引力-2- 

2002.2.19.up

 極限まで追い詰められ、意識がスパークして──どれくらいの時間が経っただろう。
 長いように拓海には思えたが、実際は、三十秒も過ぎてはいないようだった。

 一つ二つ深呼吸するほどの間を置いてから、ずるりと啓介自身が抜かれる。先程までの激しさとは打って変わった、殊更ゆっくりと出ていくその動きに、微かな快楽がじわりと滲み、背筋を這い上がった。
 今まで受け入れていた他人の熱を、そのまま体内にとどめるつもりはサラサラないのに、内部の肉が意思とは全く無関係に収縮を繰り返す。そのせいで、さんざん擦られて鋭敏になった拓海の秘処が、摩擦とともに僅かな快感を拾い上げてくる。
 ゾワリと皮膚の表面を粟立たせる感触に眉を顰め、唇を噛んでじっと堪え──その後完全に繋がりを解かれて、ようやく拓海は全身から力を抜いた。
 体中のあちこちに残る悦や虚脱感が入り混じる情交の余韻は、ある種独特な感じで。それが心地よくて、シーツに頬をのせ、重くなった瞼を軽く伏せた。
 そうして、情事後の軽い倦怠感を、静かに受け入れる。
 息はまだ、乱れていた。
 熱く火照った体を冷ますために、掛け布団に手を伸ばすこともせず、全裸のまま。
 拓海だけではなく、啓介もまた、同様の姿を晒していた。
 
 
 
