欲しいもの-1- 

2001.9.15.up

 何も、いらない。
 
 
 オレ-高橋涼介-がはっきりそう告げると、藤原の顔が少し曇った。
 曇ったというよりも、戸惑いも露に、困った表情をしている。
 欲しいものはありますか? と、藤原が訊くもんだから、答えたまでなんだがな…。
 "そういったものは、残念ながらオレには何もない"
 と、そんな意味合いのことを、そのまま率直に言った。
 本当だから、当然オレが困ったりするわけはない──のだが。
 …藤原は困るだろう、とは思っていた。
 
 
 
 
 ◇  ◇  ◇

 一泊二日の遠征、第二日目──つまり、今日はバトル当日だ。
 クルマのセッティングを煮詰め、その他全ての作業が一段落着いた頃には、辺りはもうすっかり日が暮れ、夕空は夜空へと変化しつつあった。
 珍しく手の空いたオレは、他の連中が話に花を咲かせているのを少し離れた所から一人でボーッと眺めている藤原を見つけた。
 暫く様子を窺ってみると、藤原は、足に根が生えたみたいにいつまでもそこにじっと佇んでいる。たった一人でいるその静かな場所から、一歩も動く気がないんだな、ということがつぶさに見て取れて、何となく笑ってしまう。退屈そうだが、それもまた藤原にとっては苦痛じゃないんだろう。
 そして、徐々に見ているだけじゃ飽きたりなくなってきたオレは、思い立って、藤原に近寄って声を掛けた。
 すると、藤原はこれ以上ないというほどに大きく目を見開いて、あからさまに驚いた表情を見せた。
 だが、取りあえず、そこに拒絶の色は微塵も窺えない。
 そのことにオレは内心ホッとしながら、藤原にニッコリ笑ってみせた。
 
 藤原と話すのは、他愛のない雑談ばかりだ。
 クルマ関係の話題にやや偏ってしまうのは、致し方ない。お互いに共通していると思われる話題は、それ以外には少ないわけだし。
 だが、クルマ関係と言っても、少なくともオレは、わざわざこんな休憩の時間にレクチャーしようという気はない。
 まして、相手は藤原だ。
 理論や知識も確かにある程度必要だが、それらだけを教えるより、実戦とともに覚えさせていった方が余程こいつのためになる。一般論としてその方が効率がいいというのもあるが、何より緊張感や集中力を伴った本番での藤原の吸収力と適応力が、半端じゃないからだ。だからこそ、敢えて論ずることのみに焦点を当てなくてもいいだろうと、オレは常々思っている。
 今回のバトルに関しては、既にポイントを言ってあるから、これ以上の助言は必要ないだろう。
 そうして、口数の少ない藤原のペースに合わせ、最近の日常生活はどうだとか、色々な話をしているうち──誕生日の話になった。
『涼介さんは…何か欲しいものって、あります? …あの、たとえば…プレゼントして貰えるとしたら、何が欲しいですか…?』
 そう訊かれた時のオレの答えが、さっきの台詞だ。
 ──プレゼント、か…
 と、呟いてみて。
 
「特にはないな…。別に、何もいらない」
 
 オレは言葉を飾らずにキッパリ言った。
 対する藤原は、もしかして怪訝な顔をしたりするんだろうか、と思っていたら案の定、驚きと困惑の入り交じった顔をこちらに向けてくる。
 …その表情が、少しだけガッカリしたようにも見えたのは、オレの気のせいだろうか。
 ………まさか、オレに何かくれるつもりだったとか?
 藤原がか?
 まさか、な。
 
