何も、いらない。
オレ-高橋涼介-がはっきりそう告げると、藤原の顔が少し曇った。
曇ったというよりも、戸惑いも露に、困った表情をしている。
欲しいものはありますか? と、藤原が訊くもんだから、答えたまでなんだがな…。
"そういったものは、残念ながらオレには何もない"
と、そんな意味合いのことを、そのまま率直に言った。
本当だから、当然オレが困ったりするわけはない──のだが。
…藤原は困るだろう、とは思っていた。
◇ ◇ ◇
一泊二日の遠征、第二日目──つまり、今日はバトル当日だ。
クルマのセッティングを煮詰め、その他全ての作業が一段落着いた頃には、辺りはもうすっかり日が暮れ、夕空は夜空へと変化しつつあった。
珍しく手の空いたオレは、他の連中が話に花を咲かせているのを少し離れた所から一人でボーッと眺めている藤原を見つけた。
暫く様子を窺ってみると、藤原は、足に根が生えたみたいにいつまでもそこにじっと佇んでいる。たった一人でいるその静かな場所から、一歩も動く気がないんだな、ということがつぶさに見て取れて、何となく笑ってしまう。退屈そうだが、それもまた藤原にとっては苦痛じゃないんだろう。
そして、徐々に見ているだけじゃ飽きたりなくなってきたオレは、思い立って、藤原に近寄って声を掛けた。
すると、藤原はこれ以上ないというほどに大きく目を見開いて、あからさまに驚いた表情を見せた。
だが、取りあえず、そこに拒絶の色は微塵も窺えない。
そのことにオレは内心ホッとしながら、藤原にニッコリ笑ってみせた。
藤原と話すのは、他愛のない雑談ばかりだ。
クルマ関係の話題にやや偏ってしまうのは、致し方ない。お互いに共通していると思われる話題は、それ以外には少ないわけだし。
だが、クルマ関係と言っても、少なくともオレは、わざわざこんな休憩の時間にレクチャーしようという気はない。
まして、相手は藤原だ。
理論や知識も確かにある程度必要だが、それらだけを教えるより、実戦とともに覚えさせていった方が余程こいつのためになる。一般論としてその方が効率がいいというのもあるが、何より緊張感や集中力を伴った本番での藤原の吸収力と適応力が、半端じゃないからだ。だからこそ、敢えて論ずることのみに焦点を当てなくてもいいだろうと、オレは常々思っている。
今回のバトルに関しては、既にポイントを言ってあるから、これ以上の助言は必要ないだろう。
そうして、口数の少ない藤原のペースに合わせ、最近の日常生活はどうだとか、色々な話をしているうち──誕生日の話になった。
『涼介さんは…何か欲しいものって、あります? …あの、たとえば…プレゼントして貰えるとしたら、何が欲しいですか…?』
そう訊かれた時のオレの答えが、さっきの台詞だ。
──プレゼント、か…
と、呟いてみて。
「特にはないな…。別に、何もいらない」
オレは言葉を飾らずにキッパリ言った。
対する藤原は、もしかして怪訝な顔をしたりするんだろうか、と思っていたら案の定、驚きと困惑の入り交じった顔をこちらに向けてくる。
…その表情が、少しだけガッカリしたようにも見えたのは、オレの気のせいだろうか。
………まさか、オレに何かくれるつもりだったとか?
藤原がか?