 目を瞑り、シーツに顔を埋めるような格好でうつ伏せて息を整える拓海を、ごろりと仰向けになった啓介は、横目でじっと見つめた。
 …汗に濡れた拓海の前髪が、広い額にぺたりと張り付いている。目は閉じられていて、ついさっきまで欲望に染まり、燃え盛っていた焔が、残念ながら今は姿を隠している。
 ──その瞳の奥には、今、何が宿っているんだろう?
 啓介にはわからない。ただ、目の下に濃い陰を落とす長い睫毛が、印象的だと思う。
 普段の拓海はいつ見ても寝惚けた顔をしていて、誰の記憶の端にも引っかからないくらい印象が薄いのに、こうして自分と相対する時はまるで別人だ。しどけないこの姿態もまた、誰もが知る『藤原拓海』とは異なる。
 ふと思いついて、啓介は自分の手を伸ばして拓海の髪に触れ、そっと梳いてみた。
 その行為に、何か特別な意味があるわけではなかった。ただ、時折こうして触ってみたくなるだけのことだ。
 それは、何も考えていない啓介の、無意識の動作だった。
 指の間からスルスルと抜けていく拓海の髪の感触に気を良くし、何度も同じ所作を繰り返す。
 拓海が無言でそれを享受しているのをいいことに、啓介は己の指を、髪の生え際から耳の裏側、首筋、そして肩口へとゆっくり這わせた。汗に湿った温もりに、理由もなく喜ぶ自分がいる。
 暫く気の赴くままにそうしていると、突然、拓海が啓介の手首をガシッと掴み、その動きを停止させた。
「…啓介さん」
「………何だよ」
 別にお前が嫌がるようなことなんかしてねえだろ、と内心舌打ちをし、中断させられたことに文句を言い掛けた啓介である。
 だが、いきなりがばっと身を起こした拓海に上から無遠慮に伸し掛かられて、重さの余り息が一瞬詰まった。
 その動きを少しでも予測できていたら話は別なのだが、不意打ちで真上から全体重を掛けられるのは、たとえ自分よりやや体格の劣る拓海が相手でも、かなり辛い。
 身長の差こそあれ、筋力的にはおそらくほぼ同等。適度に筋肉ののった男の体重を侮ってはいけないのだ。
「…っ、…重いぞ藤原…っ、てめェ、急にのっかってくんなっ!」
「………あんたのせいだろ」
 ぼそりと言い置いて、拓海は啓介に覆い被さった態勢で、紅く色づいた啓介の唇に自分のそれを押し当てた。
 そのまま舌先で、緩く閉じられた啓介の歯列をノックする。受け入れるべきかと啓介が迷っている内に、拓海の舌は歯列をこじ開け、啓介の口腔内に押し入ることに難なく成功した。
 奥に眠る啓介の舌を起こし、より敏感な舌の裏の粘膜を執拗に舐め上げる。すると、拓海の肩に掛かっていた啓介の指にグッと力が篭った。
 口腔に溜まり、飲み込みそびれた唾液が口の端から零れるのにも構わず、角度を変えて唇を貪る。絡めた舌の、艶かしくぬめる熟れた果実のような感触に酔いながら、拓海は自分の右手をそろそろと下へ伸ばす。そうして、先程までの情事で濡れた啓介のモノに手をそっと宛うと、躊躇わずに掬い取り、やんわりと揉みしだいた。
 一度放出した後だからだろうか。弄くっていると如実にそれは硬度を増し、熱を帯びてくる。元より互いの体液で濡れていたそれは、時折卑猥な音を立てて、更にぬめってくる。
 …後戻りできないところまで、もう少し。
 拓海が更に深く口づけながら、無心に啓介の下肢へと快楽を与えていると、啓介が少々強引に頭を振ってキスを解いた。
「お…前、またかよ? ったく、急に盛りやがって…。あれっぽっちじゃ足りねえってか………?」
 かなり本気で拓海を貪った自覚のある啓介が、皮肉げに口角をつりあげてそのことを暗に揶揄すると、拓海は目をスウッと眇め、啓介と同様に声もなく微笑った。
「…何言ってんです? 今のは、あんたが誘ったんでしょ? それにオレ、一番最初に言いませんでしたっけ」
 何を、と問おうとする啓介の顎を、拓海の指が絡め取り、互いの鼻先が掠める距離までスイ、と迫る。
 …明らかに表情が違う、と啓介は思った。
 拓海の顔つきが、先程までとはガラリと様相を異にしている。
 交わりを解いた直後の、先程シーツにうつ伏せていた気怠そうな様子は、一切感じ取れない。瞬くその目は座っており、奥には再びあの焔が揺らめいている。
 情欲を隠さず、真っ直ぐこちらにぶつけてくる、あの獣じみた──獰猛な光が。
 そして、野生動物が獲物を前に舌なめずりをするかのように、拓海は顎を引き気味に啓介を上目遣いで見上げ、低い声音を使って誘惑する。
「すげーしたいって、言いましたよね…オレ。だから…」
 ──オレが満足するまで、付き合って貰いますよ。
 直接啓介の耳に吹き込まれた最後の熱い囁きは、啓介の意思が介入する余地は一切ないのだ、と主張していた。
 だが、啓介とて初めからそのつもりだ。ベッドで向かい合った瞬間から、否やはない。
 ──互いに気の済むまで、幾度でも。
 それが二人の間にある、暗黙のルールの一つだと啓介は認識している。
 そうでなくとも、啓介しか目に入らないと告げる拓海のあの瞳を見ると、もうそれだけで、啓介の中から抵抗する気は完全に失せるのだ。
 啓介が自覚している拓海への欲は即ち、支配と独占。──啓介しか知らないだろう拓海の姿、そして内に秘めたる彼の欲望。そんな姿を晒す拓海を、手に入れたい。いつからか、そう思っていた自分がいる。
 そしてそれらの影響を受けて肥大化する、啓介の中の、拓海に対する純然たる肉欲。
 どちらかと言えば淡泊な啓介の性欲に、拓海はいとも簡単に、火を点ける。
 そのことをイヤだとは思わないし、彼の誘いに便乗して後悔したこともない。逆に自分の方こそが、夢中になることだってある。
 結局の所、一つ言えることは──何もかも一緒くたにして、その上で、藤原拓海が欲しい。
 それが全てだ。理由なんか要らない。
 だから啓介は、重なってくる拓海の体を押し返すどころか、逆に己の方へと、腕に力を込めて引き寄せたのだった。
 
 
 
