欲-2- 

2000.11.12.up

 肩越しに、不審そうな視線を送る男の、その眼差し。
 それを受けたもう一人の男は、見つめ返し、僅かに目を細めた。
 無言。
 狭い一室で見つめ合うその時間は、長いようで短く。
 後ろから肩を掴まれ、引き留められて振り向いた男は、首を傾げ、その顔を少し覗き込んだ。
 刹那、凄い力で手首を掴まれ、体に衝撃を受ける。
 ベッドに突き飛ばされたのだ。
 咄嗟に閉じた目を見開くと、20cmと離れない視界一杯に、連れの男の顔があった。
 その素早さに呆気にとられる。
 真剣で、切羽詰まった表情。
 …上から押さえられ、ベッドに縫いつけられた、己の四肢。
 そうして男は、ようやく我が身に起こったこととその失態を、知る。
 ──自分が、目前の男の地雷を踏んだということを。
 
 
act.0

 …通常なら、男女で泊まるホテル。
 価格は、安い。
 下着までびしょ濡れになるほどの雨に見舞われ、啓介が選んだ行き先がそこだった。
 一緒にいるのは、同じ濡れネズミの年下の男。やや少年っぽさを残す顔立ちの。
 今日、雨に濡れることを、啓介は計算に入れていたわけじゃなかった。
 だが、結果としては、上々だ。
 自分と彼、二人が立っているのは、ホテルの真ん前。押し問答をするには恥ずかしい場所だ。
 尤も、恥ずかしいと思うのは相応の感覚を持っていればの話で、そんな羞恥は啓介の中から抜け落ちていた。元々、体裁を気にしないタチなのだ。
 となれば、羞恥を感じるのはもう一人の彼の方だけで。
 今まさに、目前の彼は、啓介の想像以上の驚愕と戸惑いで一杯だった。
 "………こんなトコ入るなんて…冗談でしょう? イヤですよ、オレ………"
 その様子を見、台詞を聞き、啓介は満足げに笑った。
 ここまで彼の動揺した表情を拝めたのは、初めてだ。
 ──見たいのは、困った顔だけじゃねえけどな。
 心の中で呟き、抗う腕を強引にとった。
 つい力任せに掴んでしまい、彼の眉が顰められる。けれど、それに構うつもりはない。
 はっきり言って、啓介は最近、無性に苛ついてしょうがなかった。…そう、苛ついている。
 彼に対して。
 何をしても、思うように反応が得られない。それが、気に食わないのだ。
 だが今、その表情を見る限り、少し突つけば、あるいはおもしろそうなものが見られるかもしれない。
 …たとえば、いつも隠れてる彼の本音…とか。
 だとすれば、この場に乗じないという手はないだろう。
 彼をからかって遊ぶのは案外楽しいし、己の苛々も多少は解放される。
 
 
 
 ──ちょいと付き合ってもらうぜ? 嫌でも、な。
 
 
 
 啓介は、声もなく、片頬を歪ませて笑った。
 彼を掴んだ手に、力を込めながら。
 
 
 
 
 
act.1(side Keisuke)

      自分を敗北させたドライバー。
      藤原拓海。
      良くも悪くも、啓介にとっては無視できない存在。
      なのに、彼ときたら。
      彼の彼たるゆえん──寝ぼけ顔、無感動、鈍感さ。
      それより以前に、彼のクルマに関する無頓着さ。
      …我慢できなかった。どれもこれもに、ムカついた。
      それでも何故か、彼を無視できなかった。
      ………無視できない自分に、苛々した。
      
「あう…っっ」
 激痛。
 痛みに強いこの自分が、叫ぶほどの。
 背後を取られるとこんなにも体の動きが制約されるのか、と初めて知った。
 うつ伏せにされ、膝を立てさせられ、背中に伸しかかられ、両手首を捕らえられて。
 …あまり解されなかった後ろに、男の灼熱の欲望が宛われた瞬間。
 恐怖と、もう一つの何かに、体が震えた。
 逃げたい。
 しかし、そんな余裕もなく。
 直後、メリメリと体内に押し入ってきた灼けた杭に、悲鳴を上げる自分がいた。
 ──ものすごい痛みと、熱さゆえに。
 
      拓海を見ると、苛つく。
      だけど無視できずに、どうしても見てしまう。
      そして、だからこそ知ることのできた、彼の性質。
      愚鈍そうで実はそうでもない、とか。
      自分以上に面倒臭がりだとか。
      嫌なことに関しては、過剰に反応するとか。
      …それから、他人に対して結構甘い、とか。 
 
 襲いくる激痛には、際限がない。
 繋がるところは密着している。自分の臀部と彼の腰が当たる感触があった。
 腰骨辺りに回っている拓海の両手には強い力がこもり、指の跡さえ付きそうで、離す気が全くないことを伝えてくる。
「っあ、ああ…っ、く………」
 体の中心を串刺しにされた瞬間から、途絶えることなくそこからもたらされる苦痛と熱。
 繋がる体を揺する動きは、緩やかだ。完璧に、手加減されている。
 それでいて、この激痛。むき出しの神経をもみくちゃにされている錯覚。
 腸の粘膜が限界まで拡げられ、ギチギチと隙間なく男を受け入れているのに、出し入れされてはズルリと擦られる。
 僅かな動きにも、気が遠のきそうなほど。
 体の奥深くで感じるすさまじい痛みと焼け焦げそうな熱さに、翻弄され、意識までぐちゃぐちゃになる。
 なのに、全然鈍くならない己の痛覚。
 サアッと血の気が引き、異様なその感覚に鳥肌が立つ。
 しがみつけるものは、目の前に広がるシーツの波だけで。
 堪えるために頼りないその布を握り締めながら、せめて、と必死になって、己の声を殺した。
 
