ルビコン川を渡れ!-5- 

2000.10.26.up

「これからまたオレぁ出るからなー。今晩クルマねえぞー…」

 続いてすぐ、そんな台詞が耳に届く。少し遠いのんびりとした男の声。壁を一つ二つ隔てた所──多分店先からであろうその声は、拓海の父親-文太-のものだった。
 今の台詞と、耳を澄ませば微かに聞こえるハチロクのアイドリング音。
 即ち──声の主は既に車中の人であり、ここにやって来ることはない、ということだ。
 息を潜め、完全に凍りついていた二人は、パニくりながらもそれを悟った。
 拓海は、真っ白になった頭で、 呆然と父親に答えた。
「…わかった──」
 自分の声が、まるで他人のもののようだった。
 文太は、拓海の返事が聞こえたのを合図するかのように、エンジンを一つ大きくふかして路地に響かせ、そのまま爆音を轟かせて遠ざかっていった。
 しばらくして車の音がなくなり、部屋が静けさを取り戻す。
 時計の針の音さえ聞こえるほどに。
 それでも尚、二人は硬直したままだった。
 
 

 冷水を浴びせかけられたとは、正しくこのことに違いない。
 まさに文字通り、一気に我に返った。
 体を動かす命令が一向に下されず、二人の体は今以て硬直状態にあった。その動かない肉体とは別に、意識は完全に覚醒した拓海と啓介である。視界は鮮明で、隅々までよく見える。
 …それはあまりシアワセなことではなかった。
 何故なら、そのクリアに見える目前の現実たるや、半分以上忘我の境地だった自分たちにとって、あまりに無情だったからだ。
 ………時間を遡れるのなら、そうしたい。ゲームだったらリセットできるのに。
 実現不可能なことをも考えた。
 なのに、全てをリセットしたくてもできないことを、先程の残滓が、否が応でも教えてくれるのだ。
  
 *  *  *

 先程文太の声を聞いた瞬間、深く重ねた唇も、猛ったものに絡ませていた手も、咄嗟に離してしまった。だが、膝立ち状態では殆ど抱き合っていた体を遠ざけることなどできず、密着したままだ。さらに大間抜けにも、右手は離しておきながら、左手は今も相手の腕を掴んだままだったりする。…自覚がないから、気付くに至らないのである。
 しかし自認できる事実だけで少なく見積もっても、自分的に至上最悪な有り様だった。なので、直視したくなくて互いから顔を逸らした。
 が、どうやっても到底無視できないものが──あるのだ。
 
    平常時には程遠く、バクバクとうるさい心臓。
    第三者登場により、さらに飛び上がった脈拍。
    重ねた唇や絡ませた舌の、生温かく柔らかな、生々しい触感。
    名残で、今も濡れた唇と舌が、僅かに痺れている。
    濡れているのは唇だけではなく。
    右の掌は、唾液とは異なる体液でぬめりを帯びている。
    加えて、その手で触れた、互いの性器のヤケドしそうな熱さ。
    何より──今も無闇に元気な、己のモノ。
 
 持ち得る感覚は全て、二人共通のはずで。
 全て、ごまかしの利かない現実なのだ。
 ──何で、こんなことになってんだよ、オレら!?
 泣きの入った心の叫びも、おそらく二人共通の思いだろう。
 
 
 長くはない沈黙の後。
「………どーすんだよ、コレ………………」
 呆然と呟く掠れた声は、啓介のものだった。
 コレとはもちろん、熱を持て余したソレのことである。
 同じく抑揚のない声で、拓海がぼそぼそと答えた。その表情は、珍しく困惑気味だ。互いにそっぽを向いているため、啓介には知りようもなかったが。
「…んなこと言ったって………このままじゃ…どうしようも………………」
 もちろん、そんなことはわかっている。このままでは、おさまらない。放ったらかしでどうにもならないものには、相応の対処が必要なのである。
 お互いに、後戻りはできない状態だった。勢いこそ衰え、さほど切羽詰まってはいないものの、今も、体の中心が熱く疼いている。意識は半分以上、その感覚に集中していた。
 …途中で気が殺がれたのだから、本当ならば、すっかり萎えてもよさそうなものなのだ。
 何故なら、ソレは見た目はカワイクなくて多少グロテスクであっても、本来かなりなところ、持ち主の気持ちに正直で、非常にセンシティブであり、気がそぞろになればすぐにでもしおしおと意気消沈するものだからだ。
 なのに、熱が引かない。悩ましい欲が消えない。
 おそらくは、身近に相手の存在があり、その体温と、そして欲望を感じるからだろう。
 側にいる相手の熱に煽られているから、だから今も熱さと硬度を保ったままなのだ。
 対処方法は、ただ一つ。過程はどうあれ、ソレをお慰めすることである。
 だが、その対処をしなければならないのが、よりによって頭の冷えたこの状況下でだとは、笑えないにもホドがある。
 頭が多少冷えても体が冷えないのだから、しかたないとは言え、あまりにいただけないシチュエーションだ。
 そうして、再び沈黙が降りた。
 その一瞬後、
 ──本当に、このままじゃ埒が明かない。
 と、さっさと見切りを付けたのは、一体どちらだったのか。
「続けるしかないでしょ…?」
 言われたことが、啓介は一瞬理解できなかった。
 ──ツヅケルシカナイ? つづける………………続けるゥ!?
「お前…っ、何考えて…ッン………!」
 いきなり半勃ちのものを強く掴まれ、啓介の台詞は途切れた。
「…啓介さんも、…して下さいよ………。じゃないと、終わんねえし………」
 やわやわと掌全体で握り込む拓海を、啓介はキッと睨んだ。
 勝手なこと抜かすな!! と思ったのも束の間、直接性感に直結する箇所への刺激に、啓介の言いたいことが片っ端から霞んで消えていく。
 下肢から滲む快感が、再び全身にじわじわと浸透していくのを、啓介は感覚で知る。
 ──…ヤバ………………また、流される…っ!
 そう思った刹那。
 拓海とカチリと目が合った。
 ぼんやりとしているようでいて、けれど拓海の瞳は、ちらつく情欲で揺れている。
「………啓介さん…」
 焦れてねだるような声と、きつくなる愛撫に煽られる劣情とが、さらに啓介の後押しをした。
 …何だか悔しいが、拓海の言う通りにするしかない。他に方法も思いつかないわけだし。
 啓介は、速攻で頭を切り替えた。
 となれば。
 こうやって追い込まれ、挙げ句自分が先にイってしまうなんてことだけは、断じて避けたい。男としてそれはかなり屈辱的で、何が何でも避けなければならないのだ。
 年上のメンツにかけても、絶対に負けるわけにはいかなかった。
 ──やってやるよ。…こうなりゃ今度はマジでカワイがってやろーじゃねえか!
 啓介は、迷わず拓海へと指を這わせた。



.....続く     

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