「そういえば、啓介さんて甘いものとか好きですか?」
藤原拓海は、啓介にそう訊ねた。
明日はいい天気ですかね〜?とでも言い出しかねない、ぼやけた口調と表情だった。
啓介は、怪訝な表情を顔に張り付け、首を傾げてじぃっと見た。
不審そうな光がその瞳に宿っている。
啓介の焦点は、何を考えているのか全く読めない拓海の顔に当てられていた。
わからないポイントは、目下の所、二つ。一つは、どうしていきなりそんな質問をしてくるのか。もう一つは、何故この男が自分にそれを訊いてくるのか、である。
◇ ◇ ◇
場所は冷たい風が吹きすさぶ峠、時は夜。
走り込んで暫くの後、あたたかい飲み物を片手に休憩と称し、まったりしていた啓介と、偶然にもその近辺でぼけーっとしていた拓海との間に、少なくとも今夜、会話は一切成立していなかった。
その上で、先程の拓海の一言がふってわいてきたのだ。
当然、話の脈絡だの何だのという以前の問題である。
──藤原が何言ったって、『何だ、いきなり』って絶対思うに決まってんだけどな、オレは。
啓介にしては、真っ当で冷静な判断を己に下していた。普段から話すこと自体少なく、挨拶だけで終わることも偶にあるのだ。向こうから話し掛けられて驚くのは当然とも言えた。
それにしても──挨拶を交わしたその直後、いの一番に『そういえば』と宣う拓海の切り出し方は、如何なものか?
奇妙だとは思うのだが、単純な啓介のこと、気になったのも一瞬だけで、一秒後にはもう完全にそんな疑問は頭から消え去ってしまう。
そして、何も深く考えずに拓海からの問いへの答えを導き出す、素直な啓介なのであった。
「甘いもんねぇ…。まあ、嫌いじゃねえけど、特別好きでもねえな。…何で?」
「…いえ、何かバレンタインがどうとかって、友達が騒いでたから…何となく」
「………ああ、そういうこと…」
やや声のトーンが落ちる。しかも、少し突き放した、どうでもよさそうな冷たい言い方だ。
拓海はそれに気付き、少し困惑した表情で啓介を窺った。
窺うだけで、拓海の唇から言葉が滑り出てくることはなかった。ただでさえ自分は口下手なので、余計なことを口走るくらいなら黙っていた方がマシだと、拓海は常々思っている。
──そんなにマズイ話題だったか、これって…?
しばらく黙って見ていると、啓介がおもむろに話し出した。その表情は、やはり鬱陶しそうだ。
「…オレさ、そういうイベントごとって、あんま好きじゃねーんだよな…。クリスマスとかもそうだけど、別にそういうのに特別意味があるとも思わねえし、何かこう…ウザってえから」
「そうなんですか?」
啓介のこの台詞に、拓海は目を丸くした。
拓海にとって、『高橋啓介』という人物から連想するのは、イエローのど派手なFDと整った容姿、身に着けている少し洒落たカジュアルな服装。単純で直情型っぽい性格も含め、啓介を『お祭り好きの色男』ではないかと解釈していた。大勢の人の中で輪の中心にいるような、華やいだイメージを啓介に対して持っていた。実際に走り屋の仲間内ではその通りだし、感情の波が激しい割に嫌われることのない、人好きのする性格のようだから。
だが、どうやら拓海の勝手な解釈は、大幅に間違っていたようだ。かなりの軌道修正が必要である。
「お前、今、すっげー意外だって思っただろ」
「………えーと…まあ…、そうですねぇ………」
頭をカリカリ掻きつつ冷や汗混じりで拓海が答えると、啓介は口を尖らせた。多少ムッとしたようだが、それに関しては文句を言わなかった。
「で、バレンタインが何だってんだよ」
ブスくれたままの顔を向けて、啓介は拓海に問うた。
──嫌いな話題なら、自分から突っ込まなきゃいいのに。
思いながら、拓海も律儀に答えを返した。
「啓介さんとか涼介さんだったら、腐るほどチョコとかプレゼントとか貰うんだろうなーって、友達が羨ましがってたんですよ。…でも、甘いの好きだったらいいんすけど、嫌いだったらヒサンだなぁ、と」
「アニキは知らねえけど、オレはそんなでもない」
「渡されても受け取らないって、初めっから宣言してるからですか?」
「…まあな。何で知ってんだ」
何となく、と言って拓海はごまかした。単に、話の流れから何となく啓介の行動が読めたのだが、わざわざ正直に言うこともない。
何にせよ、拓海同様、啓介もバレンタインとは無縁ということだ。…まさか啓介が自分と同じような状況にいるとは、思いっきり予想外であった。無論、正確には、似て非なる事情だとわかってはいるが。
