啓介の言い分は、拓海にも半分だけなら何とか頷けた。
…確かに自分は、ほんの小さな出来心だったとはいえ、思いつきで多少余計なことをしたと思う。
だが、残り半分は、どう考えても間違っている。納得がいかない。
八つ当たりしてんのか、この人? などと考えながら、内心で溜息を吐いて口を開く。
「………怒鳴んないで下さいよ…オレ謝ったじゃないすかー。それに、ビデオ見てるっつっても………」
拓海は、ぼんやりとした表情のまま、スイッとビデオデッキを指差した。
「今は『見てる最中』じゃなくて、巻き戻し中なんですけど…?」
啓介が指につられてテレビに目を向けると、画面は真っ黒で何も映っておらず、少し古くさいデッキが、キュルルルル………と音を立てながら、カウンタの数字をどんどん減少させている。
──拓海の言う通りである。
啓介は、苦虫を潰したような顔をした。
その表情は、自分に対していつも先輩風を吹かせてエラぶっている啓介とは逆に、妙に子供っぽいように拓海の目に映る。
間近でそういう啓介を見たのは初めてで、少々悪戯心を刺激された拓海は、悪いと思いつつも再び啓介に手を伸ばした。
「…たったこれだけで、そんなにくすぐったいんですか?」
先程は、半信半疑で指一本で突ついてみただけだが、今度は意図的に五指全てを使って仕掛けてみる。
「っちょ…っ、ア、っ、ヒャハハ、ハ…や、やめろ…っ…て! ………ッコラ!!」
啓介は、体の上を這い回る拓海の両手を、こみ上げる笑いの発作を抑えながらやっとのことで掴まえて、その勢いで拓海を畳に押し倒した。
ドサリ、という鈍い音を伴い、二人分の体重を受けた部屋全体がミシミシと振動する。
…あまり、藤原家の建物の造りは頑丈とは言えないようだ。
「ッテー………ちょっと啓介さん、何すんですか………」
「…それは…っコッチの台詞だっての!」
啓介は少し息を弾ませながら拓海の上に馬乗りになり、拓海の手首を捕らえたまま畳に押しつけていた。
馬乗り、とは言っても、一応体格の差を気遣って、膝で自分の体を支え、拓海の負担にならないような態勢だ。
倒されて文句を言う割に、啓介の下にいる拓海の表情は、笑んでこそいないがどことなくおもしろそうに、こちらを見上げている。
それは、拓海が元々表情の変化に乏しいだけに物珍しく映り、啓介は湧き上がっていた僅かな苛立ちを暫し忘れてしまう。
「…息、切れてますね」
「るっせえ!」
間髪入れずの啓介の返答に、今度こそ、拓海は笑った。
啓介は、藤原のこんな顔は初めて見たな、と思いつつも、やはり笑われたこと自体は気に食わなくて、よし、と報復行動に出ることにした。
戒めた手首を放し、自分がされたことを、そっくり拓海にやり返すのだ。
他人の嫌がることを敢えてする趣味は、啓介にはない。だが、今仕返すことに関しては、躊躇うどころか愉しささえ感じる。
手始めにまずは定番の脇腹から、と啓介はわくわくして手を差し伸べていった。
………が、しかし。
どう触っても、ちっとも拓海からの反応が返ってこない。
「…なあ、お前は全然何ともねーのかよ?」
「はあ…全然っすね」
「………くっそ、おもしろくねー………」
平然と、少しも変わらぬのんびり口調が、啓介の癪に触る。 自分が過剰に反応しただけに、憎々しいことこの上なかった。
…何とかしてその小憎らしい余裕しゃくしゃくな態度を崩したい。
いい加減諦めたらどうですかー、だの、ビデオの巻き戻し終わりましたよー、だの言う拓海のとぼけた声に、さらに意地になった啓介が、脇腹がダメなら背筋辺りはどうか、と拓海の背中を浮かせるためにその腰を鷲掴んだ時だった。
ビクッと、ようやく拓海からの反応が返ってきた。
「なーんだ。ここが弱かったのかよ」
ニタリ、と悪巧みが成功したかのような顔で、啓介は得意げに笑った。
気まずそうな拓海の表情を見て、間違いナシ、と確信を持つ。
「…違いますよ………いいからもうどいて下さい」
「嫌だね」
意地悪く笑ってそう答え、手を動かそうとする啓介を、拓海は何とか押し退けようとした。
「や、めて下さいって。………ちょ、マジで…っっ」
顔には出ないが、拓海はかなり本気で抗っていた。
だが、体格が同じでも上から抑え込まれると絶対的に不利なのに、啓介の方がガタイがいいのだ。はっきり言って、正攻法では適わない。
すったもんだと腕だけの揉み合いで、結局啓介の手がもう一度拓海の腰の辺りに触れることになった。
そして、啓介の指が不穏な動きをした、その直後。
「…やめろっつってんだろ!」
ドスッ。
拓海は、膝蹴りを啓介の腹に食らわした。正攻法は、やめにしたのである。
元サッカー部の脚力は、態勢が下であっても侮れないものがあった。加えて、拓海なりに多少の手加減をしていたのだが、まぐれで鳩尾近くをヒットしてしまい、折角今まで膝立ちで支えていた啓介の体は、とうとう拓海の上に崩おれる結果となった。
──いくら嫌でも、膝蹴りまでするかっ!?
