月明かり-1- 

2000.9.25.up

 プロジェクトDのミーティングとしては、Dのメンバーの殆どがホームとする峠に集う。
 その場所は即ち、レッドサンズが本拠地としている、赤城山だ。
 Dのドライバーとして参加している拓海も、今まで来る機会が殆どなかったここに、今年の四月以降から、もう既に数え切れないほど来ていた。
 今夜も、次の遠征用にとハチロクのセッティングを微調整してもらった後、峠の上り下りを何本か往復して確認走行を試みた。
 そして、粗方満足のいく段階まで確認し走り終えた拓海は、ミーティングの始まる時間まで ハチロクから降りて待つことにした。後はもう、峠を一本往復するくらいの時間しか、残っていなかったからだ。
 降りると、山の特性ゆえ当然のことながら外灯は少なく、夜の帳が辺り一面を覆っている。そこかしこが木々で囲まれていることも相俟って、闇はかなり深い──新月ならば。
 だが、今日はほぼ満月。雲の陰りもなく、天空で、月は外灯よりも更に明るく白く輝いており、足下にはくっきりと黒い影ができるほどだった。ハチロクと、そのドアにもたれる自分の影が。



「…休憩か?」
 俯いている拓海の目の前に、ひょい、と小さめのペットボトルが差し出された。
 この声は、と少し驚いて顔を上げると、予想通りの人物がそこに立っていた。
「………涼介さん」
 ホラ、と再度促されて、拓海はありがとうございます、と言ってそれを受け取った。
 どういたしまして、と律儀にも柔らかい声音で返事が返ってくる。優しい微笑みを浮かべて。
 親切というには大袈裟な、殆ど当たり前と言っていいくらいのこんな小さな気遣いでも、それが涼介にされると何だか特別に嬉しい──そう思ってしまう自分を、単純だなと拓海は思う。
 己のその単純さと、それに比例する未熟さゆえか、嬉しさは抑えきれず、いつもまともに顔に出る。
 …今だって、頬が熱い──ということは、顔が赤いに違いないのだ。
 夜の時間は、それを暗さで以て隠してくれる。同時に、近くで見ると未だにアガってしまう涼介の秀麗な顔も、はっきり見えなくしてくれる。
 しかし、満月に近い今日、闇という闇はどこにもなく、拓海の味方をしてくれはしない。
 薄暗がりの中、近づいて来た涼介はすぐにどこかへ去るかと思いきや、そんな様子も見せず自分の目の前に佇んだままで、拓海の心拍数は少し上がった。
 一旦は顔を上げたものの、どうも目を合わせるのは忍びなく、拓海は視線を泳がせた。
「さっき、下を向いてたようだが………疲れたか?」
 見れば、小首を傾げて気遣わしげな表情をしている涼介がいて、拓海は内心慌てた。実際、そんなこと全然ないのだから。
「あ、いえ、そんな…全然疲れてないです」
「ほんとに?」
「はい。………その…そうじゃなくて………………影、見てたんです。月が明るいなと思って…」
「影? ──ああ、自分のか」
 言われて、涼介が先程の拓海と同じように下を向いてみると、自分の影がはっきり映っているのに気付く。
 気付いたが、そこで涼介は思わずクッと笑った。
 拓海が不思議そうに涼介を見上げる。
 涼介がいきなり笑ったのだから、当然と言えよう。
「…悪い。だって、まさかずっと影を見てただなんて、思わなかったんだ」
「ずっと………? って、オレのこと、見てたんですか…?」
 涼介に見られていたとは思わなくて、一瞬拓海はドキッとした。
 もちろん涼介に他意などないだろうことは、拓海にもわかっている。それでも胸が高鳴るのだから、しょうがない。
「ずっと、って言うとちょっと語弊があるかな。時々だけど…いつ見ても姿勢が変わらないから、てっきり疲れて立ったまま眠ってるのかと思ってたんだぜ」
 藤原はいつも眠たそうだしさ。
 最後に涼介が悪戯っぽくそうつけ加えると、拓海は拗ねたように口を尖らせて、ぼそぼそと言った。
「…生まれつきなんです、この顔は」
 その反論に、涼介はふうん、と曖昧に相槌を打つにとどめた。
 ステア握ると別人だけど、という自分の意見は、言っても本人にはわからないだろうと判断し、涼介は発言を控えることにした。
「ま、でも本当に無理はするなよ。藤原の場合、普段の仕事疲れだってあるだろうし、体調が良くなかったら遠慮せずに絶対言えよ?」
「…はい」
 神妙に軽く頷きながらの拓海の従順な答えに、涼介はフッと微笑んだ。
「さてと………そうだな、後五分くらいでミーティング始めるから」
「わかりました。──あの…涼介さん」
 涼介が踵を返したところで、拓海は呼び止めた。
 振り返って何も言わずに返事を待つ涼介に、拓海は口を開く。
 だが、言うはずだった拓海の言葉は、何故か声にならなかった。
 お礼を言おう、と思ったのだ。
 涼介が本気で自分のことを心配してくれていたことが嬉しかったから、それに対して、ありがとうございます、と拓海は言おうとしたのだ。
 なのに、涼介と目が合った途端、急に恥ずかしくなった。
 …わざわざ言うのも、少し、仰々しいかもしれない。それに、涼介は拓海の礼を期待してなどいない。
 そう考えると、何だか言えなくなってしまう。
「…何? 藤原」
「いえ………何でも、ないです…」
 拓海はそうごまかして、アワアワと焦って俯いた。
 …わざわざ足止めしておいて、何でもない、だなんて。…恥ずかしくて、また頬が熱く火照った。
 拓海は我が事ながら何ともいたたまれないような、情けない気持ちになってくる。
 それを払拭するかのように、クックと涼介が喉の奥で楽しげに笑ってくれた。
「変な奴だな。…じゃ、後でな」
 いつものようにフッと軽く微笑み、今度こそ涼介は元いたワンボックスの方へと戻っていった。


 ──そりゃ、オレは変だよ。
 最後に向けられた笑顔に少しドキドキしながら、拓海は内心でぼやいた。
 涼介が、誰に対しても与えているはずの親切と、微笑み。涼介にしてみれば普段と何ら変わりない接し方なのだろうが、拓海にとっては、涼介だというただそれだけで、特別に感じられる。
 ──とっくの昔に、変なんだよ。…涼介さんが知らないだけで。
 夜なのに、さっきは涼介の細かい表情が丸見えだった。
 それ以前に、今夜赤城の峠を走っていた時も、常にも増して道路がはっきり見えるから、月の明るさには当然気付いていたけれど。
 …確かに、山を背景に輝く月を背負った涼介は、立っているだけで絵になっており、似合いすぎるほどだった。高い鼻梁や睫の陰影が色濃く出て、整った顔立ちがますます引き立っていて。
 かっこいい、とか綺麗だとか、拓海がそう思ったのも事実。
 だが、しかし。
 そうなれば余計に、自分自身がみっともなく赤面して狼狽えるという事態が起こるわけで。
 だからやはり、拓海にとって月明かりは歓迎できないものだった。

「夜は夜らしく、暗くなってろよなー………」

 意味不明の言葉が、拓海の口からついて出た。



.....続く     

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