欲しいもの-2- 

2001.9.15.up

「あ…あの………涼介さん?」
 どうした? と視線でオレが促すと、藤原は怖ず怖ずと切り出した。
「オレも、………涼介さんと同じです…。あっ、でも、全く同じ…じゃないと、思いますけど…」
 考え考え喋る藤原の口調は、かなりゆっくりだ。
 じっくり聞くには丁度良い話し方だし、慣れればそののんびりした感じもすごく藤原らしくて、オレはいたく気に入っている。
 意味もなく、つい頬を綻ばせて微笑むくらいに。
「…それって、"欲しいもの"のことか?」
「あ、はい。…オレも、欲しいものはって訊かれたら、きっと困ると思います…。だってオレの場合、欲しいものなんか、すげー少ないんスよ…。それに…"もの"っていうのとも、ちょっと違ってて………」
 少ない、と聞いて、オレはやっぱりそうか、と心の中で納得した。
「端から見ててもそんな感じだぜ、藤原って。あんまり自己主張しないからだろうな、欲がないように見える。…確かに欲しいものは少なそうだ」
 なるほど、と軽く頷くオレに、藤原は少し考える素振りをする。
「………えっと…欲がない、っていうんじゃなくて………。何ていうか…オレ、拘ったらとことんまでいっちゃうんですよ…。周りとか見えなくなって。そうなったら最後、…飽きること知らねーし。…で、その分、他に興味沸かないみたいな………。だから、…オレ、どっちかというと貪欲な方だと思うんですけど」
 ………多分。
 と、藤原は自信なさそうに付け加える。そして、口を尖らせて、また別のことを呟いた。
「………………でも最近はなんか…どうしたらいいのかわかんねー、かな………」
 藤原の話し方だと主語がないことが多くて、パズルのようだ。
 だから、当たりをつけて訊くという確認作業が、割と肝要だったりする。
「…『どうしたら』って、…欲しいものがどうやったら手に入るかわからないっていう意味か?」
 オレは首を傾げて訊きながら、何となく気になって、藤原の"欲しいもの"とやらが何なのか、考えを巡らせていた。
 ──今以上の、ドライビングテクニック? あるいは速さ?
 取りあえず、そういうことしか予想できない。
 …全く、クルマバカもここに極まれり、って感じだなオレも。
「…そう…ですね………。オレ、バカだし…考えんのすっげえ苦手なんで………」
 曖昧に頷き、カリカリと鼻の頭を指で掻きながら苦笑する藤原に、オレはクスリと微笑った。
「そういえば…藤原はよく『考えるのが苦手だ』って言ってるよな」
「…はあ。ホントのことですから…。…でも、いくら考えても無駄だってわかったし………だからオレ、もうこれ以上考えんのやめるんです」
 思わず、ほう、とオレは感嘆してしまった。
 断定でものを言う藤原を、初めて見た。
「立ち止まっても仕方ないし、なるようにしかなんねえし…。直球勝負でいこうかと」
 もう決めたんです、と厳かに宣言する藤原に、そうか、とだけ返した。
 何のことだか、オレにはさっぱりわからない。
 きっと、オレは知らなくていいことなんだろう。
 藤原のそれは、自分に言い聞かせる台詞のようで、オレが聞こうが聞くまいが関係なさそうだった。
 すると。
「いいですか…?」
 藤原は、緊張感を僅かに漂わせ、オレにそう訊いてきた。
 何のことを言ってるのか、藤原の言葉は本当に唐突過ぎて、オレには全然わからない。
「何がだ?」
「…勝負、かけても…」
 言って口ごもる藤原に、何だ、とオレは笑って返した。
「いいんじゃないのか? 藤原の好きにしたら。大体、藤原自身の問題なんだから、オレがとやかく言う権利なんかないよ。それに、オレにはよくわからないけど…、自分でこうすると、もう決めたんだろう?」
 藤原の顔を覗き込むと、予想外に真剣な瞳とぶつかる。
 口元に淡く微笑みを浮かべ、はい、と答える藤原は、少し大人びた雰囲気を醸し出していた。
 それは、オレが今まで知らなかった藤原の顔だ。
 目を奪われて、思わずそのまま見ていると、不意にふわりと空気が動いた。
 藤原が動いたのだ。
 ようやくこの場所から移動する気になったのか、とその動きを目で追っていると、そうではなかった。
 身を翻したかと思うと半歩近寄り、小声で涼介さん、と呼ぶ藤原に、内緒話かと得心したオレが、反射的に少し屈んで顔を近付ける。
 すると更に、もう半歩、藤原がスッと近付いて。
 