 * * *
 
「ね、啓介さん………言ったら怒ります?」
 拓海の問いに、啓介の一際きつい眼差しが迎え撃つ。
 曰く、余計なコトなら口にするな、といったところだろう。啓介が拓海に対してよく言うセリフだ。
 だが敢えて、拓海は続けた。
「…そんなにオレに声聴かれんの、イヤですか?」
「………お前だって、イヤだっつった…くせに、………何でオレだけが…っっ」
 息をできるだけ乱さないように努力しながら、啓介は答えた。声が上擦ってしまったのは、仕方ない。更には、言いたいことを最後まで言い切ることもできなかった。
 完全に勃ち上がり、先走りに濡れそぼったそれを銜えられるだけならまだしも、後ろに指を深々と差し込まれた挙げ句に弱い箇所を嬲られては、どうしようもない。
 声を上げたくなければ、口を閉ざすしかないからだ。
 眉間に皺を寄せ、唇をきつく噛んで、何とか声を飲み込む。
 その啓介の様子に、やせ我慢も長くは保たないだろうことを察し、拓海は微かに笑った。
「…まあ、いいですけど………。啓介さんて、口で言わなくても伝えてくるし………」
「………あ? …何、言って…?」
「表情で、言ってるから………」
 ──オレのことが、欲しいって。
 ジッと、正面から啓介の目を見据えて言い、拓海は啓介の後肛に自分の猛ったモノを宛うと、グッと身を進ませた。
 途端、啓介の腰がビクリと震える。思わず啓介は、拓海の腕を掴んだ。
「…別に、無茶はしませんよ」
 淡々といつもの口調で、拓海は言う。
 だが、その瞳が言葉を裏切っている。──とてもじゃないが、啓介にはそれを鵜呑みにすることはできなかった。
「ウソつけっ! 大体、ヤってもいいなんて…てめーに許可した覚えは………ッ!」
「なら…もっと早くに言ってくれないと。──もう、遅いよ…」
 言って、拓海は両手でしっかりと啓介の腰骨を掴んで支えた。
 直後、熱い先端が押し入ってくる圧力に、啓介は力んでしまい、痛みに呻きを漏らす。
「っツ………啓介さん…、息吐いて………もっと力抜いて。でないと………」
 きつすぎる締め付けに、拓海も僅かに眉をひそめる。
「う…るせえっ………っ…言われ、なくたってっ………」
 わかってはいるのだが、瞬間力んでしまうのは条件反射というもので、抑えるのは難しい。
 拓海だってそんなことくらい、それこそ身を以て知っているだろうに。
 苦痛を齎す目の前の男に、心の中で思いっきり毒づきながら、啓介は浅い呼吸を何度も繰り返し、極力力を抜くように努めた。
 
 
 
 微震ほどにしか揺れない視界。ちゃちなスプリングなのにあまり軋まないベッド。
 全てが緩やかすぎてどうにも堪えきれず、啓介は小さく呻きながら眉間に深く皺を刻んだ。
 一方的に拓海から与えられる快楽──だが、一度ギリギリの所まで追い上げられた後は、緩やかで微々たる刺激しかくれない。微妙に性感帯を掠め、少し煽ってははぐらかされて、………その繰り返しだ。
 『無茶はしません』──その言葉を、違えるつもりは拓海にはなかった。あるいは、その方が拓海にとっては都合が良いとも言えた。後でどれだけ貪ったか思い出せないほど夢中になるより、時間を掛けて快感を追い掛けた方が、啓介の艶やかな痴態を目で楽しめるからだ。
 だが、いつまでも生殺し状態では、啓介の方がたまらない。
 両手首は拓海に掴まれ、ベッドに抑えつけられていて、自分で自分を慰めるという手段さえ奪われてしまっている。
 奥を犯され、拓海と繋がっている部分だけが、悦楽を享受する。そして時折思い出したように乳首や胸に舌でツ、と舐められ、それだけの刺激に体がビクンと震える。
 露骨な声は上がらないが、息をする度に、啜り泣きに近い喘ぎが絶えず口から漏れていた。
「ハ…ァ…っ、いつ、まで…ヤってりゃ………、気が済むんだ………っ」
 ちくしょう、と内心で雑言を吐きながら啓介が睨めつけると、拓海の瞳の奥が一瞬底光りをした。
「…っ、いつまででも…っ、こうしてたい…ですよ………オレは」
 絶対不可能だけどね…、と最後に付け足された一際低い呟きに、啓介が僅かに目を瞠る。
 拓海が今、全面に表出しているのは、啓介に対する欲と激情。それ以外の何ものでもなかった。
 思わず、啓介はゾクリと肌を震わせた。…歓喜ゆえに。
 自分以外の、他の誰にも見せてほしくない。この男の本当の激しさを知っているのは、唯一自分だけでなければならない。
 常に拓海に感じる自分の執着心が、どこか満たされたように思えるのは、こんな時だ。
 啓介を求める拓海のこの姿に、今まで蓄積してきた飢餓感が、多少満たされる。
 だが──まだ、足りないものがある。
「も………、いー加減に…しろ…ッ」
 ベッドに戒められていた両手を力任せに振り解き、逆に拓海の手首を掴んだ啓介は、繋がったまま、拓海の上体をベッドに押し倒して馬乗りになった。
 強引に無理な態勢を取ったために交わりは一層深くなり、強烈な鈍痛が啓介の下肢を襲う。
「…け、啓介さんっ…?」
 だが、間の抜けた顔で自分を見上げる拓海に、啓介は、してやったり、と悪戯な笑みを見せた。
「………な…にが、『いつまででも』だ? …それも、悪かねえけどな…っ…」
 そこまで言うと、思い切って自ら腰を揺らめかせた。
 …ずっと、ずっと欲しかった愉悦に、目が眩む。鼻から抜けるような甘い喘ぎが零れたが、もうそんなことどうでもよかった。
「どうせなら…っ………ヤりたく…なくなる、まで………何度でも…ヤってみりゃ、いいだろっ? その方が…現実的、じゃねーか………っ」
「っ!」
 拓海が身じろいだために発生した上下の振動に、思わぬ快楽が生じ、啓介は緩く頭を振った。それでなくても、腹の奥でドクドクと脈打つ拓海自身の熱に当てられ、のぼせているのに。
「………動くなよ…てめえはじっとしてろ………気が向いたら、お前も満足させてやるけど?」
 取りあえずは勝手にやらせてもらう、と不敵な微笑みを向け、啓介は抑えていた拓海の両腕を離した。
 ──いつまで経っても与えられない快楽に焦れるより、欲しいものは自分の手で奪ってやる。
 そういうつもりだった。のだが──
 不意に下から強く突き上げられて、啓介の口から快楽に嬌声が溢れた。
「っア…あっ、待………っ、う…動くな………て、言った………ッ」
「…ん、なの、知るかよっ。いっつも…オレを煽んのは、…あんたのクセに…!」
 揺れるだけの焦れったかった行為が、一変して荒々しくなった。何かの支えがなければ上体が崩れてしまうくらいの、乱暴さだ。
 だがその激しさにも、啓介は痛みを感じなかった。どんな刺激も、快感としか受け止められない。それほどに長い間、焦らされていた。
 じんじんと疼く秘肉を割り拡げられ、抉られる感覚に、理性の残骸さえどこかに吹き飛ぶ。
 それでも、何とか目を凝らし、快楽に潤んでしまう己の視界に捉えた拓海の表情に、啓介はやっと充足感を得た。
 そう──これを、見たかった。
 多少の代償を払ってでも。
 我を忘れるほどに夢中になって、啓介を食らい尽くそうとする拓海を、見たかった。
 自分の全てを拓海に明け渡す気はないが、それでも──これを見たいと、願っていたのだ。
 
