シートベルトを締めた途端、スウッとしなやかに加速する。その重力を受け、暫く涼介の運転に身を任せていると、拓海はようやっと実感が沸いてきた。
………今自分が乗っているのは、涼介のFC。呼び出したのは、他でもない、この自分だ。
呼び出した理由はというと、………伝えるためだった。己の気持ちを、涼介に。
隣でステアリングを握る涼介を、拓海はチラリと見た。──刹那、トクンと跳ねる鼓動。
徐々に速まってくるそれは鎮まることなく血液を全身に循環させ、必要以上に体を火照らせた。
比例して、どうにもとまらない緊張と、喉の渇き。
妙に涼介を意識してしまい、何とか落ち着こうと、拓海は口を開いた。
「涼介さん………あ、あの、すいません…。何か、オレ………いきなり…呼び出したりして………」
「謝るなって。オレがしたくてそうしたんだから。………それに、オレは割と好きなんだ。こういう突発的なこととかさ」
「突発…ですか?」
涼介はそう、と軽く頷いた。
「予定外だとか、予想の付かないことだからこその楽しみ、っていうのかな………。そういうのは、突然じゃないと味わえない、いわば醍醐味ってもんだろ? 藤原からの電話、なんて滅多にないものを貰えて、オレは嬉しかったしな。だから、気にすることなんか、本当にないぜ。──あ、話は変わるけど、藤原はどこか行きたいところあるか?」
いえ、と反射的に短く答えた拓海に、それじゃあ適当に、と微笑んで、涼介は受け流した。
言った通り、今の状況を楽しんでいるような涼介の態度に、拓海は安堵の息を吐くものの、体の強張りは解けなかった。
滅多に乗る機会のない涼介のFCの中で、プロジェクトD以外で初めて涼介と顔を合わせているのだ。それだけでなく、今日の涼介はいつもより柔らかい雰囲気を醸し出しているようにも感じる。そのため、どこかしらこそばゆい感覚が抜けない。
これがクルマの中であり、明るい光に照らされていない分だけまだマシだと言えた。もし明るければ、まるで涼介と出会った当初のように頬を赤らめ緊張している拓海に、涼介が気付かぬはずもない。
拓海にとっては、彼に気付かれていないという事実が、僅かながら余裕を持たせてくれていた。
「…仕事、早く終わったんだな。確か以前に、日によって負担が大分違うって言ってたけど、今日は忙しくなかったのか?」
「え、いえ…今日は………」
さりげなく、当たり障りのない話題を提供してくれる涼介に、普通に答えようとして、拓海は言い淀んだ。
今日の仕事はどうだったのか──そう訊かれても、仕事に関してはよく覚えていないのだ。はっきり言って、考えるのは仕事以外のことばかりで、それに気を取られてしまって、忙しかったかどうかもよくわからない。
ずっと、涼介のことだけ考えていたのだ。
──それを、今…言うべきだろうか?
正直に、ありのままを。
自分の気持ちを。
この、どこにも逃げ場のない、走行中のFCの中で………?
そう思った瞬間、心臓は、これでもかというくらい暴れだし、ドクドクと鼓動を速めてきた。
たった一言告げるためだけに、最高潮に達する緊張感。
頭に向かって逆流する、血液。
──単語一つ言うだけだ。
今日と決めたのだから、少しの時間を先延ばしにしようが同じことだ。
拓海は、覚悟を決め、一つ大きく息を吸った。
「………オレ、今日はずっと…それどころじゃ、なかったから………」
声が震えないように気遣いながら言った。
「え?」
「…今日…は、仕事どころじゃなくて…他のことで頭いっぱいで、オレ………」
「──…ああ、そうか…」
そりゃそうだよな、と涼介は口の中で呟いた。
クルマを運転している手前、拓海に向き直ることはなかったが、トーンの微妙に落ちた声と僅かに伏せられた目には、憂いが込められていたような気がした。少なくとも、拓海にはそうと取れた。
だから、否定する。
涼介はきっと、誤解している。
「違うんです」
「藤原………?」
「…オレ、まだ………その、言ってない…んです。オレの…気持ち」
すいません、と謝って、うるさくがなりたてる心臓を宥めつつ、拓海は少し俯いた。
涼介が慰めてくれようとしている分、嬉しさと同様に申し訳なさも募っていた。向けられる優しさはきっと拓海への同情に違いないのに、それを受け取る資格は今の自分にはなくて、何だかいたたまれなかった。
けれど、対する涼介は少しも気分を害した様子はなく。
「何だ、そうなのか………。…別に、オレに謝る必要はないよ。それで、結局言わないことにしたのか?」
戸惑いと疑問を乗せて、横目でチラリと拓海を流し見た。
その涼介の瞳が、対向車のヘッドライトに照らされ、一瞬鈍い光を放って揺らめく。
闇に濡れた黒曜の瞳に、拓海はドキリとする。
胸の高鳴りは変わらず息苦しいほどで、けれどそれは治まりそうにもなく、そのまま思う様に言葉を連ねた。
「…いえ…これから、言うんです。やっぱり、知っててもらいたいから………涼介さんに…」
「オレに? …話を聞く位だったら、オレで良ければ──」
「そうじゃなくて…その………」
──さっさと言っちまえ。
心臓が壊れるのも時間の問題だと、拓海は思った。
今度こそ、脈拍、血圧ともに臨界点に違いなかった。
口からはみ出そうなくらい、心臓が内側から胸郭を激しく叩いている。
それでも、勇気を出して拓海は顔を上げ、涼介の横顔を見つめた。
「オレ…涼介さんのことが、好きなんです。ずっと、…好きだったんです」
──言えた。ようやく。
声を、やっとのことで絞り出した。…ちゃんと伝わりますように、と願いながら。
言った後も、全力疾走した直後みたいに、全身が心臓と同化して脈打っている。何度も息を整えようとしているのに、まともな呼吸がちっともできない。
二人の乗るFCは丁度その頃、信号が疎らにあるだけのなだらかな斜面を走っていた。片側一車線の狭い道で見通しも悪く、脇見が出来るような道路ではないために、涼介が拓海の方を振り返ることはなかった。
運転に乱れはない。反応も一向に返ってこない。
けれど、告白が聞こえていないはずはなかった。
沈黙の間も、拓海の心臓は落ち着きを取り戻すことが出来ず、全身に過剰なほどの酸素を盛んに供給している。
拓海にとっては永遠とも思える長い沈黙に、どうにも耐えられなくて口を開いた。
「あ…あのっ、オレは…言いたかっただけなんで………別に、その、」
「待…──待てって………。頼むから…少し、待ってくれ」
らしくもなく、涼介の語調は乱れていた。
程なくして道路脇に広い駐車スペースが見つかると、スウッとFCの車体を滑り込ませた。
緩やかに減速し、体に負荷の掛からないブレーキングで停止してから、サイドブレーキを引く。
そうして、ようやく涼介は拓海に体ごと向き直った。
.....続く
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