恋い。-1- 

2001.10.14.up

 好き。
 
 多分これは、そういう感情なんだと思う。
 
 彼のことを考えると、嬉しくなれる。
 なのに、同時に心が痛くなる。
 ──もっと会いたくて、傍にいたくて、話したくて。
 望みは尽きることを知らず、体の奥から湧いて出てくる。
 けれど、実際には、なかなかそれができない。
 …思うように振る舞えない、自分がいるから。
 目が合った途端に、狼狽えて自ら目を逸らしてしまったり。話をしたいのに、彼の視線を意識し過ぎるあまり、自分の口は凍り付いて動かず、会話にならなかったり。
 いつもいつも、そうだ。自分で自分が嫌になるほど。
 そしてそんな時、彼は自分を見て、いつだって、困ったような微笑を浮かべるのだった。
 
 髪の色と同じく漆黒の瞳を揺らめかせ、微かに切れ長の目をスウ、と細め。
 薄い唇の両端を、ほんの少しだけつり上げて。
 真顔でいれば、近寄りがたいほど、完璧なまでに整った顔を。
 柔らかく、ほんのりと綻ばせて、微笑むのだ──彼は。
 


 好き。
 
 彼を見ていると、それ以外にもいろんな想いが交錯する。
 長く見つめていると、ただそれだけで想いは様々に変化する。
 たとえば──
 誰かと話す彼の姿を見つけたら、何となく嬉しくなる。
 その時、彼が楽しそうだと、自分もつられて少し心が弾む。
 反面、彼と一緒にいるその誰かを、羨む気持ちも生まれてくる。
 今の自分は、彼を見ているだけで、傍に行けもしないんだと考えて、淋しくなる。
 けれど。
 そうして最後に残るのは、やっぱり好きだということ。
 自分は、他の誰よりも、彼を好きなんだということ。
 だから──
 彼と一緒にいられたら、と願う。
 彼と話ができたら、と思う。
 その時、彼と何らかの約束を交わせたら、と祈る。
 Dのための勉強会でも、何でもいい。
 そしたら、その時間の分だけは、彼は自分といてくれる。どんな約束でも構わない、二人きりじゃなくてもいい、少なくとも周りにいる他の誰かに気兼ねすることなく、一緒にいられる。
 何も特別なことなんかなくても、その限られた時間、ほんの少しでも自分といてくれるなら──それだけで、十分満足。
 それで、かなり幸せ。


「…って、思わなくちゃな………」

 好きだという想い。
 それは、あくまで自分の一方的なものなのだ。
 だから、彼に連絡したり、会ったりできなくても当たり前。
 彼が自分の誘いを断らなかったとしたら、それは偶々珍しく時間が空いていただけ。単に彼が自分に同情して、気を遣ってくれているだけ。何より、プロジェクトDという活動の一環として、面倒を見てくれているだけ。
 絶対に、勘違いしてはいけない。自惚れてはいけない。何も望んではいけない。
 それは──鉄則。
 
 拓海は、今日もそう自分に言い聞かせた。 
 
 
 
 
 
 ◇  ◇  ◇

 本日の拓海の帰宅時刻、9時過ぎ。
 帰宅して真っ先に二階の自室に戻り、大きく息をつく。
「………疲れた」
 つい漏らした一言に、更に脱力感に見舞われた拓海は、ドサッと荷物を下ろすなり、無造作にベッドに向かって背中からダイブした。
 衝撃で、ギシギシと安っぽいベッドが撓み、上下の振動を繰り返す。
 階下では、父親が『うるせーぞ』とでもブツクサ文句を言っているに違いなかった。
 だが、そんなことも、拓海にとってはどうでもよかった。
 とにかく、疲れているのだ。
 服もそのままに、天井をぼんやり眺めてから、目を瞑る。
 だが、視界が閉ざされれば、他の神経が全身隅々まで冴え渡っていることが、手に取るようにわかる。
 疲れ過ぎて気が高ぶっているのだろうか、眠くはない。
 考えることも、しなきゃならないことも、別に何もなく。
 第一、疲れて何もしたくない──と拓海が惚けていると、ふと頭に蘇る記憶。
 それは、今日の午後の出来事だ。
 思い出した瞬間、無意識の内に拓海の口から溜息がこぼれた。
 溜息は小さい。
 だが、気分は先程よりも、至極重いものに変わった。
 
