* * *
「…アニキ、何ニヤけてんだよ」
薄気味悪そうに、啓介は横目で、こちらに戻ってきたばかりの涼介を見た。
「ん? いや…別に。………………何も企んでなんかいないぞ」
「どうだかなぁ………って! オレ別にんなこと言ってねえよ」
「目がそう言ってたぜ」
クスクス笑う涼介に、ミーティング前にしてはやけにご機嫌だな、などと啓介は思う。
もちろん、その方がいいに決まっているのだが。
「なあ…今日って、月がやけにでっかくて明るいよな。なんか、部屋の電気も真っ青って感じじゃねえ?」
不意に拓海と同じことを言う啓介を、涼介は、驚いて見やる。
すると、隣にいる啓介は、少し目をすがめて空を仰ぎ、月を眺めていた。
──藤原は、月じゃなくて、影を見ていたのにな。
月の明るさを、体感で、あるいは周囲の影の多さとその濃さで以て、人は初めて知る。そうして最終的に眺めるのは、大概の場合、月ではないだろうか。おそらくは、眩しいほどに輝く月を。
涼介もきっとそうする。最後には明るい月を見ることだろう。
なのに、拓海は影を眺めていた。足下の、自分の影を。
それでなくとも、涼介の前では、拓海は俯き加減でいることが多い。逆に顔を上げてこちらを向いていれば、頬が多少紅潮している気もする。いずれにせよ、緊張していることは容易にわかる態度なのだ。
真っ直ぐに目を合わせていれば何かがわかりそうな気がするのに、拓海はそれをなかなか許してくれない。
少なくとも涼介は、自らのことを、相手によっては多少の緊張を強いてしまう存在だと、一応悟ってはいた。
だから、とりあえずは早く慣れて欲しいと思いながらも、いちいち真っ正直に反応する拓海がどうにも好ましくて、つい構ってしまうのだ。
「アーニーキー…もう、何なんだよさっきから。まぁた思い出し笑いしてるし」
溜息混じりの啓介の台詞に、ようやく涼介は口を開いた。
「…構い甲斐があると思ってな」
微笑む涼介に、啓介はもう一度小さく溜息を吐いた。当てはまると思われる人物は、一人しかいない。
先程、涼介が拓海と話していたのは、見ていたから知っている。
「アイツのことかよ…。随分気に入ってるよなー、アニキは」
啓介の言うアイツが、イコール藤原拓海であることは、兄弟の中では当然の如くまかり通る方程式だ。
「気に入ってるのはお前もだろ、啓介?」
「オレは気に入ってなんか…っ」
「ない、とは言えないよな?」
涼介が、不敵に人の悪い笑みを見せる。
啓介はそれに否定も肯定もできず、唸るばかりであった。
涼介に、口では絶対に適わない。ましてや真実を突かれては、ぐうの音も出ない。
それでも何とか反撃したくて、でもアニキのとは違う………と上目遣いでもごもご呟く啓介に、涼介はそれはわかってるよ、と笑った。
自分と啓介とは、立場が違う。接し方も違う。何より、別の人間なのだ。感じ方も考え方も、何もかもが異なるのだから、同じ言葉で表現しても、同じ意味を指すことにはならない。
啓介は啓介なりに、同じドライバーとして藤原拓海を認めている。力量だけではなく、性質的に自分と同種の何かを拓海の中に見つけている。前を見つめ、同じ方向に走っていくライバル的な立場上、絶対に口にしないが、だからこそ拓海のことを気に入っているのだ。
ならば、自分はどうか、と涼介は考えて──いや、既に自覚している思いを、客観的に見直してみて。
苦笑した。
我ながら、どうかしているとしか、思えない。
拓海に対して、以前は啓介と同じような感情を僅かであったが確かに持ち合わせていた。なのに、一応引退を表明し、そして今、自分の理論のために走ってくれるドライバーと認識してからは、そういう意識はなくなってしまった。
ドライバーとしてではなく彼個人を気に入っている理由を挙げようとして、浮かんだ言葉がこれか、と思うと、少し拓海に申し訳ないというか…そんな感じだった。普通に考えれば、早々同性の男に対して浮かぶものではない。それでも、否定する気は起きなかった。
涼介に話す時の、頬を染めながらも真剣に、一所懸命に言葉を選ぶ姿は、どうしたって可愛いとしか表現できない。一方、ハチロクに乗り込む時には、逆に普段の彼の片鱗すら窺えず、裡に潜む焔を垣間見るようで、それに煽られてみたいという気持ちにさえさせられる。
要は、そんな二面性を持つ藤原拓海に、惹かれているとしか言いようがない。
──とりあえず、啓介同様、オレも口が裂けても言わないがな。
涼介が、そう思ったところで、ピピッと電子音が鳴る。…携帯のアラームだ。
──タイムアップか。
瞬時に頭を切り替える。
既に、予め頭にインプットしている遠征先の情報と、細かな打ち合わせ内容。それをざっと脳裏で反復する。
後で読んでもらいたい渡すべき書類を手にし、何も漏れがないことを確認してから、言った。
「ミーティング始めるぞ。──集まってくれ」
* * *
声高では決してないのに、散らばるメンバー全員の耳を打つ、涼介の静かな声。
その声は拓海にも聞こえて、他のメンバー同様、涼介を中心に一つ所へ集まる。
静謐ささえ感じる夜のひやりとした空気の中、一際身長の高い涼介の、色白の顔が浮かび上がる。
普段とは多少異なる、完全なチームリーダーとしての厳しく引き締まった表情は、真横から月明かりを受けて、まるで彫像のように美しく、そして冷たく見える。
だが、語り始める涼介の中に、拓海は何故か、ある種の熱さと烈しさを、どことなく感じていた──
終
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