恋い。-2- 

2001.12.15.up

 拓海とて、涼介の置かれている立場を、そして彼自身を、多少なりとも知っている。
 彼が、分刻みのスケジュールに忙殺されているだろうという事情も。
 なのに、そんな煩雑さの中にあっても、時間が空いていれば気軽に頼み事を引き受けるくらい、彼が存外お人好しで親切だということも。…それが一旦気を許した人間なら、尚更に。
 そして頼みを引き受けた以上、やむなき理由だったとしても、そうやって自ら断りを入れるような不測の事態に陥ることそのものが、涼介の意に反しているらしいということも。
 …今までに拓海が耳にした、誘いを涼介から断る時の言葉は、全てが涼介自身を責めるものであり、かつ相手に対する申し訳なさを伝えるものだった。
 だから、拓海は知っている。彼はきっと、ものすごく誠実なのだ。
 そして、その反動なのか──彼はごまかしや嘘を嫌う。
 自分にも相手にも、それらを許さないような潔癖さがある。そういう雰囲気を、自然と彼は纏っている。周りの空気を読むのが不得意な拓海でも、そうと感じるくらいに。
 だからこそ、わかる。
 涼介が拓海に告げた断りの言葉や謝罪を述べるその気持ちは、全部嘘偽りのない真実なのだ。
 今日のことも、今までも、全部が真。
 そこまでは、ちゃんとわかっている。いくら鈍感な自分でも。
 ただ──
 拓海が気になるのは、自分の知る範囲以外では、涼介のどういう感情が介在していたか、ということ。
 その一点に尽きるのである。
 

 理由はどうあれ、結果として拓海との約束を断らざるを得なくなってしまった。
 その時に、涼介は、何を感じていたのだろう?
 今日は何を考えただろう?
 涼介との約束で何度もドタキャンを余儀なくされている拓海に対して、すまないと思った──それは間違いないと思う。彼自身もそう言っていたし、拓海も、その点は疑っていない。
 だが。
 もしかして、同時に………彼は。
 ホッとした、んじゃないだろうか?
 面倒がなくなったと、余計な負担が減ったと、感じたりしたんじゃないだろうか?
 拓海との約束の有無に関わらず、スケジュール的にはギッシリ詰まっていることは変わらないにしても、結果として一つの予定が確実に減ったのだ。
 そのことで、涼介は、精神的に多少なりと余裕が持てたんじゃないだろうか?
 ………ほんの少しでも、安堵めいた、そういう感情が湧いたんだとしたら。
 そのおかげで時間に縛られなくなり、一種の開放感のような気持ちを抱いたとしたら………それは。
 
 それは。
 
「やっぱ迷惑してる、ってことだよな…」
 涼介が何と言おうと、拓海のしていることは、涼介の負担にしかなっていない。
 そういうことだ。
 考えたくない可能性に行き着いてしまい、拓海は眉間に皺を寄せ、天井を睨んだ。
 あり得ないどころか、事実を突き詰めてよく考えてみれば、あまりに辻褄が合い過ぎて、それが最も真実に近いように思えた。
「………そりゃ、そうに決まってる…。…考えるまでもねーか………………」
 溜息混じりの呟きが空気に溶けて消える頃、ふと、拓海の口元に苦い微笑みがほんの一瞬浮かんだ。
 
 
 
 *  *  *

 当初、男の自分が同じく男性の涼介に惹かれている事実を、おかしいんじゃないかと思ったりもしたのだ。けれど、結局の所、他人から見て異常であっても、自分自身の問題として見れば、つまりはその事実を受け入れざるを得なかった。
 好きだ。だから、近付きたい。
 …この想いが同性に抱く感情ではないと気付いた時には、咄嗟に心の中で否定した。
 流石に、素直に認められなかった。認めたくなかった。
 嘘だと思いたかった。単なる自分の思い違いでなければならなかった。
 けれども否定すればするほど強く感じるこの気持ちをどうにもできず、持て余してしまい、どうしよう、と結構真剣に悩んだ。
 挙げ句──涼介のどこが好きだと自分は感じているのか、一つ一つ数え上げてみようかと、ふと思いついた。そうしたら、勘違いや誤った思い込みだったりして、悩む必要はなくなるんじゃないかと。
 そんなわけで拓海は、涼介の特徴を思いつく限り挙げてみた。
 外見的特徴──語彙の少ない拓海が敢えて言葉にするまでもなく、彼は、誰もが絶賛するであろう容貌・容姿の持ち主だ。拓海自身TVは滅多に見ないが、今までブラウン管を通して見たことのある芸能人の誰も適わないんじゃないかと思うくらいに、整っていると思う。
 なら、涼介の性格や内面性はどうか──
 まず、拓海が最近知ったのは。
 口を開けば意外に皮肉屋ということだ。核心を突くことを、しかも歯に衣着せぬ物言いでズバリと言ってくる。わかっていて痛い所を突いているみたいで、タチが悪い。彼のことだから、きっと言葉もよく吟味して皮肉っているのだろう。
 口は悪いのに、彼のことを思い出しても、意地悪だというイメージがない。手厳しいには違いないのに、それが、拓海にはいつも不思議に感じた。
 そして、皮肉は口にする割に、それ以外は彼はあまり多くを語らない。明言するのを控えて、余裕の微笑みを湛えて一歩下がり、後ろから周りを眺めている。
 常に人より先のことを見通しているように見える彼は、だが、彼の頭の中にあるだろう先々の読みを、人には決して告げたりしない。目前の事実のみを受け入れ、己の推測に過ぎないことは一切言及しない。いつだったか、拓海に『何に対しても、「当たり前だ」と思い込まないことが大切なんだ』と涼介は何かのついでのように漏らしていたが、彼のそういう行動は、もしかしたらその信念に関係があるのかもしれない。
 それから、もう一つ。
 涼介は周りの人のことをよく見ている。公私共に最も多忙なのは彼なのに、全体に対して目配りを疎かにしない。任せられることは人に任せ、最後の統括をする能力が抜群なのだと思う。拓海自身、忙しそうな彼に自分の体調が良くないことを見抜かれてしまい、驚いたことも一度あった。
 もし涼介が周りの変化に気付かないとしたら、それは敢えて見て見ぬ振りをしているのだと、拓海は史浩に聞いたことがある。必要な時に必要な分だけ手を差し伸べて、それ以外の時は何もしない。そんな涼介を指して、『あいつは出し惜しみするタイプなんだ。結構冷たいんだぜ』と史浩は苦笑していたが、拓海はそうは思わなかった。…そう思う理由はわからない。ただ何となくそう思う、としか言い様がないのだが、よくわからないけれど、意外に世話焼きの所があるあの涼介がそうするなら、何らかの意図があるんじゃないかと、そう感じる。
 