      彼自身のことを、知れば知るほどムカついた。
      ………時折、拓海は無言でこちらを見る。
      ぼんやりじゃなく、意思を持ったその瞳。
      だからこそ、余計に苛々する。
      何故なら──
      たとえ彼が多少の関心を示そうと、結局は。
      どうでもいいのと同じだと、わかったから。
 
 何度も貫かれる。
 僅かに抜き差しされるだけで、傷口を抉られるような激痛が走る。
 少しでも楽になろうと、啓介は強張る己の体から、何とか力を抜こうとした。
 …その途端。
 萎えた啓介のモノを弄くる拓海に、ゾクリと背筋に震えが走った。
「…ん、…ッさ、…わんな………ア…ッ…」
 苦痛は、減らない。生理的な涙が出るほどの苦痛に襲われ、頭がガンガンする。
 ただ──少しずつ、己の体は快感を拾ってきている。
 多分、自分の体の上を這い回る、拓海の手に感じているのだ。
 確実に快感が溜まっていき、苦痛に快感が追いついてくる。
 啓介は悦楽を与える拓海の手を退けようとした。
 だが、無理な体勢で力んだせいか、自ら与えた痛みに呻くことになっただけであった。
 
      自ら決して近寄らず、話すこともしない。
      啓介が近寄れば、向けられるのは惑う表情。
      …迷惑そうにしか見えない。
      わかっていたから、深く考えなかった。
      わかっていながら、逆に、自分は拓海を視界のど真ん中に入れる。
      すると啓介の苛々は募り、心のどこかが冷えた。
      そんな、悪循環の繰り返し。
 
 快楽が痛みに追いつく、どころではなく。
 体の奥に一旦火がつくとそれは倍加し、苦痛を上回る勢いだ。
「ッア…、あっ…あ、ぅっ………」
 啓介は今、自分が痛みに呻いているのか、悦楽に喘いでいるのか、よくわからなかった。
 …ただ、拓海のすることの一挙一動に翻弄されている自分に、嫌気が差す。
 うつ伏せられた苦しい態勢のまま、呼吸を整えながら啓介は、時折かぶりを振り、声を噛み殺していた。
 抵抗を忘れたのではない。けれど、抵抗する余裕がない。
 そしてまた、拓海が途中でやめるはずもなくて、だから啓介は、体を張っての抵抗はするつもりでも、やめろと言うつもりはなかった。
 無駄なことだから。
 
      ──本音言うのもバカらしい。
      思った直後から、啓介は言わなくなった。
      だが、逆に拓海の本音は引き出してみたかった。
      からかうと、案外ガードは脆いことが判明して。
      苛立ちも解消されると、からかって、楽しんで。
      図に乗って、度が過ぎた結果が──
      今、なのだ。
      文句は言えない。たとえどんなに憤りを感じても。
      …本音は、本当は。
      啓介は、拓海を傷つけたくて、からかっていた。
      彼の無関心さを見せつけられる度に、苛立ったのではなく。
      本当は、いつも傷ついた。
      
 内壁の奥を抉られ、突き上げられ、犯されて。
 激しくなる彼の動きに、次第に増長する──悦楽。
 鋭い痛みを凌駕するほどの、目も眩むような快感に、啓介の悲鳴はいつしか喘ぎに変わっていた。
「あ…あ、ぁん…っ、…ぁ………」
 揺れる視界、ぶれる焦点。
 最初に悪寒を覚えたのが信じられないくらい、熱く脈打つ硬いモノが深々と穿たれる度に、体内に留めようと自然に己のソコが引き絞られる。
 吐息が漏れ、堪えきれない声が喉をつく。自分でも耳を覆いたくなるほど甘く掠れて聞こえる。
 聞きたくない。
 自分の声と、それから。
 …濡れた淫猥な音、ベッドの軋み。
 そして──拓海の声。
 
      優しく呼ぶな。
      耳元で囁くな。
      そんな、頼りない声で、縋るように。
      その言葉しか知らないみたいに。
      …うわごとのように何度も。
      オレの名前ばっかり。
 
 容赦ない律動に、のぼりつめ、目の前が真っ白になる。
 何が何だかわからないうちに、互いの体が大きく震え、終焉を迎えた。
 啓介の中に放たれたものが広がり、腹の底が熱く感じられる。
 全身がだるくて、呼吸も苦しく、啓介は芯から脱力した。
 熱の冷めない体を持て余して。
 …今も密着している拓海の温もりを、背に感じながら。
      
      お前なんか、大嫌いだ。
      他人の心にズカズカ入ってきやがって。
      荒らしまくって。…体までも。
      全部をめちゃくちゃにする。
      お前なんか──
 
 体に絡みつく拓海の両腕に力が入った時、耳元で微かに聞こえた囁きに、啓介は目頭が熱くなった。
 腹立たしさも、情けなさも。
 哀しみも、虚しさも。
 それらを凌駕する、愛しさも。
 いろんな感情が奔流となって、温かい雫が啓介の頬を伝った。



終...?     

   

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