人通りのないさびれた裏路地にあるネオンは、ホテルの看板だけ。
そういう区域にある、人一人通れるかどうかという狭い路地で、身を寄せる二人がいた。
二人はどちらも、線が細いという印象はない。
そして、どちらが男なのか女なのか、シルエットだけでは判別しづらいほどに、体を密着させていた。
冷たく凍ったビルの影とは違い、その影には動きがある。
人影なのだから、当然だった。少しでも身じろぎすれば、影も同じように動く。
その動きは、どこをどう見ても、揉み合って争っているふうではなくて。
仲睦まじく抱き合っているように、見えた。
少なくとも傍目には、そうとしか見えなかった。
──本当の所はどうなのかは、ともかくとして。
「ちょ………おい、待てって…藤原っ!」
逢うなり、強引に人気のない路地に引き摺り込み、ボタンを引きちぎるかの勢いで啓介の服をむしり取る拓海に、啓介は思わず慌てた声を上げる。
「………うるせーな…」
返ってきたのは、妙に聞き取りにくい、地を這うように低い声音の呟きだった。
啓介の狼狽え様にも一切構わず、拓海はそのYシャツを無造作にはだける。露になった滑らかな素肌の胸辺りに舌を這わせ、時折唇で薄い皮膚を吸って跡を残しながら、徐々に下方へと己の体をずらしていく。引き締まった腹筋の窪みを舌先でなぞり、更に下の下腹部へと移動させる。
いきなりの展開に、啓介はついていけず、目を白黒させて未だ呆然と立っていた。
その間も、拓海が両手を休ませることはなかった。啓介の腰に手を掛け、ベルトの金具を外してボディフィットなパンツの前を緩ませ、ジッパーを下ろしていく。
そして再び、辛うじて耳に届く可聴域ギリギリの低い声で、拓海は啓介へと囁きかけた。
「………………今…、すげーしてぇんスよ…オレ…。………あんただって、本気でイヤだとは…思ってないですよね…?」
──あんたがマジで抵抗しない限り、………オレ、やめねえから。
一瞬だけチラリと目線を上げ、無茶苦茶な言い分で己の要求を押しつける拓海に、啓介は半ば以上本気で呆れ果てた。だが、なりふり構うこともなく欲情している拓海の姿をそのまま見下ろしていると、次第に啓介の下肢は硬くなり、昂りを隠せなくなってくる。
…そう。イヤだとは思ってない。それどころか、今の状況と今までの拓海との情事とが記憶の中で重なり、少しずつ淫猥な情が膨らんできて、啓介の理性を崩していく。
こういう時の拓海は、何の衒いもなく快楽を求め、どんな行為もさして厭うことがない。
向けられる拓海の眼光は鋭く、まるで襲いかからんばかりで、下手をすれば肉食獣のそれとも見紛うほどだ。なのに、纏う空気はどこか艶を帯びていて──視線がふと絡んだ瞬間、啓介の心臓が、ドクンと一つ大きく鼓動した。
普段の拓海のぼんやり顔からは、誰もこんな姿を想像できないだろう。
欲望に濡れてギラつく据えた瞳をし、雄の匂いを撒き散らす、藤原拓海のこの姿は。
大きすぎるギャップと、滅多に見せない本能剥き出しのその姿が、啓介の性欲を煽る一因になっていることは明らかだった。
一筋縄ではいかない相手だ。クルマにおけるバトルでも、それ以外でも。
だからこそ、より強く焦がれ、惹かれる。………僅かな屈辱感とともに。
そして、普段は縁遠い、得難い快楽と嗜虐性が、熱を伴って啓介の中に浮かび上がる。
──自分の全てをこいつに明け渡す気はねえ。けど、多少なら…こいつに食らわせてやってもいい。
そんなふうに、啓介は思う。
体の中心から滲み出てくる欲望に、脳髄が焼け爛れていく。
これから始まるであろう濃密な情事への期待感が、体内の血を滾らせ、下半身へと結集する。
啓介はごくりと生唾を飲み込んで、拓海に言った。
「…いいぜ? お前の相手、してやっても。………お前、どっちがしてえんだよ」
──上と、下と。…どっちがいい? 今なら、選ばせてやるぜ…?
