そのままで-2- 

2001.2.14.up


 *  *  *

 あの時から、ほぼ十ヶ月が経過した。
 今のように、ワンボックスの中に二人きりという状況も、稀ではなくなった。
 だが、拓海が涼介と一緒にいて緊張しないことはまずない。それでも拓海は、当初よりは大分リラックスできるようになったと思っている。ひとえに、『諦め』が肩の力を抜くという結果になっているわけであるが。
 …元より、出会った頃から涼介に惹かれていた拓海だった。そのままの状態だったら、『諦める』という心の動きは生じなかっただろうが、現実はそうではなかった。
 ──憧れに過ぎなかった涼介への気持ちに、いつしか触れたいという欲求が含まれるようになってしまったこと。それゆえに、涼介といて緊張すること。そして、どれだけ想っても報われることのないせつなさが、時折胸を軋ませることも。
 どうしてこんな想いを抱くようになったのか。自問しないではいられなかったが、結局それは無駄な時間だった。
 何故なら、全てが事実として拓海の目の前に横たわっている限り、しょうがない、という『諦め』に落ち着くからだ。
 ──自然に生まれてくる感情。会えて、言葉が交わせれば嬉しい。もっと相手のことを知りたい。
 想いは、薄れる気配がない。だから本当にしょうがないのだ。
 けれど、そんな諦めがあるから、拓海は時々こんな軽口も言えたりする。
「あの………もうすぐバレンタインですよね…。涼介さんて、すげーたくさんチョコ貰いそうですけど…本命の人とかって………どうなんですか?」
 休まずキーを打っていた涼介は、拓海の台詞に思わず失笑した。
「何だ、薮から棒に」
「いえ…ただ、『訊いてみたかっただけ』です」
 ついさっき自分が言った言葉を拓海にそっくりそのまま返されて、涼介はクスクス笑いながら答えた。
「もうそんな時期か………。そうだな…オレの場合は、お返しの要らない義理としてなら、受け取るかな。…実際、いちいち断りきれなくてさ。本命はいないも同然だし」
 最後の言葉に、拓海はチクリと胸が痛んだ。『いないも同然』というのは、いるということだろうか。
 よせばいいのに、再び言葉を綴って確認する自分がいた。
「そんな…失礼ですよ、本命の人に」
「そうは言っても、別に付き合ってなんかないしな」
「…それ…って…?」
 戸惑って拓海が泳いだ視線を投げかけると、涼介から詠うようにサラッと返された。
「つまり、完全なる片想い。………………誰にも言うなよ」
 ──………マジで?
 拓海は、まじまじと涼介の横顔を見た。
 見てくれももちろんだが、それ以外の何においても群を抜いていて、同性から見たって男として非の打ち所がないと思える涼介が、片想い?
 恋人の立候補者は数え切れないほどいそうな涼介が?
 衝撃的な事実だった。…少なくとも拓海にとっては。
 恋人がいると言われるよりショックは軽い。が、それでもやはり胸にくるものがある。正直言って認めたくない………涼介に好きな人がいるなどと。
 いないとは思っていなかったのに、涼介の口から直接聞かされると、辛い。
 涼介に恋人と呼べる人がいないという安堵。涼介の想い人への嫉妬と羨望。どちらかと言うと後者の方に比重が偏ってしまった拓海は、自分の軽口に付き合いながらも淡々と作業をこなし、データを見やすいようにレイアウトしてくれている涼介に向かって、思わず呟いていた。
「………何で片想い?」
 これには涼介も露骨に苦笑いし、手を止めて拓海を振り返った。
「さあ、何でかな? …ただ、オレのことは嫌いじゃないって程度みたいだから………それ以上は、な」
「…そう、なんですか………」
 どう考えたって、涼介に想われて拒む人なんていやしないだろうに。
 拓海は単純にそう考えてしまっていたが、もしかすると違うのかもしれない。………何だかウソっぽい話だが。
「それより、藤原は、どうなんだ?」
 話を切りかえ、涼介は興味深げに拓海を覗き込んできた。
 ──薮蛇である。
 拓海はぎこちなく目線を反らし、バレる心配のないことだけを正直に告げた。自分がここで何も答えないのは、何とはなしに卑怯な気がした。それに、片想いという涼介の言が本当ならば、一応は同等の立場である。
「…オレもおんなじです。好きな人は………いるけど」
 すると、涼介が少し表情を変えた。驚愕と安堵がブレンドされた、何とも複雑な表情だった。
「………そうか。…上手くいくといいな」
「…無理ですよ。絶対」
「確率的に言えば、絶対とかゼロってことはないだろ?」
 涼介らしい発言に、拓海はクスリと微笑んだ。
「まあ…そうですけど………でもいいんです、ゼロでも。その人のためにできることが、今は…まだあるから」
「──…羨ましいな」
 深みのある艶やかな声音には、明らかにこもる感情の深さが表れていて、拓海は涼介を仰ぎ見た。
 何が羨ましいんですか、とは声に出さなかったが、拓海が首を傾げるだけで涼介には伝わったらしい。
 だが、それについての回答を、涼介は何でもないよ、と笑って避けた。
「…相手は、藤原にそんなふうに想われてるってことを知らないんだろう? 伝えたら案外上手くいくんじゃないのか」
「んな無責任なコト言って………」
 拓海が少し睨むと、悪びれずに笑って、涼介は再びパソコンに向かった。
 …どうやらデータをプリントアウトしてくれているらしい。新たな作動音が響いた。
 そうして再び、クルマの中は静寂に包まれた。
 