「お前もそういうことに興味なさそうだよな。全然」
藤原の場合はものぐさもここに極まれり、って感じだもんなぁ、と全くの素の表情で言う啓介に、ほっといて下さい、と拓海は低く呟いた。
それが心の底から発せられた言葉だとわかったのだろうか。つまらなそうな拓海の様子に、啓介は目を細めて笑った。嫌みな笑い方ではなく、楽しそうな笑みである。
途端に拓海は、嬉しくなる。…理由はどうあれ、笑顔を向けられることは嬉しい。
自分の単純さに呆れながらも、ささやかな幸せを噛みしめた。
啓介が真面目な顔をしていれば、絶妙な目鼻立ちの形とバランスが際立つ。その容姿は『男前』と万人に称されるにふさわしいほどなのに、表情が豊かなせいか、啓介が兄の涼介と同じくしてその枠に収まることは殆どない。ムクれたり怒ったり笑ったりと、直接向けられることの少ない拓海が見知っているだけでも、かなり表情が多彩だ。そのために、啓介に対し、整った顔立ちをしていると特別意識して見惚れる者は少なかった。もちろん、一般的な意味合いで『カッコいい』部類に属することは言うまでもない。
しかし、拓海にとっては最初、『カッコいい』どころではなく、正直言って『言いたい放題のムカつくヤロー』でしかなかった。
大体、啓介が拓海によく見せる表情は、いつも同じだったりする。確かに、顔を合わせる機会が多くなって少しずつ緩和されてきたものの、プロジェクトの始まった当初は正に睨み付けるような視線だったし、やはりきつく上がった眦とその眼光の鋭さは今も変わらない。
拓海は、他人に意識されていることが、昔嫌いだった。何事も面倒は背負い込みたくなかったから、余程のことがない限り、事勿れ主義を通していた。けれど今はそうでもない。啓介に意識されているのは、嫌ではないのだ。
鋭い視線を鬱陶しく思わないほどには、啓介を許容している。…笑顔を見せられて嬉しくなるほどには、啓介を好ましく思う。
──この気持ちがまた、くせ者なんだけどさ………
心の中で嘆息する。いつの間にか芽生えた淡い想いは、ほのかに甘くて、ほろ苦い。
ある意味、涼介よりも常識人な啓介に、向けるべきでない感情なのである。拓海は、本能的にそれをわかっていた。
………啓介に、最初に見せつけられたのは、瞳の放つ光の強さ。それは即ち意思の強さに繋がった。加えて、ぶつけられる嵐のような激しい感情──拓海の事勿れ主義をはねのけ、一掃するほどの勢いに、苛立ちながらも目が離せなかった。
『ムカつくヤロー』から『結構単純な人』に変わるのに、時間は掛からなかった。拓海がムカついていたのは言いたい放題だからではなく、言っていることがいちいち的を射ていたからだったし、それを正直にも本人に直接真正面からぶつける彼は、どちらかというと言わなきゃ気が済まない性分だった。
元々言うべき事も言わないような、言葉が足りない自分とは正反対で、その『単純な人』をつい視界に入れるようになった。物珍しさから無意識のうちに目で追う──そんなふうに啓介を見ていた。
見続けて、思ったよりも彼は単純ではないのだと知った。雑なようでいて、細やかな気遣いが出来る人だともわかった。…そして、知れば知るほど次第に啓介に傾倒していく自分が、いた。
しかし、だからといって拓海は不必要に啓介に近付こうとは考えなかった。
自分と啓介の間にある、もの。
反発を覚え、共感をし──プロジェクトDで同じドライバーとして扱われてきた者同士の、心の繋がり。実力は認め合い、けれどライバル意識も萎えず。そのまま互いを意識しながら、前に歩を進めてきた。より速くなるために、互いの存在を目の端に入れながら切磋琢磨してきた。その中で培われた、友情に近い感情。友と呼ぶより同胞や仲間に近いそれ。仲間にしては、全く甘さのない関わり合い。
不可思議な心地よさを感じるこの関係を、拓海は保ちたかった。後から生まれた他の感情は差し置いてもいいと、思っていた。それが薄氷のように薄く、壊れやすいものであったとしても。プロジェクトが終われば消えゆく運命にあるとしても。
優先順位はそちらの方にあるはずだった。逆に、甘やかな切なさは、たとえ感じていても顧みないと決めたはずだった。それなのに、時々は今みたいに啓介に意味もないバレンタインの質問なんかを投げかけてしまう。そこら辺り、矛盾してるなあ、と拓海が我が事ながら内心苦笑していた。
.....続く
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