少々ぎこちない動作で振り向いた涼介と、拓海の視線が、絡み合う。
「藤原…お前、…──」
放心したまま、涼介はそれだけ言って、言葉を途切らせた。
まさに驚愕の色一色に彩られた涼介の目を、拓海は逃げを打ちそうになる自分を叱咤しながら、見つめ返した。どのみち、どこだかわからない場所で、涼介のFCのナビシートにいるのだ。どこに逃げることもできない。
いつもは自信に満ちた端麗な涼介の容貌──それが、今は暗がりの中とはいえ、動揺を押し隠しもせず拓海に向けられており、常に理知の光を瞬かせている瞳は、複雑な色を放って痛いほどに真っ直ぐこちらを見つめている。
拓海は、その視線に拘束され、己の動悸の激しさに目眩すら覚えながらも、涼介が何か言うのを息を殺して待った。
けれど、涼介の口からは、なかなか続く台詞が出てこない。拓海を見つめ、物言いたげに唇を開くのに、言うべきことを選び兼ねているのか、一言も発せられない。
暫く逡巡した挙げ句、結局喋ることを断念したのだろう。涼介は額にゆるゆると掌を当てた。瞼を軽く伏せ、脱力してシートに体を預け、深く嘆息する。
「………………びっくりした………」
微かに聞こえた独り言と、疲れたかに見えるその所作に、思わず拓海は謝ってしまう。
「…す、すみません………………」
「いや…、その──悪い…。少し…混乱してる………」
言って、涼介は困ったように押し黙った。
あまり表情を変えない彼の、初めて見るその様子に、目が離せなかった。
──涼介の、呼吸する度に上下する胸郭。そして、悩ましげに心持ちひそめられた柳眉。
拓海はついつい、普段意識しない彼の微細な仕草までも追い掛け、コクリと生唾を飲み込んだ。
何と言っても、あらゆる方面において万能で、常に泰然としている涼介だ。だから、多少驚いても上手く躱すだろうと、そんな気がしていたのだ。それが、まさか本気で悩ませることになろうとは思ってもみなくて、逆に、罪悪感に似た感情さえ沸いてくる。第一、今までの彼は、多少困った顔をしていてもいつだってその対処は至って的確かつ速やかで、本当に考え込んでいる場面など、プロジェクトDにおいても数えるほどなのだ。…拓海の知る限りでは。
再び落ちた沈黙に少しずつ圧迫され、わけのわからぬ緊張感に押し潰されそうになった頃、やっと涼介の声が耳に届いた。
「…藤原。オレに電話をくれたのは、…このためか?」
「………あ、…オ、オレ、急にどうしても、言いたくなって…、だったら直接言おうって………………」
──涼介さんに、オレの気持ち、知ってて欲しかったから。
いつの間にか再び涼介が自分のことをじぃっと見ているのに気付き、拓海は途中からどぎまぎしながら言葉を綴った。
自分の心も、頭の中も、全部見透かされてる──
そんな錯覚に陥るほどに、涼介の視線を強く感じた。
ただでさえ、大切に仕舞っておいた感情を眼前に曝け出しているのだ。一生隠しておくつもりだった、偽りのない本当の気持ち──それを本人に知られたかと思うと、恥ずかしくてたまらない。そして、それ以上に…怖い。自分で覚悟を決めたはずなのに、涼介の目に自分がどう映っているのか、知るのが怖い。言ってしまった後では、羞恥よりも怖さの方が上かもしれない………情けないことだが。
正直、頭の中も真っ白で、気が気じゃなくて、自分でも半分言っていることがわからなかった。
「え、と…普通の、好き…じゃなくって…──」
「…わかってる」
しどろもどろの拓海の台詞をやんわり遮ると、涼介は僅かに目を伏せた。
長い睫が目元に濃い影を落とす。
「ちゃんと、わかったよ…お前の気持ち」
涼介は、きちんとまともに受け止めてくれたのだ。その上で今、返答に窮している。
…ちゃんと想いを伝えられたのだ。自分は。
拓海は少しだけ、安堵とほんのりとした暖かさに包まれた。
男が男を好きだという告白。普通に聞けば嫌悪を伴うはずであるのに、涼介は厭いもせずに聞いてくれた。笑ってごまかすことも、冗談かと疑うこともなく、言ったままを信じてくれた。それ自体が一般的な反応ではないということは、いくら何でもわかっている。
どんなことでも、ありのままを受け入れることのできる涼介だから。人の気持ちを察して思いやることが自然と出来る彼だから。相手が涼介だからこそ、拓海の告白に驚きはしても、蔑視には値しないのだ。
たとえ常識から外れていることでも、本気には本気で以て応えてくれる。
だからこそ、誠意をもって拓海に答えようとしてくれている。
先程までの極度の緊張状態が幾分か和らいできて、少し落ち着いてきた拓海は、涼介に小さく呼び掛けた。
実は、パニくっている心臓は、未だにちっとも鎮まってはくれていない。それどころか、涼介とバチッと目が合うなり、心拍数がまたも上昇し始める始末。
いくら待てども、リラックスするなんて不可能なのだ。涼介の傍にいる限り。
わかっているから、拓海は興奮状態にある己自身を持て余しつつ、慎重に言葉を重ねた。
「気に…しないで下さい。オレ、別に…涼介さんを困らせるつもり、全然ねーし…迷惑掛けたくないし…。ホントに、ただ…知っててほしかっただけで………。真剣に聞いてくれて、オレ、すげー嬉しかった」
「藤原………」
「だから、…いいんです」
拓海は涼介から微妙に目線をずらした。
──言えたから、もういい。
そう思おうとした。そう思わなければならなかった。これで、一応の区切りがついたのだ。
それを幾度も言い聞かせた。
──二ヶ月後、プロジェクトDの活動が終わって涼介と会うこともなくなれば、どうなるのか?
…ずっと涼介を想い続けるかもしれない。あるいは、いつしか気持ちは薄れていくかもしれない。ただ、今は目の前のことで手一杯だから、先のことはその時考えればいい。
取り敢えず二ヶ月間だけは、今の状態のままでいられる。週末になれば、会える。プロジェクトDのチームリーダーとそのドライバーという形で。──それで満足しなければ。
拓海が、自分の不器用さを十分承知の上で、今までの想いにせめて一区切りつけようと、内心で躍起になっていた時だった。
「──いいって、何が?」
「え…?」
「…よくないよ。全然。それでいいって…そんなわけないだろ」
ポツリと漏らされた涼介の静かな一言に、ズキンと胸に痛みが走った。
僅かに外した視線を再び涼介に戻すつもりだった。が、それも拓海にはできなくなった。
『それでいいわけがない』
単に、拓海を拒絶しているのではないことだけは、何となくわかる。だが、涼介が何を言いたいかまでは把握しきれない。
…或いは、涼介にとってはやはり不愉快なことだったと、そう言っているのだろうか。
わからない。
だが少なくとも、拓海の何らかの非を責めていることは、間違いない。
もしそうならば、言える言葉は一つだった。
「………すいませ…──」
「そうじゃなくて」
最後まで言わせず、被せるようにして涼介は否定し、藤原、と呼び掛けた。
.....続く
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