 

 *  *  *

 勤務時間内に携帯へと掛かってくる電話は、9割9分9厘、会社からの連絡である。それは、行き先や時間の予定変更などが圧倒的に多かった。
 ピリリ、と鳴るそれに、丁度手の空いていた拓海は即座に受けた。
「はい」
 集配予定に変更でもあったのかな、などと思っていた拓海の耳に届いたのは、意外な人物の声だった。
『…藤原?』
「えっっ、…りょ、涼介さんっ!?」
 慌てて携帯を持ち変えた。
『悪い、仕事中に。…今、大丈夫か?』
「あっ、は、はい。大丈夫です」
『そうか、よかった。………あのさ、今日のことなんだけど──』
 …突然の電話で、言いにくそうに『今日のこと』。
 この時点で、涼介の用件がどういうものかわかってしまうのも、何だか悲しいものがある。
『…その、どうも、予定より時間が押しそうなんだ…。何時に終わるかは今の段階じゃ、ちょっと………』
 だんだん歯切れの悪くなる涼介の台詞に、拓海は苦笑した。
「わかりました…。今日は中止、ですね」
『………悪い。オレの方から変更を言い出したのに…』
「いえ、そんな………。だって、涼介さんのせいじゃないでしょうし」
 そう、本当に涼介のせいではない。…はずである。
 時々、涼介から聞かされている話だ。確か今、大学ではグループ研究の実験を終えなければならず、しかし進捗状況が芳しくないため、最近集中的に実験を行っている、と言っていた。
 あらゆることにおいて確実に平均以上をこなす涼介が、まさか研究課題で足を引っ張ることはあり得ない。とすると、原因は他のメンバーによるトラブル発生、もしくは手際が悪いための作業遅延、といったところだろう。
 それくらいは、大学のカリキュラムなど全くわからずに聞きかじっているだけの拓海でも、容易に予想がついた。
『…でも、オレの目測が甘かったから…藤原に余計な気をもたせてしまって………悪かったな』
「あの、…ホントに、気にしないで下さい。オレこそ無理言って………すみませんでした」
 それじゃ今は急ぎますんで、これで失礼します、と早口に言い、仕事を理由に、半ば強引に通話を切ってしまった。
 ………急ぐなんて、嘘だった。
 拓海は、もう涼介とは繋がっていないその携帯を暫く眺めてから、伏し目がちに溜息をついた。
 
 
 『ごめんな』『悪い』『済まない』──最近よく涼介から言われる言葉だ。本当に申し訳なさそうに言う彼に、拓海は返答するのにいつも困る。
 それだけ自分に気を遣ってくれるのは、ありがたい。でも、そういう謝罪の言葉をあまり聞きたくはないというのが、本音だ。
 だが、そんな自分の気持ちは、単なる我侭に過ぎないだろう。大体、無理に約束させているのは拓海自身なのだから、ひいては、こうして涼介に断らざるを得ない状況に陥らせているのもまた、自分だということになる。
 仕方がないのだ。誰が悪いわけでもない。
 敢えて言うなら、自分が悪い。
 ちゃんと理解してはいる………のだけれど。
 正直、断りと謝りの言葉ばかり聞かされているのでは、いくら好きな人が相手といえど、気が滅入ってくる。
 ただでさえ、拓海のなけなしの勇気を振り絞って、数度に渡って慣れない誘いを恐る恐る仕掛けているのに対し、涼介がどういう反応を示しているのか、拓海にはわからないのだ。
 迷惑だと思いながらもそれを隠して応対しているのか、さしたる感情もなく事務的に対応しているのか、あるいは、僅かなりとも好意を持って受け止めてくれているのか。
 拓海自身を嫌っていないだろうことは何となくわかるのだが、拓海が個人的な申し出をすることに関して涼介がどう思っているのかは、全くわからない。
 だからこそ、拓海は困っている。
 鈍い自分には、彼の気持ちを察することは決してできないだろう。
 もしも自分が、彼の意に添わぬことをしているのだとしたら──?
 そう考えると、切なくて、やりきれなかった。
 だがその可能性は、ゼロじゃない。

 ゼロじゃないどころか、高いかもしれないのだ。
 ………拓海が気付いてないだけで。
 
 涼介の断る回数の多さが、それを物語るかのように、拓海には思えた。



.....続く     

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