心の声は聞こえない-2- 

2003.1.13.up

 その翌日の、今日。
 拓海の慣れ親しんだ秋名山の明け方、啓介が拓海を待ち伏せていた。
 顔を合わせた瞬間に、昨日と同じツキリとした痛みを胸の奥に感じたが、拓海は気にしない素振りをした。
 ここ暫く、秋名の峠で啓介に待ち伏せされることはなく、訝しみながらもとりあえずハチロクを降りることにする。
「よう」
 笑みもなく、真っ直ぐ目を見つめてくる啓介に挨拶をされると、妙な気分に陥った。
 改めて正面から見る彼は、案外整った顔かたちをしているんだな、と今更なことを拓海は認めつつ、どうも、と挨拶にもならない返事を返す。
 すると、啓介は開口一番、こう宣った。
「お前ってさ、全ッ然、気付きもしてねえんだな………オレんこと。ソレ、昨日すっげえ実感した」
 啓介の話はいつも唐突で、それはいついかなる状況に置いても変わらないようだった。
 初っぱなの一言では話の内容がわからないのが常で、拓海はいつも相手の話を最後の最後まで聞かなければならなかった。
 元々鈍いからこそ、途中で相手が言わんとしていることを推察する、ということも、当然できるわけもない。
 だが、啓介の場合は単刀直入ではあるが枝葉がなくて、話の筋はわかりやすいことが多かった。
 全然気付いてない、と頭っから啓介に断言されて少しムカついたが、話の全容を理解しないことには反論の余地もなく、拓海は黙って啓介の次の言葉を待った。
「確認しとこうと思って…、峠走るついでにちっと足伸ばして、ここに来てみたんだ」
 ついでにしては赤城から秋名までは長すぎる距離だろう、と考える拓海を余所に、軽く一歩分、啓介が近付く。
 距離が近くなっただけ、拓海は少し顎を上げて、啓介を仰いだ。
「オレが、お前にいろいろ声掛けたり、言ったりする理由………ちっともわかんねえだろ」
「…はあ」
 正にその通り。一度はその理由を考えてみたが、わからなかったので、それ以降は放置した。
 答えが出ないことを延々考える、というのはできない性質なのだ。
「まあ、それはいいんだけどな…。迷惑だったか?」
「は…?」
「だから、オレが声掛けんの。正直うざってえとか思ってたんか? って訊いてんだよ」
 啓介は至って真顔で、けれどいつも通り強気な瞳で、拓海を見下ろしていた。
 言われた台詞に、拓海は黙って啓介に対する認識を少し改めた。
 ──傍若無人っていうよりは、この人、確信犯に近いのか。
 内心で一つ頷き、啓介から視線をずらして目を伏せた。
「………それは…」
 そうとも言えるが、それだけでもない。
 どう答えればいいのかと、拓海は言葉を選ぼうとして口ごもった。
 するとそれをどう受け取ったのか、ハッと短く息を吐き、低く啓介が呟いた。
「当たらずとも遠からず、ってトコか。………………いい、もうわかった」
 何がわかったのかと、顎を上げて視線を啓介へと戻すと、冷たい視線にぶち当たる。
 突き放したような瞳に、拓海は二の句が継げなかった。
 今まで拓海を睨んでいた燃えるような目とは明らかに違う、どうでもいいと告げる、興味を失った冷ややかな瞳。
 今この場で啓介に向けられるとは思いも寄らなかった。
 だが同時に、いつか啓介がこんな視線で自分を見るだろうと、心のどこかで思っていた。
 
 いつだったか、子供の頃に言われた台詞を、拓海は思い出した。
『藤原といてもつまんねーもん。何にも喋らないし』
 話すことは苦手でも、友達だと思っていた相手に言われた一言は、ものすごく堪えた。今でもその時のことははっきりと覚えている。
 けれど今だからこそ、相手の言うことも理解できる。どんなに苦手でも思っていることを口にしなければ、相手には全くわからないのだ。相手も、物を言わない拓海相手に、何を話せばいいのかと困ったことだろう。あるいは、無口なのは心を許してくれていないからだと思い、悲しんでいたかもしれない。
 あの日を境に、拓海は人との距離をある程度置くことにした。それが、相手のためでもあり、自分のためでもあると、そう思った。
 
 今も似たような状況なのだろう。
 冷然とした啓介の態度に、自分と距離を置こうとしていることを、拓海は肌で感じ取っていた。
「…用はそんだけ。じゃあな」
 勝手に話して、勝手に会話を切り上げる啓介を、拓海はただ黙って見送った。
 啓介さん、と呼び掛けられたのは心の中だけで、声に出すことは叶わず、だんだん小さくなっていく背中をじっと突っ立ったまま眺めていた。
 
 
 
 
 
