肩越しに、不審そうな視線を送る男の、その眼差し。
それを受けたもう一人の男は、見つめ返し、僅かに目を細めた。
無言。
狭い一室で見つめ合うその時間は、長いようで短く。
後ろから肩を掴まれ、引き留められて振り向いた男は、首を傾げ、その顔を少し覗き込んだ。
刹那、凄い力で手首を掴まれ、体に衝撃を受ける。
ベッドに突き飛ばされたのだ。
咄嗟に閉じた目を見開くと、20cmと離れない視界一杯に、連れの男の顔があった。
その素早さに呆気にとられる。
真剣で、切羽詰まった表情。
…上から押さえられ、ベッドに縫いつけられた、己の四肢。
そうして男は、ようやく我が身に起こったこととその失態を、知る。
──自分が、目前の男の地雷を踏んだということを。
act.0
…通常なら、男女で泊まるホテル。
価格は、安い。
下着までびしょ濡れになるほどの雨に見舞われ、啓介が選んだ行き先がそこだった。
一緒にいるのは、同じ濡れネズミの年下の男。やや少年っぽさを残す顔立ちの。
今日、雨に濡れることを、啓介は計算に入れていたわけじゃなかった。
だが、結果としては、上々だ。
自分と彼、二人が立っているのは、ホテルの真ん前。押し問答をするには恥ずかしい場所だ。
尤も、恥ずかしいと思うのは相応の感覚を持っていればの話で、そんな羞恥は啓介の中から抜け落ちていた。元々、体裁を気にしないタチなのだ。
となれば、羞恥を感じるのはもう一人の彼の方だけで。
今まさに、目前の彼は、啓介の想像以上の驚愕と戸惑いで一杯だった。
"………こんなトコ入るなんて…冗談でしょう? イヤですよ、オレ………"
その様子を見、台詞を聞き、啓介は満足げに笑った。
ここまで彼の動揺した表情を拝めたのは、初めてだ。
──見たいのは、困った顔だけじゃねえけどな。
心の中で呟き、抗う腕を強引にとった。
つい力任せに掴んでしまい、彼の眉が顰められる。けれど、それに構うつもりはない。
はっきり言って、啓介は最近、無性に苛ついてしょうがなかった。…そう、苛ついている。
彼に対して。
何をしても、思うように反応が得られない。それが、気に食わないのだ。
だが今、その表情を見る限り、少し突つけば、あるいはおもしろそうなものが見られるかもしれない。
…たとえば、いつも隠れてる彼の本音…とか。
だとすれば、この場に乗じないという手はないだろう。
彼をからかって遊ぶのは案外楽しいし、己の苛々も多少は解放される。
──ちょいと付き合ってもらうぜ? 嫌でも、な。
啓介は、声もなく、片頬を歪ませて笑った。
彼を掴んだ手に、力を込めながら。
act.1(side Keisuke)
自分を敗北させたドライバー。
藤原拓海。
良くも悪くも、啓介にとっては無視できない存在。
なのに、彼ときたら。
彼の彼たるゆえん──寝ぼけ顔、無感動、鈍感さ。
それより以前に、彼のクルマに関する無頓着さ。
…我慢できなかった。どれもこれもに、ムカついた。
それでも何故か、彼を無視できなかった。
………無視できない自分に、苛々した。
「あう…っっ」
激痛。
痛みに強いこの自分が、叫ぶほどの。
背後を取られるとこんなにも体の動きが制約されるのか、と初めて知った。
うつ伏せにされ、膝を立てさせられ、背中に伸しかかられ、両手首を捕らえられて。
…あまり解されなかった後ろに、男の灼熱の欲望が宛われた瞬間。
恐怖と、もう一つの何かに、体が震えた。
逃げたい。
しかし、そんな余裕もなく。
直後、メリメリと体内に押し入ってきた灼けた杭に、悲鳴を上げる自分がいた。
──ものすごい痛みと、熱さゆえに。
拓海を見ると、苛つく。
だけど無視できずに、どうしても見てしまう。
そして、だからこそ知ることのできた、彼の性質。
愚鈍そうで実はそうでもない、とか。
自分以上に面倒臭がりだとか。
嫌なことに関しては、過剰に反応するとか。
…それから、他人に対して結構甘い、とか。
襲いくる激痛には、際限がない。
繋がるところは密着している。自分の臀部と彼の腰が当たる感触があった。
腰骨辺りに回っている拓海の両手には強い力がこもり、指の跡さえ付きそうで、離す気が全くないことを伝えてくる。
「っあ、ああ…っ、く………」
体の中心を串刺しにされた瞬間から、途絶えることなくそこからもたらされる苦痛と熱。
繋がる体を揺する動きは、緩やかだ。完璧に、手加減されている。
それでいて、この激痛。むき出しの神経をもみくちゃにされている錯覚。
腸の粘膜が限界まで拡げられ、ギチギチと隙間なく男を受け入れているのに、出し入れされてはズルリと擦られる。
僅かな動きにも、気が遠のきそうなほど。
体の奥深くで感じるすさまじい痛みと焼け焦げそうな熱さに、翻弄され、意識までぐちゃぐちゃになる。
