「…んだよ、それ。軽く言うなよ………」
聞き取りにくいほど重低音の声で宣う拓海の不穏な気配に、啓介も機嫌を急降下させる。
自然と、啓介の声が低くなった。
「…何がだよ。別に、オレは軽く言ったつもりはねえ」
「だったら、あんたはさ…──」
そこで拓海は言葉を途切り、元々近くにいる啓介へと膝を進め、おもむろにずいと近づいた。
拓海が手を伸ばした先は、今度は、啓介の脇腹──ではなかった。
啓介には拓海の行動も意図も、まったく読めなかった。拓海の突然の行動に、啓介は目を見開くだけで、体を引くこともしない。
それは僅かな隙だった。
ベルトは締めずにサスペンダーで吊られただけの、ゆったりめの啓介のチノパンは、緩いウエスト回りから拓海の手の侵入をあっさりと許した。
「………っ!?」
啓介は、咄嗟に拓海の腕を払い退けようとして、失敗する。
拓海は全く躊躇わなかった。自分と同じつくりの男の体に触るのだからと、 それがたとえあらぬところであっても、少しも厭わなかった。
…そんなことがどうでもいいくらいには、キレていたのだ。
──自分がそうなってても、さっきの台詞が言えるのか、あんたに?
下着の上から股の間にあるモノを拓海が掴んだ瞬間、ビクンとその持ち主の体が痙攣した。
「は、なせっ! 何しやがんだてめェ…ッ!?」
わけのわからない異常な今の状況を打破すべく、がむしゃらに振り解こうとする啓介の抗いに、拓海は手の中のものをギリ、と握り込んだ。
途端に、短く息を飲み込む音がし、啓介の抵抗がピタリと止む。
それを受けて拓海は少し力を抜いた。
手を動かさずとも、手の中で徐々に熱を帯びて形を変えていく啓介のソレ。
「…こんな、状態だっての…目の前にいる人間に知られてて。………あんたは、それでも『気にしない』のか?」
下着越しに掌に伝わる灼熱と、間近で驚愕と羞恥と憤怒に頬を歪ませる啓介に、拓海は、多少なりとも満足感を味わう。
──本当は、拓海は別にわざわざズボンの中に手を入れなくてもよかったのだ。ズボンの上からでも構わなかった。それだって、きっと同じような反応が得られたはずだ。なのに、拓海がそうしなかったのは、ひとえに──
その方が、啓介は絶対に狼狽えると、そう思ったからだ。
啓介が、激しく狼狽える様を見たかった。さらっと気休め程度のことを啓介に言われて、何故だかものすごく頭にきたから。
常識という概念は、拓海の脳裏から綺麗さっぱり消えている。度外れたことをしている認識もなく、単に、自分の気が済めば、それでよかった。
拓海は、20cmと離れていない距離で、啓介を見据えた。
「どうなんだよ。言ってみろよ、『気にしない』って」
拓海が殊更ゆっくりと台詞を言い終えた瞬間。
全身が沸騰した錯覚に襲われるくらい、啓介の頭に、一気にカッと血が上った。
──ザけんな…ッ!!!
脳裏が、怒り一色で真っ赤に塗り込められる。
爆発するその怒りは深ければ深いほど、言葉という言葉が口から一切出なくなるものだ。
渦巻く感情の嵐は、啓介の舌の根を凍り付かせた。そして、その代わりにできることしか考えられなくなる。
どうしようもなくたぎる怒りを力に換えて拳にのせ、思いっきりこの男を殴ってブチのめしたい。
──タマ握り潰されたって、構いやしねえ!
啓介がそう思ったのが、拓海に伝わるはずはない。
それでも啓介がグッと拳を固めた時、同時に拓海は手に掴んでいた啓介のモノに、力を加えた。
「…ッ! ………のヤロォ…っ」
すかさず啓介は、拓海のハーフパンツの中に荒々しく手を差し込んだ。
急所を握られているのが自分だけだから不利なのだ。フェアにいけば絶対にやりこめることもできる。逆にコッチが握り潰してやる、と、かなり安直かつ凶暴ではあるが、そう考えての行動だった。
拓海の服装はというと、まるで寝間着かと思うくらいラフなもので、啓介にとっては拍子抜けするくらい簡単だった。
しかし、簡単すぎた余り、ハーフパンツもトランクスもそっちのけで直に掴んでしまい、その感触とビクッと震えた拓海の体とに、啓介は少々おののいてしまう。
内心慌てたその直後。
同じように、拓海の素手が啓介の下腹へと忍び込んできたのだ。
間接と直接との大きな隔たりに、電流が啓介の体内を駆け抜ける。
──マジ…かよ。信じられねえ。
拓海の指が、先程の力任せではなく絡んでくるそれだけのことに………そんなに自分が感じるなんて。
こんな展開、予想もしなかった。
ウソだろ、と驚きも露に啓介は拓海を見返した。…ウソも何も、啓介とて同じようなことをしているのだが、意図的ではなかったので無意識の内に除外されていた。
見ると、こちらに焦点を合わせている拓海の瞳は全く揺るぎもなく、やめる気配はない。
明らかに、拓海はそういう意図があるということか。それとも何にも考えていないのか。
…いずれにしても。
──こいつ、頭ブッ飛んでやがる………!
啓介は、痛みを味わわせるつもりだった。
他は何も考えなかった──のに、藤原拓海は違うというのか。
この時から、少しずつ微妙に目的がずれていくのを、啓介は感じた。
──な、何でだ………? ………違う…オレは………
自分のソレが形を変えるにつれ、拓海の指の力加減が変わる。
──…違うだろ…っ………オレが…したかったのは………!
こんなはずじゃない、と訴える心に反し、拓海の反応に呼応して変化していく、己の指先の動き。
啓介の頭の中で、警鐘が鳴る。キンキンとこめかみに響いて煩わしい。
バカなことはやめろ、ともう一人の自分が囁きかける。
だが、後戻りはできない。
自分から引くことだけは、絶対にできなかった──
.....続く
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