言った。
「オレ、断る気が…起きなくて。その…つ、付き合ってもいいかな、って………。なんか、すげー半端でいい加減な答えだって、自分でもわかってるけど。…ダメですか? こういうのじゃ」
 失礼で最低な答え方だとは百も承知だが、これが、拓海の偽りない今の気持ちだ。同情、と受け取られても否定できない。
 そんなことを言う拓海をどう思うか、そしてそれにどう返事を返すかは、涼介次第だった。
 すると彼は、拓海の言葉に目を丸くした後、暫くしてから困った顔でクスリと笑った。
 複雑そうではあったが、涼介の表情から痛々しさが消えたような気が、拓海にはした──



.....続く     

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