啓介の声は、興奮のためか喉に絡み、やや掠れていた。
対する拓海は動きをとめようともせず、啓介の肌を唇で軽く食みながら、どうでもいいことのように小さく答えた。
「………別に、どっちでも」
「…OK」
言うや否や、啓介は、半ば勃った自身のモノに舌を這わせ掛けていた拓海の顎を、強引にひっ掴んで上を向かせた。
そして、驚愕に目を見開く拓海にお構いなく、自分の方へと力尽くで引き寄せて、その口を塞ぐ。
くぐもった声が拓海の喉の奥から聞こえてくる。
だが、それに全く頓着せずに、歯列を割って己の舌を押し込んだ。
柔らかく熱い口腔内を我が物顔で蹂躙し、惑う拓海の舌を弄ぶ。裏側を舐め、歯茎をなぞり、誘いを掛ける。
そうして、拓海の舌が啓介のそれに十分応えてくるまで、合わせた唇を離さなかった。
* * *
「…っおい…、唇、噛むなって………いいから、もっと…イイ声聞かせろ、よ」
乱れた息とともに、ベッドが撓む。
あれから結局二人して、近くの安ホテルへと足を踏み入れた。
流石に、誰が通るとも知れない路地でコトをおっ始めるわけにはいかなかった。
理由は、外では行為に没頭できないからである。…ぶっちゃけた話、簡単に手っ取り早く済ませるのなら、外でも事足りた。だが、簡単に済ませる気がないから、場所を変えたのだ。
ホテルに入り、部屋のドアを閉めて直ぐ、手早く自らの衣類を脱ぎ捨てた。
その僅かな時間すらもどかしく思いながら、既に熱くなった互いの体を掻き抱いた。
今日拓海と顔を合わせた当初は、そんな気のなかった啓介だった。だが、発情していることを少しも隠さない拓海に煽られ、今や拓海のそれを凌駕するほどの獣性を、曝け出していた。
ギシッ、と、ホテルの外観同様に安っぽいベッドのスプリングが、軋む。
啓介が動く度に、そして拓海が身じろぐ度にベッドは揺れ、不協和音が鳴り響く。
だが、目前の欲と快楽の渦に浚われ、無我夢中になっている二人の耳には、そんな音など届いていなかった。
硬く勃っている拓海の先端から零れる先走りの液のぬめりを借り、啓介はさしたる摩擦もなく滑らかに全体を掌に包み込み、ゆっくりとした動きで手淫を施す。そうして微妙に指を動かす毎に、拓海の熱い肉壁は、深く埋め込まれたモノへと絡みつく。
奥へと誘うその蠕動に逆らって、啓介は腰を引き、反動をつけて更に奥を抉った。
ビクッと跳ねて仰け反る拓海の体に、滴り落ちる己の汗。
拓海にきつく締め付けられて、歯を食いしばって耐える。
………翻弄されているのは、一体どちらなのか。わからないくらいに互いを貪っている。
繋がる腰を揺すりながら呻くように言った啓介の台詞に、拓海は荒い息を無理矢理押さえつけ、ようよう答えた。
「っイヤ、だね………女じゃ、ねーんだ…っ…アンタ、何ホザいてんだよ………っっ」
…拓海が承諾しないことは、啓介もわかっている。
「…女とか、男とか…、…んなの関係あるかよ…」
だが、言わずにはいられないのだ。
拓海が喘ぎ声をそう易々と聞かせてくれるわけはないのに、それでも何故か、啓介は決まって同じことを言った。
──交わったままこんなに貪ってても、いつも渇いてる気がする…全然足りてねえよ………
幾度となく同じセリフを口にするのは、啓介がいつでもそう思っているのだということを、拓海に知らしめるためかもしれなかった。
「大体、それじゃオレが、つまんねえだろ…? っ…テメ、自分から煽って…オレんこと誘っといて、ソレはねえんじゃねーの…っ?」
拓海の腰を強く抱き、埋めたままの雄をグッと突き刺して、啓介が上体を拓海の上にズシリと重ねると、拓海の口から引きつれた苦悶の声が漏れた。
けれど、息を落ち着かせるようにハア、と大きく一息吐いた後の拓海の顔を見ると、その口元には微かに笑みが滲んでいた。
目元は紅潮し、瞳は潤んでいるが、間近でしっかりと啓介を見据え、挑戦的な光を放っている。
快楽に耽ってはいても、自分を見失っていない。
そして、拓海は不意に、ニヤリと歪んだ笑いを見せた。
「ハ…ッ、よく、言う…。んな硬ぇモン、オレん中、突っ込んどいて…っ、何がつまんねえって…?」
啓介の首に腕を回してグイと引き寄せ、拓海はペロリと啓介の唇を舐めた。
そのまま腕に力を込め、更に身を寄せて、顎から首筋を舌でツウ、となぞり、今度は啓介の耳朶に優しく歯を立てる。そして、空いていた片方の手で左の脇腹をそっと撫で上げ、尖った乳首を指の腹で擽った。
途端に肩をピクンと震わせた啓介に、拓海はその耳元に掠れた囁きを落とす。
「………ほら。大体、…オレよか、あんたの方が…ビンカンじゃん………?」