 
 
 
 ◇ ◇ ◇
 
「………………………ケダモノ」
 一言、ポツリと啓介が呟く。
 すると一拍の間をわざと空けて、拓海は氷点下の冷たい眼差しで、啓介に反論した。
「………どっちが? 啓介さんこそ、手加減してねえでしょ………。オレ、まだケツ痛いんスけど」
 オレは一応加減しましたよ、と言外に含める拓海を、啓介は少しだけバツが悪そうに睨んだ。
 …確かに、その通りではあったのだ。さほど痛みはない。だが、言いたかったのは別のことだ。
「…そういう意味じゃねえっつの。じゃなくて…──その、久々ってワケでもねえのに、お前やたらがっついてたなって…オレは言ってんだよ」
「………………イヤだったんですか」
 ふてくされたように唇を尖らせる拓海を、啓介は軽く鼻で笑った。
「…イヤなら、最初っからこんなトコ来るかよ」
「………それはそうですけど…。でも、がっついてたのは、オレより啓介さんの方でしょう」
 言われて啓介は、無言で天井を見上げる。
 つられて同じように天井を見つめた拓海に、笑いを含んだ楽しげな声音で、啓介から答えが返ってきた。
「…つまり、ケダモノ同士ってワケだ」
 あっさり認めた啓介に、コメントの返しようがなくて、拓海は啓介を見て黙り込む。
 そのまま暫く黙っていると、思わず欠伸が出そうになり、慌てて噛み殺した。睡魔が忍び寄ってきている証拠だ。
 それを見て取った啓介は、喉奥でククッと笑う。
「素直に寝とけ。…どうせ起きててもロクなこと言わねえんだから」
「………………ひでぇ…」
 憎まれ口に一言返したものの、言われた通りに素直に目を閉じる。
 啓介も、何の気なしに瞼を瞑ってみる。
 すると、疲れた体はやはり睡眠を欲していたらしい。
 二人して、ものの五分もしないうちにストンと眠りに落ちた。
 
 

           健やかな寝息を立てる二人の顔は、あどけない。
           実年齢よりも幼く、可愛らしくさえ見える。

           けれど。
           一旦意識を浮上させ、獲物を前にした途端、
           ケダモノと化すのだ。
           ──逆らえない引力と、本能で以て。



終     

   

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