なのに、全然鈍くならない己の痛覚。
サアッと血の気が引き、異様なその感覚に鳥肌が立つ。
しがみつけるものは、目の前に広がるシーツの波だけで。
堪えるために頼りないその布を握り締めながら、せめて、と必死になって、己の声を殺した。
彼自身のことを、知れば知るほどムカついた。
………時折、拓海は無言でこちらを見る。
ぼんやりじゃなく、意思を持ったその瞳。
だからこそ、余計に苛々する。
何故なら──
たとえ彼が多少の関心を示そうと、結局は。
どうでもいいのと同じだと、わかったから。
何度も貫かれる。
僅かに抜き差しされるだけで、傷口を抉られるような激痛が走る。
少しでも楽になろうと、啓介は強張る己の体から、何とか力を抜こうとした。
…その途端。
萎えた啓介のモノを弄くる拓海に、ゾクリと背筋に震えが走った。
「…ん、…ッさ、…わんな………ア…ッ…」
苦痛は、減らない。生理的な涙が出るほどの苦痛に襲われ、頭がガンガンする。
ただ──少しずつ、己の体は快感を拾ってきている。
多分、自分の体の上を這い回る、拓海の手に感じているのだ。
確実に快感が溜まっていき、苦痛に快感が追いついてくる。
啓介は悦楽を与える拓海の手を退けようとした。
だが、無理な体勢で力んだせいか、自ら与えた痛みに呻くことになっただけであった。
自ら決して近寄らず、話すこともしない。
啓介が近寄れば、向けられるのは惑う表情。
…迷惑そうにしか見えない。
わかっていたから、深く考えなかった。
わかっていながら、逆に、自分は拓海を視界のど真ん中に入れる。
すると啓介の苛々は募り、心のどこかが冷えた。
そんな、悪循環の繰り返し。
快楽が痛みに追いつく、どころではなく。
体の奥に一旦火がつくとそれは倍加し、苦痛を上回る勢いだ。
「ッア…、あっ…あ、ぅっ………」
啓介は今、自分が痛みに呻いているのか、悦楽に喘いでいるのか、よくわからなかった。
…ただ、拓海のすることの一挙一動に翻弄されている自分に、嫌気が差す。
うつ伏せられた苦しい態勢のまま、呼吸を整えながら啓介は、時折かぶりを振り、声を噛み殺していた。
抵抗を忘れたのではない。けれど、抵抗する余裕がない。
そしてまた、拓海が途中でやめるはずもなくて、だから啓介は、体を張っての抵抗はするつもりでも、やめろと言うつもりはなかった。
無駄なことだから。
──本音言うのもバカらしい。
思った直後から、啓介は言わなくなった。
だが、逆に拓海の本音は引き出してみたかった。
からかうと、案外ガードは脆いことが判明して。
苛立ちも解消されると、からかって、楽しんで。
図に乗って、度が過ぎた結果が──
今、なのだ。
文句は言えない。たとえどんなに憤りを感じても。
…本音は、本当は。
啓介は、拓海を傷つけたくて、からかっていた。
彼の無関心さを見せつけられる度に、苛立ったのではなく。
本当は、いつも傷ついた。
内壁の奥を抉られ、突き上げられ、犯されて。
激しくなる彼の動きに、次第に増長する──悦楽。
鋭い痛みを凌駕するほどの、目も眩むような快感に、啓介の悲鳴はいつしか喘ぎに変わっていた。
「あ…あ、ぁん…っ、…ぁ………」
揺れる視界、ぶれる焦点。
最初に悪寒を覚えたのが信じられないくらい、熱く脈打つ硬いモノが深々と穿たれる度に、体内に留めようと自然に己のソコが引き絞られる。
吐息が漏れ、堪えきれない声が喉をつく。自分でも耳を覆いたくなるほど甘く掠れて聞こえる。
聞きたくない。
自分の声と、それから。
…濡れた淫猥な音、ベッドの軋み。
そして──拓海の声。
優しく呼ぶな。
耳元で囁くな。
そんな、頼りない声で、縋るように。
その言葉しか知らないみたいに。
…うわごとのように何度も。
オレの名前ばっかり。
容赦ない律動に、のぼりつめ、目の前が真っ白になる。
何が何だかわからないうちに、互いの体が大きく震え、終焉を迎えた。
啓介の中に放たれたものが広がり、腹の底が熱く感じられる。
全身がだるくて、呼吸も苦しく、啓介は芯から脱力した。
熱の冷めない体を持て余して。
…今も密着している拓海の温もりを、背に感じながら。
お前なんか、大嫌いだ。
他人の心にズカズカ入ってきやがって。
荒らしまくって。…体までも。
全部をめちゃくちゃにする。
お前なんか──
体に絡みつく拓海の両腕に力が入った時、耳元で微かに聞こえた囁きに、啓介は目頭が熱くなった。
腹立たしさも、情けなさも。
哀しみも、虚しさも。
それらを凌駕する、愛しさも。
いろんな感情が奔流となって、温かい雫が啓介の頬を伝った。
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