<First impression 〜side Keisuke〜>
結構好きだな、と。
藤原を見て、初めてそう感じた時のことを、オレは、よく覚えている。
藤原を見る度に、繰り返し繰り返し、その時のことを思い出すからだ。
あの瞬間。
藤原が気に食わないと思っていた感情が、何でだか、キレイにくるっと180度ターンをした。
それまでずっと藤原のことを、見る度にムカつく天ボケ野郎だと思ってたのに。
明確な理由なんかなく、ただ単にヤツが視界に入るだけでムカムカしてたのに。
それは、100%事実なんだ。キライに近いはずだった。
…なのに。
一秒に満たないあの刹那、オレの中で、あいつの印象が変わった。
霧がいきなり蒸発したみたいに、呆気なく。
それも、変わったのは、あいつじゃなくてオレの方。
あいつは多分、何も特別なことはしなかった。
眠たそうな顔も、ボケボケした口調も、いつもの調子だった。
変わらないあいつの様子に、だけどオレは、いつもと違う何かをあの時に感じた。
…何でそう思ったのか、理由は未だにわからないけど。
確かに違う感じがしたんだ。
でもまあ、実際に思ったことと言えば、
──こいつって、ホンットこういうヤツだよなァ…。
そんな程度のものだった。
元々オレが知ってるあいつの性格を、再び認識し、一人納得して。
それから苦笑した。
と同時に、あろうことか、オレは。
──そういうトコ、結構好きなんだけどな。
と。そんなことを思ってしまったのだ。
ハタと気付いて、すぐにヤバイと臍を噛んだ。だけど、…遅かった。
『好き』だなんて──そんな言葉を藤原に対して使うのは、以ての外だ。
少なくともこのオレだけは、そんなふうに思っちゃいけなかった。
だってオレらは、単なる同じチームのドライバーってだけなんだから。
走りを究める者として、闘争心とか敵愾心は、どんだけあっても構わない。でも、プラスの感情なんかなくていい。いや、ない方がいい。
特にオレは、そういう気持ちを持ったらダメなんだ。
…そりゃ、当の藤原が、オレと二人でWエースと称されているってのにオレに全く無関心なのは、認めたくないけど知ってる。それから、オレだけがあいつを意識してるっていうのも、確かに癪に触る。
それでも、だ。
誰がどう思おうが、少なくともオレにとって、ライバルはライバル。
好敵手としての感情以外のものは、あいつとの間には要らない。たとえオレとあいつが同じチームでも。
甘っちょろい関係でいたくない。対等か、もしくはそれ以上。
他には、オレは何も要らない。
そう思ってたんだ、本当に。…でも。
一度、イイなと思い始めると、歯止めが効かなくなった。
ムカつくとか、嫌いだとか、オレはずっと思ってたはずだったのに、…そういう感情が以前ほど湧かなくなって。
代わりに生まれる感情は、藤原に対して好意的なものが多くて。
色々藤原に対して持っていた気持ちも、内容も、その種類も、以前とは少し違ってきてしまって。
オレはだから、藤原じゃなくて、そういう自分自身にものすごくムカついた。
…どうして。
何で気付いたんだよオレは?
何で、自分があいつに好意を抱いているという『事実』を、オレは無視しきれなかった?
………そうだ、ホントは知ってた。何となくわかってて、でも見ないフリしてた。
それでいいと思ってたし、そのまま無視していけると踏んでた。
だけどオレは、あの日のあの瞬間を境に、それができなくなった。
失敗した。
…あの時、振り返らなきゃよかった。
自分の感情なんか、顧みなければよかった。
藤原のことなんか、無視し続けときゃよかった。
そうしたら今頃、こんな余計なことを考えずに済んだ。
こんなふうに胸がキリキリ痛くなることも、絶対になかったのに──
あの時のことを思い出しても、オレが考えるのはそんなことだ。
藤原を見る度、腹が立つ。
そんな気持ちを思い出させる藤原に、…そして何より自分自身に。
腹が立って、それから情けなくなる。
──いつまでも、この胸の痛みに慣れない自分が。
* * *
啓介は赤城での一連のプラクティスを終えて、外の空気を満喫するためにFDから降りた。
何とはなしに口元が寂しくなり、無意識のうちに胸ポケットの煙草とライターに手を伸ばす。
手慣れた動作で火を付けると、早速それを銜え、勢い肺一杯に吸い込んでから、フーッと長く煙を吐いた。
形の良い長い指で煙草を挟み、その先っぽからたなびく煙を、啓介はFDのボンネットに軽く凭れながら、何も考えずぼうっと眺めていた。
無形の紫煙が空気に溶けていく様を見、ゆっくりと瞬きをした後、やや目を伏せる。
そして、それでも己の視界に入るほど近い位置にいる藤原拓海の姿を見ないようにと、顔を背けた。
もちろん理由は、拓海を見たくなかったからに他ならない。
…だが、考えるつもりはないのに、何故か脳裏を過ぎるのは、今の今まで啓介の目に映っていたシーンだ。
拓海の傍にはハチロクがあり、拓海はハチロクのメカニックである松本と話し込んでいた。その数メートル先にはワンボックスが待機しており、脇には自分の兄である涼介の姿があった。
赤城でありながら、秋名をホームコースとする拓海と彼のハチロクが視界に入るという、その光景。最初はかなり違和感を感じたものだが、もう既に幾度となく目にした光景で、今は何の違和感もなく、ここの風景にハチロクと拓海は溶け込んでいる。
特にプロジェクトDのメンバーの目には、ごく自然なものに映るだろう。
だが──
それを目にしていた啓介の表情は硬かった。緊張しているかのように頬は強張り、どこか剣呑な色がその瞳には浮かんでいた。
実際には、緊張はしていない。だが、不服ではあった。
別に、拓海と何かのいざこざがあったわけではない。強いて言うならば。
──藤原が何をしてても、全てが気に入らない。
拓海を目の前にすると、そういう感情が必ず啓介の中に芽生えるのだ。
自分の心が拓海の存在に引きずられている、という自覚は一応ある。だが、それ自体が気に入らないのだ。
気に入らなくて、………腹立たしくて。
やっぱり少し、胸が痛んだ。
拓海が自分を意識してないことが、わかるから。
.....続く
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