声を立てずに吐息でクス、と微笑う拓海に、少々カチンときた啓介が、片手で拓海の髪を鷲掴んで引き剥がす。
「ッてぇ…何す…──」
抗議をしようとした拓海の発言は、途中で啓介に遮られた。
「お前な…、そういう余計なこと、言うんじゃねえよ…。全っ然わかってねえのか? この態勢で、オレとお前のどっちが有利だと思ってんだ………?」
僅かに気分を損ねながらもクッと喉奥で笑う啓介は、普段の状態なら格好良いと評され、特に女達にはもてはやされる存在なのに違いない。
だが、状況が状況だけに、とても今の拓海にはそうは思えなかった。
啓介の次の行動を予想する間もなく、両膝の裏に腕を差し込まれ、拓海はいともたやすく足を限界まで左右に広げさせられる。
羞恥にカッと顔が火照るが、既に体全体が熱くなり、快楽に呑まれている四肢は思ったよりも言うことを聞かない。
そしてそのまま深々と肉棒を埋め込まれる結果となり、熱さと圧迫感で、呻き声が拓海の喉をついて出た。
「っくぅ…っ」
反射的に、ビクンと四肢が跳ねる。
啓介の意のままに、拓海の左足は彼の右肩に乗せられ、同時に彼の大きな片手で、頭上に両手を戒められた。
その態勢は、息をするのに結構苦しいものだった。できることなら、せめて肩で押し上げられた片足だけでも、ベッドに降ろしたい。
だが、思っていても、それを伝えたところで素直にそうしてくれる啓介ではない。また、バカ正直に啓介に何かを要求する拓海でもなかった。…言えば、薮蛇になるだけ。逆手に取られ、代わりに他の要求を受け入れさせられる羽目になる。
拓海は、そんなのは真っ平御免だった。
そうこうしているうちに、再び動きを再開される。
先程までよりも、数段荒い交わりだった。
気にならなかったスプリングの悲鳴も、ギシギシとうるさく、耳障りな音として疎ましく感じる。
奥を穿つスピードも激しさも、先程とはまるで違う、獣じみた荒々しさ──さっきまでは手加減されていたことがよくわかる。
奥へ、更に奥へと、貪欲に内壁を押し拡げ、力任せに強引に抉ってくる。
体内で、腹の奥まで到達しそうな灼熱と、息苦しいまでのその圧迫感。
何より一気に体温を上げる──快楽。
「…なあ…藤原…っ………。っ今はもう………余裕、なんか、…ねーだろっ…?」
乱暴に快楽中枢を刺激される中、耳元でそんなことを言う啓介に対して、拓海は心の中で思いっきり罵倒した。
──この、状況でっ! 余裕あるわきゃねーだろ、クソッタレが! わかりきったコト言うんじゃねえ!!
拓海の両腕を頭上で戒める手とは反対の手で、啓介は熱い拓海自身を嬲り、滴の溢れる鈴口を親指で擦り上げた。
たまらない快感が、拓海の体内を隅々まで浸食していく。与えられる愉悦を追うことだけで手一杯だ。
とうとう拓海は、声を殺すことを放棄した。
最奥を貫かれる度に。押し込まれたモノを抜かれる度に。
弱い箇所をせめられる度に、あられもない声が上がる。
快楽のみに全てが塗りつぶされて、何もかもがどうでもよくなる。
感じていることを隠すのもバカらしくなった。
狂いそうになるほどの法悦に、拓海は無意識のうちに啓介へと、いつの間にか解放されていた手を伸ばす。
………それが何を求めてのものかは、わからない。逃れるための助けなのか、より強い刺激なのか──わかるのは、いずれにせよ、啓介から与えられる何かを欲している、ということだけだ。
すると求めに応えるように、拓海の手は啓介の手によって捉えられた。指を絡められ、手首に柔らかなものがそっと押し当てられる。
その感触は、目を瞑っていても、拓海にはわかる。
多分、啓介の唇だ。
何となくその柔らかな感覚を追っていると、その手を背中に回すよう、啓介にいざなわれる。
拓海は、誘導されるまま己の腕を啓介に回した。
そして背に爪を立て、抱き寄せた彼の肩口に跡が残るほどきつく吸い付く。…舌には、少し塩辛い、汗の味が残った。
したいようにするその行為には、当然躊躇いも何もなく。ただ、そこから生まれる熱さに目眩を覚えた。
やまないどころかどんどん激しさを増す啓介の律動に、体の中で爆発しそうな快楽の熱量を抱え、拓海はもう、何も考えることができなくなった──
それでも、拓海の中に自覚はある。
高橋啓介という男を知っている。彼の本質を、肌で感じて知っている。
その上で、自分は敢えてこの男を選び、誘った。
啓介でなくてもいい、と思ったんじゃない。
──啓介でなければ意味がない。
そう思って、この男を選んだのだ──
.....続く
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