まさか、な。
こういう時の藤原は結構読みやすい表情をしてるんだよな、と頭の片隅で思ってこっそり笑いながら、オレは黙ったまま、困惑顔の藤原の瞳を見返していた。
単に見てただけじゃなくて、藤原の反応を待っていた、と言った方が正しいか。
すると、一拍の間を置いて。
「『何も』、ですか………」
納得したような、してないような、何とも複雑な顔でオレの言葉を繰り返し、藤原は僅かに首を傾げてオレを見る。
その問い掛けを含んだ眼差しに、もう少し詳しく説明する必要性を感じたオレは、軽く苦笑して口を開いた。
「誤解するなよ。オレは、否定や拒絶の意味で言ったんじゃないぜ?」
言うと、藤原はきょとんとした。
てことは、やっぱり多少の誤解があったんだな──と思い、オレは更に言葉を続けた。
「そういう祝ってくれる気持ちはすごく嬉しいし、それを形にしてくれるのももちろん嬉しいさ。…けど、それって単に"もの"が欲しいんじゃなくて、心がこもっていることに意味があるんだから………オレとしては気持ちだけ貰えたらかなり幸せなわけだ。…まあ正直な話、個人的には、プレゼントは"無くてもいいオプション"くらいにしか、実は考えてない」
…本当に欲しいものは、金出しゃ買える類のものじゃないしな。
我ながら半ば説教じみてしまった台詞の最後は、別に聞こえなくてもいい、と本当に小さくひとりごちた。
だが、藤原にはそれが聞こえたみたいで。
表情を改めて、そうなんですか、と納得したように呟いた。
藤原なりにわかってくれたようだ。
オレを理解しようとしてくれていることはよく伝わってくるから、嬉しくてむず痒い感覚を覚える。
まいったな、とオレは浮かれた己の感情を、少し笑う。
…けれど。
それでも、実際には理解してないんだろうと、そう思った。
藤原はわかってない。
──オレがいらないと言う、真の意味を。
………なあ、お前は知らないだろう?
"もの"なら、オレは何もいらない。
だけど。
何でもいいというなら、一つある。
叶えてくれるなら、そのたった一つを選ぶ。
欲しいのは、"もの"じゃなくて。
何だと思う?
オレが欲しいのは、──お前。
藤原拓海。
お前なんだ。
傍にいる藤原を、オレは見つめた。
オレと話をする時は大抵、顔を僅かに背け、横顔をこちらに向けている。そもそも、オレが近くにいるだけで藤原の頬は紅潮していたりするのだ。どうやら本人もそのことを気にしているようで、おそらくは赤くなった顔を隠すために、オレとあまり正面から向き合わないんだろう。
普段からそんなふうだから、今も藤原は自分の気を散らすのに手一杯で、あからさまなオレの視線にちっとも気付かない。
こっちを見てほしいと思わないでもないが、それでも構わない。
…いや、むしろ今はその方がいい。気付かれない方が、かえって遠慮なく見ていられる。
オレは、自分の記憶に焼き付けたいんだ。
藤原の、表情。仕草。声。
柔和な外見に反する、性格。考え方。…その他、諸々の。
オレの知り得る限りの。
──『藤原拓海』を構成する、全てを。
近い未来。
いつか、お前はオレの手の届かないところに行く。
オレにはわかるんだ。
そしてオレ自身は、その行く末を見守ることしかできない。
ここにとどまったまま、背中を見続けることしかできない。
その背中さえ次第に遠ざかり、オレにはいつしか見えなくなるだろう。
わかっている。
なのに。
オレは、お前に惹かれたんだ。
お前の才能に憧れてる。だけど、それだけじゃなくて。
お前自身にも惹かれた。
どこに惹かれたか、問われても答えられない。
いっそ、全部、という陳腐な答えが本当なのかもしれない。
理屈じゃないんだ。
ただ、お前に引力を感じる。惹きつけられる。
どうしようもなく──今の、この刹那の時でさえ。
他の何もかもがどうでもいい、と思う時すらある。
根こそぎお前の全てを奪いたい。
それだけを、願うほどに。
藤原だけを、渇望する。
お前しか、いらない──
そう考えてしまう瞬間が、オレには確かにあるんだ。
足元さえ掬われそうなくらい、強く。
目眩をおこしそうなくらい、激しく。
藤原を想う──そんな瞬間が。
とりとめもないことをオレが考えているうちに、藤原は、どうやら自分がずっと見られていたのに気付いたらしい。
改めて見れば、何やらそわそわと落ち着かない様子で視線を泳がせ、先程より頬を赤く染めてそっぽを向いている。
だが、今にもこの場を去りそうなのに、それでも藤原がここを離れていくような気配はない。
それどころか、逆にオレに話し掛けてきた。
.....続く
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