 黄色い車体が辺りを見回してもどこにも見えなくて、啓介さんはFDをどこに置いてきたんだろう、と拓海は考える。
 そんな余計なことを、ぐるぐると必死で考えていた。
 そうでもしなければ、更に余計なことを考えてしまう。
 …話を身勝手な解釈で終わらせて帰った、啓介のことを。上手い台詞も思いつかず、何もできなかった自分自身の不甲斐なさを。今後は啓介と憎まれ口を叩けないだろうことに、淋しさを感じる己の情けなさを。
 そして──昨日よりも胸苦しくなったという、無視できない事実を、考えないではいられなくなる。
「…別にいいけど………」
 と、啓介の真似をして言ってみても、拓海の気持ちは楽になるどころか苦しくなる一方だった。
 塞いだ気分のまま、拓海は俯いて足元の地面を見下ろした。
 ──いい、なんてこれっぽっちも思えねえよ…。大体、あの人が、最初からオレなんか相手にしなけりゃよかったんだ。そうすりゃオレだって、こんな気分、味わわなくて済んだんだ………
 愛想が尽きたと啓介が言うのなら、それは拓海自身が原因であることくらい、十分わかっている。
 それを承知の上でも、恨み言の一つや二つ、胸の内で漏らしたってバチは当たらないだろうと拓海は思うのだ。
 何だかんだと不毛なことを考えつつ、一体どれくらいそうして佇んでいたのか──
「藤原、いつまでそうしてる気だ?」
 と、そんな台詞が上から声が降ってきて、拓海は心底驚いた。
「え…、啓介さん………?」
 顔を上げた拓海の視界には、去っていったはずの啓介の姿があった。
「何で…いるんですか?」
「………いや、言い忘れたことがあって…」
 でも、と戸惑いがちに、啓介は続けた。
「その、まあいいや………って気になってきた」
「………何言ってんですか」
 拓海が強く啓介を睨むと、片手で頭をガリガリと掻きながら、啓介は大仰に嘆息する。
 それから、ほんの少しだけ苦笑した。
「…オレさ、藤原が今みたいな、そういう顔するとは………思ってなかった」
「そういうって?」
 訊ねても口を閉ざして言おうとしない啓介に、拓海は更に睨みを利かせる。すると、不承不承、言い辛そうに口元を手のひらで覆って小さくボソボソと呟いた。
「………………なんか…泣きそうなツラ」
 瞬間、カッとなって拓海は握り拳をブンッと振り上げたが、啓介はそんな反応を見越していたのか、あっさりと避けて躱した。
「うわっとォ! 怒んなよっ、オレにはそう見えたんだって!」
 無言で凄む拓海を、どうにかこうにか宥めようと試みる。
「違うなら違うって言えよ。とにかくオレの目にはそう映ったんだッ。だからっ………!」
 ──だから、何なんだよ。
 と、やはり無言で問い掛ける拓海に、啓介の言葉は途端に勢いをなくす。
 が、迷いは一瞬で、啓介は諦めて言葉を続けた。
「だから、えーと、さっきの質問…もう一回聞き直そうと思って。──なあ、オレのこと、うざったい?」
 茶化すような言い方で、その割には、茶色の瞳に真摯な光を浮かべている。
 それを見るだけで、拓海の怒りは鎮火した。
 まともに啓介の真っ直ぐな視線を浴びて、心臓が慌ただしく稼働するのを、拓海は自覚した。
 答えを待つ啓介に、それでも、拓海の答えは基本的に変わらない。
「…そう思うことの方が、多いです」
「………手厳しいな、お前」
「事実ですから。………大体啓介さんのは、まともに話そうって姿勢じゃないですし。それに、『まあいいけど』って口癖のように言う割には納得したカオしてませんよね。何かにつけてオレに『言え』って言う前に、アンタの方こそ言いたいことは全部言ったらどうっすか。…うざったさも半減すると思いますけど」
 文句だけはツラツラと出てくる拓海の顔を、啓介は凝視した。
 出てくる言葉は本音なのだろう。けれど、憎まれ口を言いながら、その瞳は悪態をついているようには見えなかった。
 啓介を疎ましくは思っていない。うざったいとも、多分感じていない。
 自分に対する啓介の差し出口を迷惑そうに言いながら、けれど本当は、それがあると嬉しいと感じているはず。なければ寂しいと思っているはず。
 それがありありとわかる拓海の目と表情を、悪罵しか綴らない口よりも、啓介は信じた。
 拓海から言葉を引き出すのは難しい。本当の気持ちならば尚更だと、しみじみ思う。
 いずれにせよ、拓海の気持ちが以前よりも自分に向かっていることに幸せを噛みしめながら、あまりに天の邪鬼な彼の性質に、思わず笑ってしまった。
 唐突な啓介の笑い声に仰天する拓海に向かって、啓介はニヤリと不敵な笑みを見せ、キラッと悪戯な光を瞳に瞬かせる。
「そうだよな。そういや藤原って、『走り屋じゃない』ってオレに断言しときながら、秋名でのバトルは全勝、加えてプロジェクトDに入ってもまた全勝、だもんな。…正直に本音なんか、言うわけねえよなあ。──あ、逆に反対語なら普段使ってるから得意ってことか?」
 面白がって、啓介は皮肉をペラペラと口にする。
「藤原語で言えば、…そうだな。オレは藤原のことが、実は大っ嫌いだったりするんだぜ? 知ってんだろうけど」
 嘲笑を浮かべ、本当だか嘘だかわからないことを歌うように宣う啓介に、拓海はムッとした。
 悪口雑言だけならば、無口な拓海も負けはしない。比較的得意な範疇に入る。
 ──啓介さんがオレのこと好きって? ああそうかよ。じゃあオレは、嫌いだって言ってやる。ええと、反対語ってことは、大嫌いの反対だから大好き…か。でもその上をいかないと反撃に成功したとは言えねえよな。大好きの上………? ていうと、やっぱコレしかねえだろう。
 反対語反対語、と呪文のように脳裏で唱え、数秒考えた後、拓海はスウと大きく息を吸い込んだ。
「もちろんですよ。じゃあ、啓介さんもオレの気持ち、ご存じですよね? オレ、初めて会った時からアンタに惚れててそらもうすっげぇアイシテルんですけどッ」
 
 刹那。
 辺りは見事に痛いほどの静寂に包まれた。
 …いや、自然の音は途絶えてないが、二人の人間の時間は、完全に停止した。
 キッパリと言い切った直後、たとえ嘘でも言うんじゃなかった! と拓海が思いっきり後悔したのは。
 啓介が豆鉄砲を食らったような顔で驚愕したのと同時に、自分の顔が一気に熱くなったことを悟ったからである。



終     

   

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