心の声は聞こえない-1- 

2003.1.13.up

 啓介の去る背中を、拓海は黙って見つめていた。
 もう一度こちらを振り返ってほしいと思う自分と、もう振り返るなと思う自分がいる。
 けれど、拓海の気持ちはどうあれ、啓介は振り返らなかった。
 やっぱり、という思いがじわじわと胸に広がる。
 それはある意味、心のどこかで予想していたはずのシーンだ。
 なのに、どこか苦しくて、納得しているのに、わだかまりがあるような気もする。
 ………これは、錯覚だろうか。
 拓海は神妙な面持ちで、啓介の姿が完全に視界から消え去るまで、見つめ続けていた。
 
 
 
 
 
 いつも黙って拓海を睨んでいた啓介が真っ向から拓海に口出ししてきたのは、最近のことだ。
 曰く、考えてることをたまには言え、と。
 タイミングなど無関係に、啓介と拓海の視線が合った瞬間、拓海にしてみれば、余計なお世話だとかアンタには関係ないとか言いたくなるようなことを、啓介は言ってきた。
 そして拓海は、思っただけではない。
 黙っていることができず、思ったままを直接啓介に対して口にした。
『何でアンタにオレが思ってるコト言わなくちゃならないんだ』
 と、殊更冷たく言い放った。
 啓介の言い方が殆ど命令口調だったものだから、それに反発したくなったのだ。
 すると、啓介は笑った。
『何だ、言えるじゃねえかよ』
 その笑みにはからかいも皮肉も含まれておらず、拓海は逆に、次の反応に困った。
 からかわないで下さい、と怒ることはできず、そうですね、と首肯できる類のものでもない。
 ふてくされた態度を取るのは大人げないし、にこやかな対応は相手が啓介じゃなくたってできない芸当だ。
 そんな拓海の複雑な思いは露骨に表情に出ていたのか、啓介が苦笑する。
 が、それ以上のリアクションが拓海から引き出せないとわかると、啓介は拓海の側からスッと離れていった。
 何事もなかったかのように、あっさりと。
 いともたやすく彼に背を向けられたが、それに関して拓海は何とも思いはしなかった。
 あの啓介が自分に言いがかりをつけるにしては案外早く済んだな、程度にしか思わなかった。
 ただ、いつもは黙って睨んでいるはずの啓介が、何故拓海に声を掛けてきたのかがわからなくて、少しだけその理由を考えてみた。
 確かに拓海は思ったことを口に出して言う方ではないから、元来素直で何でも言ってしまうだろう啓介から見れば、イライラする存在なのかもしれない。ずっとこちらを睨んでいたのはそのことが原因でムカついていたからで、それが溜まりに溜まって、どうしても言いたくなって、とうとう今指摘したのかもしれない。
 考えられるとすれば、その線しかない。少なくとも拓海には、それくらいしか思いつかなかった。
 そんなふうに啓介の行動について予想したところで、拓海は先程言った『アンタに言う必要はないだろ』というニュアンスの言葉を撤回する気にはならないが、その忠言を受け入れようという気持ちがほんの僅かだが芽生えた。
 あまりに何も主張しなさすぎる、とは、常々自分でも思っていることだからだ。
 己の考えを論ずる必要性が今現在どこにもないため、だんまりを決め込む己の癖を直そうとは思わない。けれども、他人に指摘されても仕方ないことだとは何となく認めることができる。
 他人に指図されるのは大いに気に食わないことだったが、拓海はとりあえず、今回の件は忘れることにした。
 いくら啓介でも、一度言えば二度目は早々ないだろう、と思ったのだ。
 