 
 車中といえども、冬のこの時期では底冷えは避けられない。暖房を効かしていても、足下から来る冷気は確実に体の熱を奪っていく。
 拓海は半ば意図的にバレンタインの話をしたが、現在はもう既に2月に突入している。一年を通して気温の一番低いであろうこの2月は、あまりにも短く、あっという間に3月になる。
 そう、3月一杯で、エンディングを迎えるのだ──プロジェクトDという壮大なゲームは。
 だからだろうか。
 涼介の傍らにいて、その横顔を見るのも、別にこれが最後ではない。なのに、何故か今、拓海は哀愁めいた名残惜しさを感じていた。
 こういう時間を過ごせるのも、あと僅か──初めからわかっていたことなのに、らしくもなく寂しいと思っている。
 どう足掻こうと、この貴重な時間はあっけなく過ぎ去り、手の中に残らない。
 そんなことをツラツラと考えながら、拓海は涼介の一連の作業を黙って眺めていた。
 
 
「待たせたな、藤原」
 これがデータだ、と言って涼介が手渡そうとしてくれる印刷物を、拓海はただただ見つめていた。拓海自身、受け取るつもりはあったのだが、何故か手が持ち上がらなかった。
「………どうした?」
 涼介が怪訝な顔で再び声を掛けた時、拓海は思い切ったように口を開いた。
「…涼介さん。さっきの話に戻るんですけど………いいですか?」
「いいけど…どうかしたのか?」
「オレが気持ち伝えたら、上手くいくかもって………本当にそう思いますか?」
 涼介に訊かなくてもいいことなのだ。
 大体、いくら何でも上手くいくわけがないということは、端からわかっている。
 それでも、訊いてみたかった。
 ──全てが過去となり、埋もれていくものだとしても、心には思い出として残る。
 たった今、そう思ったから。
 この一年、時間を掛けて身につけたドライビングテクニックも、学んだ知識も、遜色なくこれからの自分を形成し、熟成させてくれる。同様に、心にだって、感情や出来事が鮮明に刻まれて自分の一部になるものが、きっとあるだろう。
 伝えるだけで、もしかしたら涼介の心に何かを残すことができるかもしれない。
 ほんの僅かでも、たった一つでも、思い返せば何とか掘り起こせるほどのものを、何か残せたら。
 そんなこともあったな、とただそれだけでいい。
 報われなくたって、何も言わないでいるよりはずっといいから。
 …そう思ったら、どうしても言いたくなってしまった。秘めたこの想いを。
 それに、残り僅か二ヶ月だ──言ってしまえ。
 真剣な顔の拓海に、涼介は茶化さずに言った。
「…思うよ。本当に」
 短い一言だったが、それで拓海には十分だった。
 強張った肩の力を抜き、後一つだけ確認したいことを訊いた。
「あの、涼介さんの…2月14日の予定は………?」
「オレの? …ええと、その日は確か…水曜日か………。特にはないが………何でオレの予定なんか訊くんだ?」
 不思議そうな顔で、それでもきっちり答えてくれる涼介に、拓海は少し笑った。
「その………結果報告っていうか…もしダメだったら、少しだけ話に付き合ってくれませんか…?」
 ようやく拓海の話の流れが掴めて、涼介は口の端を上げてニヤリと笑う。
「…振られたら、ゆっくり付き合ってやるよ。但し、ノロケ話なら聞かないからな」
 その答えを聞いて、やっと印刷された書類を手にする拓海だった。
 からかっているふうでも、涼介の瞳には親しい者を見る優しい光が宿っていて、それが拓海には嬉しかった。
 その眼差しが、近しい人間なら誰しも注がれている類のものであっても、やっぱり嬉しくて。約束ですよ、と念を押した拓海の頬は、自然と緩んでいた。



.....続く     

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