「………だけど、知りたくて一番謎に包まれているのは──」
「…のは?」
低く独り言のように呟く涼介の言葉の先を、待ちきれずに拓海が語尾を真似て問うと、涼介は拓海を見てくすりと微笑んだ。
「人の心…かな」
そして、涼介は目の前にあった葉の生い茂る枝に目を向けた。拓海は横から、静かに語る涼介の顔を見つめた。
「少なくとも、オレにとってはな。………それこそ一瞬ごとに変化するだろう、考えや感情ってのは。何によってどんな方向に転ぶのかわかったもんじゃないから、たとえ自分の心でも一生掛かったって全貌なんか見えやしない。ましてや、他人の心なんて謎だらけだ。それでも──」
そこで再び、涼介は拓海を振り返った。
「…刹那のものでも、知りたくなるよ。特に、好きな人間なら」
まともに漆黒の瞳とぶつかって、拓海はドキリとした。
好きな人間──その涼介の表現に深い意味はないだろう。それなのに、まるで自分が好きだと言われたような気になって、どぎまぎする。
何となく視線が痛くて、そんなバカな自分の気持ちを咎められているようで、拓海は火照りそうになった己の顔を逸らした。
「っと、悪い。つい説教じみた口調になっちまって………オレの悪い癖なんだよな」
途端に涼介に謝られ、慌てて拓海は両手を左右にぶんぶん振って否定した。…赤くなったであろう顔は背けたままだ。
「そ、そんなことないですよ。…あ…あの、難しいことはよくわからないですけど、オレも…何となくだけど、そう思います。………オレ、頭わりーし、いろいろ考えんのって苦手な方なんすけど…でも、何ていうか──気が付いたら見てたりするし…こういうとこもあるんだって知ったらなんか嬉しくなって…そしたらまたどんどん知りたくなるっていうか………。すいません…上手く言えないんですけど」
涼介の方を見ずに、自分なりの表現で何とか伝えようとする拓海の言葉を、涼介は黙って聞いていた。
「ふうん………。なあ、藤原、一つ言っていいか?」
何ですか、ときょとんとしてようやく目を合わせた拓海に、涼介は平然と爆弾を投下した。
「今の、まるでお前に愛の告白されてるみたいに聞こえた」
「な…ッッ!!」
何言ってるんですかッ! と言いたいのに、口をパクパクさせることしか拓海にはできなかった。
信頼も、尊敬も、好意も、涼介に対して抱いている。だから、知りたいと思った。今の台詞も涼介のことを思い浮かべて言った。それは、恥ずかしいことだが認めよう。
けれど、でも。
──何で今のが愛の告白になるんだよ〜〜〜っ!?
首や耳まで真っ赤に染まった拓海に、ククッと涼介は喉奥で笑った。
「…そうか、違うのか。残念だな」
「違いますっ!! ………………何すか、その残念てのは」
多大な脱力感に見舞われた拓海は未だに顔を赤くしたまま、ガクリと頭を垂れ、後半力なく呟いた。
「言葉通りだが?」
「………………………まさか、告白だったらよかったのにとか…」
「そんなところかな」
何でもないことのようにさらりと言う涼介に、拓海はがばっと頭を起こして、その涼しい顔を見返した。
細くスッと通った鼻梁、切れ長の目、薄い唇。サラリとした長めの前髪が額にかかっている。
どう見ても、高橋涼介、その人だった。暗くても、見間違えることはない。
………だが、発言内容を聞く限り、別人に思えてならない。
「…どうした? そんな驚いた顔して」
拓海の視線に、涼介が訝しげに訊ねる。
本当に、いつもと変わりない涼介の態度だった。が、先程のやり取りは、拓海の幻聴ではない…はずだ。
驚きが緊張や照れを完全に凌駕したのか、拓海は思ったままをただ呆然と呟いていた。
「………って、そりゃ………驚きますよ。本気で言ってるんすか………さっきの」
「まあ、半分本気ってとこか。もしそうでも、オレは全然困らないからな」
にこやかに言われ、拓海の方こそが困った。頭は混乱し、しかも何故だか心臓が小踊りしている。
──そういうのって、困る困らないの問題じゃないんじゃあ………?
涼介の考えていることも言っている意味もよくわからない。
頭のいい涼介のことだから、もちろん何もかも全て理解しての台詞だろう。が、それでも拓海は、涼介が本当にわかって言っているのか、疑った。それくらい、信じられない。
「あの………、それって、…お、男のオレに告白されても…涼介さんは困らないってことですか………?」
「ああ」
単純明快な回答に、拓海は頭を抱えたくなった。
涼介が、確固たる自分というものを持っていることは肌で感じていた。それをすごいと尊敬もしていた。けれど、常識的な観念をも超えた理念の持ち主だとは思いも寄らなかった。別に、涼介のことを見くびっていたとかいう問題ではない。だってどう考えても、男に懸想されて平気だというのは、普通の感覚じゃないだろう。
…他方では、拓海のことを掛け値なしに気に入っていると知れる、涼介の答えだ。そういう意味では、拓海にしても、非常に嬉しいのだけれど。
でも、単純に喜んでいいものか、わからなくなってしまった。
「………男に、その…せまられるって…ことっすよ………? それがイヤじゃないってんですか…?」
「…くどいな。そうだって言ってるだろう? それより、オレの方こそ訊きたいな」
何を、と拓海が問う前に、涼介はおもしろそうに笑った。
「お前は、どうしてそうやってくどいくらいに確認するんだ? 嫌じゃないんだから困るわけないだろ。…何なら試してみるか?」
──試す? 試すって、一体何なんだよ!?
同じ日本語を使っていても、涼介の台詞は拓海の理解の域を遥かに越えていた。
頼むからバカな自分にもわかるように言ってほしい、と拓海が縋るように涼介を見ると、自分に向けられているその笑みが、深くなった。それが、ふと、いつもと違う感じに拓海の目に映る。
涼介の微笑みは、こんなふうだっただろうか、と拓海は疑問に思った。
じわりと感じる微かな違和感…これは一体何なのか。
──…何…? オレ、今何を考えた………?
触れてみたい。そう感じた。その感触と、もしも触れたらどう反応するかを、想像した。…それは何だか、疚しい、と表現するに相応しい気持ちだ。
興味深そうにこちらを眺めている涼介に、拓海は心拍数が上がった。
「藤原?」
「…本当に、自分で言ってることわかってんすか………?」
拓海は、どきどきと高鳴る心音を抑えつつ、三度聞いた。
「当然だ。──たとえば、試すとしたらこういうこととか…かな」
嫌なら避けろよ、と呟き、微笑した涼介が顔を寄せてくる。
その吐息を己の唇に感じた瞬間、拓海は目を閉じた。
触れてみたい、という好奇心に、逆らう気はなかった。
.....続く
|