 だが、その意に反して。
 啓介は次のプロジェクトDのミーティングで、拓海に同じようなことを言ってきたのである。
 喧嘩腰ではないが、無視できない言い方で以て、拓海に絡んできた。
 言いたいことがあるなら言え、と。
 表情や目だけじゃ何にも伝わらねえんだぜ、と、当たり前のことを、挑むような瞳で覗き込むようにして言ってきた。
 だが実際、拓海には啓介に言いたいことなどなかった。昨日のことがあるから、再び自分に何か言ってきたりしないだろうかと思って啓介の様子を窺っていたことは事実だが、啓介に何か言おうとは思っていなかった。また、態度だけで己の気持ちを誰かに伝えられるなんて、考えたこともない。誰かに何かを伝えようと思うこと自体、数えるほどしかないのだ。
 心外なことを言われてカチンときた拓海は、やはり前回同様、思った通りを啓介に言った。
 すると、啓介は怒りもせずに首を傾げた。
『ふうん? …なら別に、いいんだけどよ』
 拓海の口調は刺々しかったはずなのに、短気な啓介が少しも怒らないことと、どこか笑っているように見える目が、何とも奇妙で不思議だなと拓海は思った。
 ズレたことを啓介に言われてムッとしたが、そういう態度に出られると、拓海も苛立ちを持続することはできない。
 まあいいか、と拓海は小さく溜息を吐いた。
 
 
 
 以来、意図の掴めない会話とも言えない問答を、啓介と拓海は繰り返すようになっていた。
 毎回、深い意味があるとも思えない啓介の言葉に始まり、奇妙な間で話は終わる。
 毎度のことながら無視できない態度や口調で絡んでくるので、拓海としては言い返すしかなく、そのおかげか、少しずつだが突っ込んだ台詞を言えるようになってきた。
「また”何にも考えてません”ってツラしてんな」
 涼やかな表情で、でもどこか茶化しているような眼差しで、挨拶のように啓介から言われる決まり文句。
 拓海はそんな啓介を睨み、口を尖らせた。
「…生まれつきこういう顔なんです」
「あ、そ。でもお前、今正に、何も考えてねえだろう」
 そんなことはなかった。
 少なくとも今、拓海は、『啓介さんて口開いたら余計なことしか喋らないよな』と考えている。
 しかし、何でもかんでも話す、というのも、自分が啓介の思惑通りに動かされている気になるので、今回は敢えて何も言わずに睨みを利かせるだけにとどめた。
 拓海の視線の正確な意味まではわからなくとも、その険しさから、啓介の悪口しか考えていないことは彼にも察せられたはずである。
 だが、啓介はひょいと肩を竦めて素知らぬ振りをした。
「………何だよ。そんだけじゃ、何言いてえのかわかんねえよ」
 本当にわからないのか、実はわかってて知らぬ振りを決め込んでいるのか。
 後者のような気がするのだが、拓海には今一つ断定できなかった。
 どっちだろう、と考えていると、啓介は呆れたように大きな溜息を吐いた。
「…別に、いいけどな…」
 投げ遣りにポツリと呟く。
 言われた瞬間、拓海の胸にズキリと痛みが走った。
 啓介のそれは言われ慣れた台詞だ。今までにも何度となく、啓介は似たような台詞を最後に言って会話を締め括ることが多かった。
 今回も、同じことだ。様子も台詞も、殆ど何も変わりはしない。
 なのに、拓海にはショックだった。
 ──何で、痛ぇんだよ………?
 胸の辺りの衣類を鷲掴みにして、黙って耐えた。
 自分が傷つく理由が、自分でもわからなかった。
 啓介に呆れられたことが? 投げ遣りな言い方が? 啓介がもう自分に構ってこないかもしれないことが?
 どれも違うような、合っているような。自分のことなのに、全く以て、拓海には理解できない。
 また、それら全てが合っているとして、何故自分がショックを受けなければいけないのかもわからなかった。
 啓介とは、そこまで親しい間柄ではない。同じチームとはいえドライバー同士、むしろ競り合う相手なのだから、自分との間に距離があって普通なのだ。啓介に遠ざけられて動揺するとは、自分の方がどうかしている。
 痛みがある方が、おかしい。ショックを受ける方が、間違っている。
 それが正しい認識だと、拓海は思った。



.....続く     

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