ルビコン川を渡れ!-4- 

2000.10.9.up

 頬が徐々に熱く火照ってくるこの、感じ。
 首筋や背筋の皮膚がゾクゾクと粟立つ──この感覚は。

 ──やばい。
 乱れる息と一緒にこぼれそうになった声を、啓介は咄嗟に喉の奥で殺した。
 怒りで一杯だった心が、体に与えられる感覚に浸食されていく。腹立たしさを忘れ、情欲に染まっていき、それしか考えられなくなる──そういう瞬間が、こんな手淫を続けていれば確実にやってくる。
 ──こいつ、いつまで続ける気だ!?
 これ以上いくと、シャレで済ませられなくなる。…というか、もう既に済まされない状態だ。
 そう思いながらも、しかし、相手が手を休めないうちは、啓介もそうするつもりは全然、全く、これっぽっちもない。先に引いた方の、負けだからだ。
 ──オレからはぜってーやめねえからな!
 誰に何と言われようと、たとえバカだと謗られようが、少なくとも啓介にとっては、これは勝ち負けの問題なのだった。
 …だが、実際、啓介にとっては、初めて触れる、他人のモノ。
 触ってみると、何かが微妙に違う、そんな違和感。一番異なるのは、どれだけ触れてもその刺激は自分に少しも快楽をもたらさないことだ。
 その代わりに。
 自分は指一本触れていないのに、自らの性器に与えられる刺激と愉悦──全く予想のつかない細やかで丁寧な動きは、より一層の悦楽を導き、思わず腰が揺れそうになる。
 啓介にとっては、他人に触れられるのは、実は初めてではない。だが、こんなに的確に快感のツボを突かれることは、今までなかった気がする。
 あまり時も経たずして、先走りの液に濡れた淫猥な音が、鼓膜を震わせる。
 のぼせて、そんなに悠長に物を考えてもいられない。
 自分でするよりも、過去誰にされたよりも、官能的かもしれない──認めたくないが。
 ──こいつも、おんなじ男…だからか?
 そうとしか、啓介には思えなかった。

 *  *  *

 一方、拓海は拓海で、啓介とは違う意味の危機感を感じていた。
 ──これって…なんか、やべー。
 何がどうなって、どうしてこうなったのか。イマイチ覚えていない。
 いつの間にこんなことに、とぼんやり考えながら、せまりくる快感に頭がクラクラする。
 拓海は、わからないけどとにかくこの気持ちよさはやばい、と思った。
 誰かにこんな奉仕はされたことは、はっきり言って、ない。専らの御用達は自らの手だ。
 それが今は、自分の手が他人のモノを握り、逆に他人の手が自分のムスコをなだめているのだ。
 他人──しかも女ではなく男の手指が、強弱を付けて己の先端から根本までを丹念に扱き、さらには陰嚢の裏側まで慰撫するに至り、思わず拓海は声を漏らしてしまう始末である。
「…あ……っ…」
 途中でやめる気なんか、更々起きないほどだ。そのつもりだったとしても、絶対無理だと断言できるくらい、イイ。だから、余計にやばいと思う。
 ──男同士だから、こんなにイイのか? …じゃなくて、もしかして啓介さんだから?
 そう思って、拓海が啓介の顔を見ると、啓介の方も拓海を見ていた。
 こうして向き合って膝で立っていても、やはり身長差は歴然としている。普通に立っている時より差はなくても、啓介の方からだと、少し覗き込む形で拓海の頭はあった。

 *  *  *

 常に惚けている印象の拓海の顔立ち。
 間近で良くみると、それがかなり整っているとわかる。
 啓介は、じっと拓海の顔を眺めた。
 普段は何を考えているのかサッパリわからない拓海の顔が、今は──すっかり上気した頬といい、半開きの口元といい──やたら扇情的だ。
 たとえ、男とわかっていても。


       徐々に

       まともであったはずの思考が

       奪われていく──


 啓介は、少しずつ硬度と大きさを増す拓海の濡れた分身を、己の手の中で弄びながら、手の動きによって変化する拓海の表情を見つめ続けていた。
 …さっきは、思いきり気の済むまで殴ってやりたいと、啓介が心底思ったその顔。
 眉を潜める瞬間、揺らぐ瞳。それでもこちらを振り向く時は必ず、縋ることなく挑むように啓介を睨めつける。徐々に上がってくる息は、時折喘ぎを伴っていて。
「…ん、っ………」
 それは、どう聞いても紛うことなく男の声だ。それでも、啓介の体の奥が、疼く。
 密やかに漏れる拓海の声と、奥で蠢く赤い舌、上下する喉仏──
 聴覚と、視覚によって、脳が支配される。
 時々軽く開くふっくらとした赤い唇が、その奥に潜む舌が、やけに艶かしい。
 直接触れたい、と啓介は唐突に思った。
 そうしたいと思った瞬間、すぐさま空いている左手で拓海の後頭部を掴み、強引に引き寄せて。
 軽く合わせるだけのキスをしてから舌で上唇をぺろりと舐める。すると、まるで啓介を誘うようにゆっくりと拓海の歯列が緩んだ。
 …啓介は、拓海に拒否されることはないと、心の奥で確信していた。同じように感じ、同じ快楽に耽っている。だから、絶対に同じことを望んでいるのだと、無意識下で信じていた。
 それを裏付けるかのような反応に、やっぱりな、と微かに笑んで、啓介は誘われるままに深く口づけ、熱く柔らかな口腔内を蹂躙した。
 互いの手は動かしたままで、奥に縮こまっていた舌を誘い出し、絡ませる。すると、呼吸はますます息苦しくなった。
 頭ががんがんするくらいに血が逆流し、心臓が体から飛び出しそうなほど大きく胸を叩き出す。
 他の全てを意識の中から排除し、快感だけをひたすら追い求めた──いや、そうすることを、とうとう自分に許容した。
 その、瞬間だった。

「おーい、拓海ー? いるかー?」



 屋外からの声に、全てが凍りついた。



.....続く     

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