 こういう時の藤原は結構読みやすい表情をしてるんだよな、と頭の片隅で思ってこっそり笑いながら、オレは黙ったまま、困惑顔の藤原の瞳を見返していた。
 単に見てただけじゃなくて、藤原の反応を待っていた、と言った方が正しいか。
 すると、一拍の間を置いて。
「『何も』、ですか………」
 納得したような、してないような、何とも複雑な顔でオレの言葉を繰り返し、藤原は僅かに首を傾げてオレを見る。
 その問い掛けを含んだ眼差しに、もう少し詳しく説明する必要性を感じたオレは、軽く苦笑して口を開いた。
「誤解するなよ。オレは、否定や拒絶の意味で言ったんじゃないぜ?」
 言うと、藤原はきょとんとした。
 てことは、やっぱり多少の誤解があったんだな──と思い、オレは更に言葉を続けた。
「そういう祝ってくれる気持ちはすごく嬉しいし、それを形にしてくれるのももちろん嬉しいさ。…けど、それって単に"もの"が欲しいんじゃなくて、心がこもっていることに意味があるんだから………オレとしては気持ちだけ貰えたらかなり幸せなわけだ。…まあ正直な話、個人的には、プレゼントは"無くてもいいオプション"くらいにしか、実は考えてない」
 …本当に欲しいものは、金出しゃ買える類のものじゃないしな。
 我ながら半ば説教じみてしまった台詞の最後は、別に聞こえなくてもいい、と本当に小さくひとりごちた。
 だが、藤原にはそれが聞こえたみたいで。
 表情を改めて、そうなんですか、と納得したように呟いた。
 藤原なりにわかってくれたようだ。
 オレを理解しようとしてくれていることはよく伝わってくるから、嬉しくてむず痒い感覚を覚える。
 まいったな、とオレは浮かれた己の感情を、少し笑う。
 …けれど。
 それでも、実際には理解してないんだろうと、そう思った。
 藤原はわかってない。
 ──オレがいらないと言う、真の意味を。
 
 
      ………なあ、お前は知らないだろう?
      "もの"なら、オレは何もいらない。
      だけど。
      何でもいいというなら、一つある。
      叶えてくれるなら、そのたった一つを選ぶ。
      欲しいのは、"もの"じゃなくて。

      何だと思う?
 
      オレが欲しいのは、──お前。
      藤原拓海。
      お前なんだ。
 
 
 傍にいる藤原を、オレは見つめた。
 オレと話をする時は大抵、顔を僅かに背け、横顔をこちらに向けている。そもそも、オレが近くにいるだけで藤原の頬は紅潮していたりするのだ。どうやら本人もそのことを気にしているようで、おそらくは赤くなった顔を隠すために、オレとあまり正面から向き合わないんだろう。
 普段からそんなふうだから、今も藤原は自分の気を散らすのに手一杯で、あからさまなオレの視線にちっとも気付かない。
 こっちを見てほしいと思わないでもないが、それでも構わない。
 …いや、むしろ今はその方がいい。気付かれない方が、かえって遠慮なく見ていられる。
 オレは、自分の記憶に焼き付けたいんだ。
 
 藤原の、表情。仕草。声。
 柔和な外見に反する、性格。考え方。…その他、諸々の。
 オレの知り得る限りの。
 ──『藤原拓海』を構成する、全てを。
 
 
      近い未来。
      いつか、お前はオレの手の届かないところに行く。
      オレにはわかるんだ。
      そしてオレ自身は、その行く末を見守ることしかできない。
      ここにとどまったまま、背中を見続けることしかできない。
      その背中さえ次第に遠ざかり、オレにはいつしか見えなくなるだろう。
      わかっている。
      なのに。
      オレは、お前に惹かれたんだ。
 
      お前の才能に憧れてる。だけど、それだけじゃなくて。
      お前自身にも惹かれた。
      どこに惹かれたか、問われても答えられない。
      いっそ、全部、という陳腐な答えが本当なのかもしれない。
      理屈じゃないんだ。
      ただ、お前に引力を感じる。惹きつけられる。
      どうしようもなく──今の、この刹那の時でさえ。
 
      他の何もかもがどうでもいい、と思う時すらある。
      根こそぎお前の全てを奪いたい。
      それだけを、願うほどに。
      藤原だけを、渇望する。
      お前しか、いらない──
 
      そう考えてしまう瞬間が、オレには確かにあるんだ。
      足元さえ掬われそうなくらい、強く。
      目眩をおこしそうなくらい、激しく。
      藤原を想う──そんな瞬間が。
      
 
 とりとめもないことをオレが考えているうちに、藤原は、どうやら自分がずっと見られていたのに気付いたらしい。
 改めて見れば、何やらそわそわと落ち着かない様子で視線を泳がせ、先程より頬を赤く染めてそっぽを向いている。
 だが、今にもこの場を去りそうなのに、それでも藤原がここを離れていくような気配はない。
 それどころか、逆にオレに話し掛けてきた。



.....続く     

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