鈍い痛みが啓介の中で怒りにすり変わり、怒鳴ろうと拓海の体の上から起き上がりかける寸前、啓介は奇妙な感触を覚えた。
「…どいて下さい、早く」
「あ、ああ………」
拓海の幾分か低い声に、啓介はおとなしく従い、そそくさと体を起こした。
蹴られたことに対する怒りは、すっかり霧散してしまった。
「…えーと…」
「………」
啓介は、どう言おうかと少しまごついた。
拓海は相も変わらず読めないとぼけた顔をしていたが、心なしかその目は座っている。啓介の気のせいなんかではない筈だ。
…先程の奇妙な感触。自分の体に当たった、不自然な硬さ。啓介の腹の辺りだった、ということは、啓介に伸しかかられていた拓海にとっての………………足の付け根辺り、になる。
「まー、そのー…だな、気にすんなって。オレも気にしねえから」
啓介はそう言って、ご機嫌取りも多少兼ねて、ニッカリ笑ってみた。冷や汗が滲んでいたかもしれないけれど、そこは目を瞑って欲しい。実は、少々表情の選択には迷ったのだが、マジな顔だと、まるで気にしてますと言わんばかりで、それもどうかと思ったから、笑んでみたのだった。
くすぐったつもりが見当違いの結果に終わったのは、啓介にしても不本意だが、弱点を知られたという意味では五分と五分だと思う。悪気はもちろんなかったし、これ以後もこの件に関して触れるつもりもない。第一、AVを観るだけで正常な男ならば勃つのだから、体を触られての拓海のその反応は、啓介にしてみれば当たり前すぎるくらいの感覚だった。
だが、そういう啓介の心情は、残念ながら、拓海には全く伝わっていなかった。
それどころか、逆に全く悪びれないそのあっけらかんとした態度に、拓海はムッとした。
──気にするな? 簡単に言うなよな。…そりゃ、あんたは気にしないだろうよ、オレじゃねえんだから。でもな、それじゃ、もしあんたがオレの立場だったら、ちっとも気にしないでいられるっていうのかよ? ………大体、あんたのせいじゃねえか。
本当を言うと、拓海はこんなことで反応した自分がみっともなく恥ずかしく、かつ情けなかった。…そして当然、啓介に悟られたくなんかなかった。なのに、知られた上に、しかも台詞が『気にするな』だ? 爽やかな態度とその笑顔すら、いつもは拓海には滅多に見せないだけに、尚更癪に触る。少し自己嫌悪に陥ってる時に、わざわざオトナぶった余裕とやらを見せつけられたようで、イヤになる。元はと言えば、啓介が原因ではないか。
考えれば考えるだけ、拓海の苛立ちは募った。
──どうせガキだよ。あんたにとっちゃ、それくらいでってことなのかもしんねえけど………
ガキの言い分かもしれない。
わかってるけど、でも。
それでも………ムカつくものは、ムカつくのだ。
拓海がぎゅっと拳を強く握りしめた瞬間。
拓海の中の何かが、静かに、堰を切って溢れ出した。
.....続く
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