 唇と唇が、重なった。
 
 一瞬だけ触れたそれは、あっという間に離れた。こっちが残念に思うほど、呆気なかった。
 …乾いた温い感触が残り、胸の奥にしまっていた甘やかな感情が、呼び起こされる。
 だが、驚愕のあまり、オレは硬直したまま突っ立っているだけだった。
 大した反応を見せないオレに、藤原は、懇願するような瞳を向けてくる。
「…すみません。いきなり。でも、オレ…本気なんです。さっき言ってたのは、涼介さんのことなんです。…それ、わかって貰いたくて」
 切羽詰まったようにそう言われても、やっぱりオレは混乱していて、まだ言葉が出てこない。
 何というのか、………相当な衝撃を食らわされた。はっきり言って、精神的にノックダウンされた状態に等しい。
 オレが黙っていると、とうとう藤原は傷ついたように悄然と目を伏せた。
「嫌なら…そう言って下さい。…それでも………多分、諦められないと思うけど…」
 掠れた声で早口に言うなり、逃げるように背を向けて立ち去った。

 
 オレはといえば。
 藤原を追うことはおろか、声を掛けることすらできず。
 今もまだ、呆然と立ち尽くしている。
 ………やっぱり藤原はわかってない、らしかった。
 オレの中の激情の、全てが藤原に向かっていること。
 クールと他人に評される仮面の下では、理性の抑制が効かないほどに、オレの感情や本能が藤原だけを追い求めていることも。
 何もわかっちゃいないんだ。
 わかっていないのに、ああいう行動に出る藤原に、オレは胸の辺りがひどく熱くなった。
 本気なのだと、藤原は言っていた。
 その前には、自分を指して貪欲な方だとも、言っていた。
 そういう気持ちをどうすればいいかわからなくて、でも伝えたくて。
 だから、オレにキスをした──
 そういうこと、らしい。
 そんな藤原への愛しさが、この身を焼き尽くしそうなほどに高まって。
 オレは、その狂おしい感情に圧迫されて息苦しくなり、堪えるために目を瞑り、一つ熱い吐息をついた。
 
 
      これからどんどん成長していって飛翔するお前に、オレの手は届かない。
      地上に縫い止められたオレには、背中を見ることしか許されない。
      それは、きっと変えられないだろう。
      けれど。
      望んでもいいのだろうか。
      叶えられるだろうか。
      信じてもいいだろうか。
 
      お前の隣にいつでも並び立てる立場には、いられないけれど。
      心は-----近しいところにあると。
      この想いは、自分だけのものではないと。
      お前が戻ってくるとすれば、戻りたいとすれば──
      それは、オレの傍なのだと。
 
 
 藤原の言った意味は、多分──
「そういうこと、だよな…?」
 そっと瞼を上げ、目を開ける。
 呟いてから、オレは藤原のことを考えた。
 オレが何も言わないのを早合点して、脱兎の如く逃げてしまった藤原のことを。
 そして、藤原に掛けるべき第一声を。
 ………藤原のことだ。誤解を解いても解かなくても、バトルに影響がないのは、わかっている。
 けれど、誤解されたままでいるのは、嫌だ。
 せめて、今日のバトルが始まる前までに。
 
 
 
 
 
 どう言えばいいんだろう?
 まずは、何から話せばいいんだろう?
 藤原にオレの想いを上手く伝えられるかどうか、ちょっと自信がない。
 だけど、──そう。
 オレが描いたはずの未来のシナリオを、大幅に変更したことの責任は、果たして貰わなければ。
 オレの方が、お前に執着しているんだ。
 お前が、それをわかってないだけで。
 
 ──なあ。お前、結構責任重大なんだぜ? 藤原。
 
 せいぜい覚悟しておくんだな、と仄かに微笑んで。
 幾分か冷えた夜気を吸い込み、オレは、闇夜に輝く宵の明星を見上げた。



終     

   

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