act.3-1(side Takumi)
驚愕に、知らず拓海の全身が竦む。
──いつから、気が付いていた?
啓介の意識は戻ってないと、思い込んでいた。
戦々恐々としながら、拓海は啓介の顔を見た。
複雑な色を呈した、彼の瞳。
視線はすんなり絡み合ってしまい、縫い止められたように啓介から目が離せなくなる。
──啓介の、先程の声。
静かな低い声だった。
沈黙を破ったそれは掠れていた。
啓介には似合わない、啓介とも思えない、無感情な声音。
………そうさせたのは、自分だ。
息を詰めて、拓海は表情のない啓介を見返した。
表には見えない啓介の抱える心が、今、何に染まっていようと、自分は甘受しなければならない。
怒りや、憎しみ…あるいは侮蔑、嫌悪か。たとえその全てが含まれていようとも。
受け止めなければならない。
そう思う。
拓海は待った。
手前勝手な行為の浅ましさと、虚しさ。
理解した上で、行為そのものに喜びを見出した自分。
救いようのない愚かな自分を打ちのめすのは、この人でなければならない。
この人でなければ、意味を為さない。
だから、啓介から、弾劾の言葉が放たれるのを待っていたのだ。
啓介からの、断罪を。
だが──
再び聞こえる、啓介の静かな声。
自分を呼んだだろうと、そう訊いた。
拓海は耳を疑った。
普通の会話らしきものを続けようとする啓介に、目を見張った。
啓介は仰向けに寝そべったまま、気怠そうに片腕をのそりと持ち上げ、己の額にのせた。
しかし腕に翳ったその瞳は、拓海をしっかりと捉えている。
三度、啓介は口を開き、同じ声音で拓海に問うた。
自分を呼んだ理由は何なのか。視線と共に、彼は答えを促した。
──『答えろ』………? 『言いたいこと』って…オレの?
言われたことを理解するのに、拓海はやたらと時間が掛かった。
啓介のどんな感情をも、この身に受けようと思っていた。………それなのに。
彼の口から真っ先に出たのは、予想した反応のうちの、どれにも当てはまらない。
…聴覚から中枢神経へと伝わってくる情報を、ゆっくりと脳で咀嚼する。
が、いかんせん、啓介の予想外の言動は拓海には荷が勝ちすぎて、理解に苦しんだ。
…わからない。
一体、何を言ってるんだ?
今、この状況で。
オレなんかに、この人が。
何を、訊いてるんだ。
………何が、聞きたいんだ?
言いたいことは啓介の方にこそあるはずなのだ。
きっと山ほどあることだろう。
それが、逆に、啓介が訊いてくるとはどういうことか。
わからなくて、結局、再び啓介から他の言葉が綴られるのを、拓海は待った。
自ら語ることなど、何もないのだ。
act.3-2(side Keisuke)
啓介は微かに笑った。
笑うしかなかった。…思った通りの拓海の沈黙に。
いつだって反応が鈍い上に、余程意に添わぬことでもない限り、自ら口を開かない。
そういう男だ。藤原拓海は。
──オレを呼ぶからには言いたいことがあるんだろう。
それなら答えろと、先程は言った。
だが元より、何を訊いても拓海は黙っているだろうと、啓介は踏んでいた。
その予想通りだっただけの話だ。だから笑えた。
…ただ、それだけだ。
「………何にもないのかよ」
お前らしいけど、と続ける啓介の声の掠れ具合は、最初の第一声に比べれば幾分かマシだった。
ゆっくり上体を起こしかけると、途端に下肢に鈍痛が走り、啓介は息を詰めた。
とりあえず痛みを辛うじて堪え、何とか身を起こして拓海に向き直る。
その間、ずっと拓海は神妙な顔で、何も言わず啓介を見ていた。
暫くそんな拓海を見つめてから、啓介は低く言った。
「何もねえなら…オレを呼ぶな」
拓海からの反応は、なかった。
その目は戸惑いを湛えてはいても、今尚、反らされない。
だが、啓介の声が聞こえているにも関わらず、身じろぎもせずこちらを黙って見続けている拓海に、啓介は苛立った。
苛立ちもそのままに、眦をきつく上げて睨んだ。
「オレんこと、見るんじゃねえ」
わざと、多少きつい語調で言ってみる。
それでも変わらぬ拓海の無言。
気に食わなかった。
拓海が何を考えているのか、さっぱりわからない。
「うんざりだ………大っ嫌いなんだよ、お前なんかッ」
吐き捨てるように声高に言うと、その時初めて、拓海からの反応が返ってきた。
拓海の瞳が揺らぎ、翳りを帯びる。
頬がピクリと強張った。
傷ついた彼の青い顔を視界に捉え、啓介は掌の下のシーツをグッと握り締めた。
──こいつの傷つく姿が見たいと、オレは思ってたはずだ。
…本気で、そう思っていた。
今までずっと、自分が拓海に対して何を言っても何をしても、無駄だった。何度試みても、彼をほんの少し動じさせ、困らせるまでが精々だった。
それが今、さして狙うでもなく、彼を傷つけることに成功した。
これで、今までにない爽快感を得ることができるはずなのだ、自分は。
ざまあみろ、と思えばいい。すっきりした、と笑えばいい。
念願の瞬間ではないか。
…なのに。
そんな感情、ちっともありはしないのが現実だ。…この男の行為で、自分は肉体的にも精神的にも、苦痛と屈辱を味わわされたというのに。
それどころか、感じるのは、痛みでしかないなんて。
──たかが傷ついた顔を見ただけで、どうしてオレがこんなふうに感じなくちゃならないんだ?
啓介は唇をきつく結び、ギリリと奥歯を食いしばった。
…ダメだ。
我慢できない。
息をするのさえ苦しかった。
ずっと、ウソをつき続けるつもりが。
もう、全然できない。
藤原に対してだけは、そうしてきた。
ホントをウソで固めてきた。
今までそれができた。
どんな些細なことも、全て。
なのに、…もう。
限界だった。
.....続く
|