単なる好奇心、だったと思う。
元々関心の薄い自分の耳にも入ってくる言葉。
『レッドサンズ』の『高橋兄弟』の走りが『すごい』と。幾度も呪文のように、主に親友イツキから繰り返された。
──別に、興味ねえんだけどなー。
聞かされる度に、口には出さなくても、拓海はそう思っていた。
クルマに乗って走ること自体、特別なことではない。クルマにはエンジンがあって、アクセルふかせば走るし、ブレーキ踏めば止まる。峠の走りだって、毎日走っていれば飽きてくる。そもそも自分は、毎日早朝に豆腐の配達をさせられているだけなのだ。早く帰りたくてクルマを飛ばすが、クルマにも『速さ』そのものにも関心がない。
だから、誰かが速く峠を走れるということは、拓海にとって興味ある話題ではなかった。
高橋啓介とバトルするまでは。
──初めてクルマの運転がおもしろいと思えたんだよな、あれで。
最初のきっかけは、うやむやのうちに、拓海の預かり知らぬ所で計られていたバトルだった。結果的に楽しめたわけで、秋名山まで行くのは面倒だったけど、まあたまにはこういうのもいいんじゃないかと思えた。
けれど、それは一度きりのものではなく。
本当の意味での、始まりだったのだ。
以後、拓海がバトルを申し込まれるようになった。全ては、啓介と走ってからだ。バイト先のガソリンスタンドの先輩である池谷からちょくちょく峠に誘われるようになったのも、それからだった。
妙なことになったな、と少し思ったが、何度か走っているとだんだん楽しくなってきて。普段の惚けた表情からは読み取れなくても、以前より生活自体も何だか楽しいかなー、などと拓海はのほほんと考えていたりした。
そんな中、GT-Rとのバトル最中に後ろから追走していた一台のクルマ。
白いRX-7。
バトルしてもいいかな、と初めて思った。
拓海の中で、徐々にクルマで走ることに対して関心が強くなってきてはいても、自ら対戦してもいいと思うことはなかった。なのに、あの白いクルマとはしてみたい気持ちに駆られた。
──あれが、噂の高橋涼介?
誰が運転していたのかわからなくて人に問うと、そういうことだった。
拓海とて、顔くらいは峠で見たはずで、しかも何度も名前や車種を聞かされていたはずなのだ。だが、興味のないことは右から左の拓海は、それらを全く把握していなかった。
ここにきてようやく、合点がいったのである。…残念ながら、顔はイマイチ思い出せなかったが。
暫くして、当の涼介からの挑戦状がやってきた。そして──バトル。
涼介とのバトルは、強く拓海の心に残った。
拮抗した技量、駆け引き。今まで経験しなかった焦りと緊張の中で、涼介の速さに引きずられて出た感のある、自分の速さ。おもしろかった。バトルして良かったと思う。しかし、いくら考えても、今でも拓海には自分が速かったと思えない。ただ、涼介自身がそれで納得したというのだから、そのことについてはもう何も言うことはできなかったけれど。
考えれば、バトルだけでなく、高橋涼介に関することは全てが記憶に焼き付いて離れない。
薔薇の花束付き挑戦状に始まり、バトル、そしてその後の話も。
──レッドサンズのリーダーで、公道のカリスマで不敗だとかで崇められてるような人なのに、人当たり良くて優しい話し方するし。
最初のバトル相手である啓介の印象が強すぎて、走り屋には熱血な人が多いなあ、と拓海は思っていたのだ。あながち間違いではないが、それゆえ兄弟なのに啓介と好対照な涼介は、走り屋にしてはあっさりしてる人だな、と、そういう意味で拓海にとって不思議な存在となった。
そして、涼介の『不思議』は、それ以降も増える一方だった。
──頭いいし、カッコイイし、人望もあるし、今はプロジェクトDのリーダーでもあって。
誰しも欲しいと望む何もかもが「あるある尽くし」の涼介は、何にも持たない人からものすごく恨まれそうなのに、そういう兆しが思ったより少ない。これまた不思議だった。
…ただ、拓海には、涼介の性格などはよくわからなかった。
──涼介さんて、頭良すぎるんだもん。オトナだし、オレなんかにゃ何考えてんだかさっぱりわかんねえよ。
それでも、面倒見の良さや誠実さ、案外努力家そうだ、というところは見えてきて。
少しずつでも知れば知るほど、興味が湧いてくる。
知ればその分、好感が持てた。…今の所。
だからつい、視界に入れてしまう。
まあ、単なる好奇心、ではあるのだけれど。
だんだん強くなっていく『好奇心』。
少しずつ傾倒していき、ただ一人に向かっていく感情。
人に対して持つ場合、気持ちが深まればそれだけ『好奇心』とは異なるものになっていく。
だが、拓海にとっては、それもまた単なる好奇心や興味なのだ。
その範疇を大きく越えるものは、拓海の中には今まで存在しなかった。
従って、当然のことながら、それに対する適切な言葉を、持ち合わせていないのだった。
.....続く
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