 適当に脳裏で涼介の性格などを挙げ連ねてみて、拓海は我に返り、落ち込んだ。
 ──オレ、涼介さんのこと、こんなに知ってるじゃん………
 自分自身のことよりも、よっぽど涼介のことをたくさん知っているんじゃないか──と、そう思った。
 涼介のことをよく見て、よく考えて──彼が何を思い、考えているのか知りたくて、ずっと涼介のことを、自分はこんなにも頭に思い描いていたのだ。
 そんな自覚は、まるでなかったのに。
 拓海は、軽く唇を噛んだ。
 ──自分で思ってたよりも、オレ、涼介さんが好きなんじゃねえの?
 こうして、一つ、また一つと涼介の特徴を挙げる度に、こみ上げてきたこの感情は──?
 きっかけは単に、気持ちを否定するために考えてみたという、ただそれだけだった。
 なのに、だんだん心の奥から湧いてくる、引き絞られるように切ないこの想いは──?
 たまらなくなって、拓海はぎゅっと目を閉じた。
 
 ──ダメだ………これじゃあもう、オレ否定できねーじゃんか………
 
 この瞬間に、涼介に恋をしている自分を、拓海は認めざるを得なくなった。
 
 
 
 ◇  ◇  ◇

 あの時に自認してから、自分なりに少しは考えたのだ。
 回転の良くない頭で、よくよく考えてみた。
 尋常じゃない想いを、涼介にぶつけるわけにはいかない。悟られてもいけない。かといって、今すぐ消せる淡いものでももうない。
 ならば──せめて。
 もう少し、今よりも近しい存在になりたい。
 素直に、そう思った。
 彼の望む走りができるような、誰よりも速くて上手いドライバーになれればいい。そしてもっとクルマに関する知識を得られれば、この上ない。
 きっと、涼介もそれを拓海に期待してチームに誘ったんだろうから。
 そんな答えしか出てこなくて、拓海はおかしくなり、小さく笑った。
 結局それは、自分のなりたい理想の姿と寸分も違わない。速さに魅了され、今にも駆け出したい気持ちにさせられる、前へ前へと駆り立てられるこの欲望──自分の心の裡に潜むそれをそのまま体現することが、涼介へ一歩近付くことになるのだ。
 実際の所、ドライバーとしてだけじゃなく個人的にももっと彼を知りたい欲求は、拓海の中から後を絶たない。だが、自分がそれを求めてもいい立場ではないことも、十分わかっていた。
 
 
 
 
 
 好き。
 
 その気持ちは認めるけど、絶対に言わない。
 でも、彼に近付きたい。
 ほんの少しでいい。あと、ちょっとだけ。
 
 だったら──

 速くなるためなら。
 そのための協力としてなら、涼介に指示や指導を仰いでもいいだろうか。
 それなら、傍にいることを許してくれるだろうか。
 無理は言いたくない。
 けれど、もしも、時間に余裕がある時には──
 この自分に、その貴重な時間を割いてくれないだろうか………?
 

 そう思って、ダメ元だからと勇気を振り絞って。
 震える声で辿々しく、拓海が、涼介に話し掛けたあの時。
 
「ダメなんかじゃないさ。…いつがいい? 日を改めた方がいいかな」
 
 涼介は、柔らかく笑ってくれたのだ。
 『ミーティングのついでじゃ、更に時間が遅くなるから、その方が都合いいだろう?』とそう言って。
 拓海はその時、すごく驚いて、でもひどく嬉しくて。
 それはもう、本当に、天にも昇りそうな気分だった。



.....続く     

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