発した声は自分でも驚く程硬く響き、伸に気付かれないよう取り繕うべく、慌てて言葉を探す。
「沈鬱、なんて言葉は、秀には似合わないな。…あいつ、遼と喧嘩でもしたのか? それとも……遼に何かあった、とか」
さり気なく当麻が隣の伸へと目を向けると、伸は肩を竦め、軽く諸手を挙げた。
「少なくとも初めから僕じゃ役者不足だってわかってる。だから君を呼んだんだ」
伸の愁いを帯びた嘆息と台詞に、当麻の胸が騒ぐ。
「…俺?」
「そう」
どうして自分なのか。
そう訊きたくても声にならなかった。下手に薮を突っつきたくはない。それに、問うても伸は答えてはくれまい。そういう顔をしている。
いずれにせよ、当麻の選ぶ道は決まっていた。仲間である秀と遼の問題を解消するのに助力を仰がれれば、否やはない。
「何をすればいいんだ?」
「──ありがとう。その言葉が聞きたかったんだ」
伸の顔が綻ぶ。それは、心から安心したという笑顔だった。
「じゃこれ、よろしく」
明るくなった声音と同時にスッと出された、予め手の中に用意していたと思われる手帳の切れ端。
当麻が無言で受け取り、伸の綺麗な手書き文字を凝視しながら何事かを考えている隣で、伸は大きく安堵の息を吐いた。
「本当に良かったよ、当麻が容易く引き受けてくれて」
伸の表情はとても晴れやかだ。安堵感で両肩の力も抜け、ピンと張っていた背筋は弛んでいる。対照的に、暫くの間静止画像と化していた当麻は、ようやく硬直を解いて静かに深呼吸をした。
「…………伸。これは一体どういうことだ?」
記されているのは主に数字の羅列。上から順に、番地、03から始まる番号、建物名、時間帯。
最早答えなどわかりきっているが、溜息を堪え、低く押し殺した声を絞り出して当麻が問うと、対する伸はけろりとした顔で、朗らかに明かした。
「これが秀の心配事と遼の愁いをなくす唯一確実な方法だ、というのが僕の持論。秀が遼のことを前から気に掛けていてね、今まで聞き役に徹していた僕だけど、今回まともに相談に乗ったからちゃあんと解決してあげようと思って。あ、因みにそれは、今遼が仕事してるスタジオとその時間帯。ついこの間からそこで定期的に仕事やることになったんだって。当麻の家から近いだろ? だからね、『当麻にも教えといた』って先回りして遼に言っておいてあげたから、電話しても不自然じゃないよ。いや、しなかったら逆に不自然だね」
頬杖を突いてすらすらと並べ立て、横目でちらりと当麻を見た伸はニッと笑んだ。
「──完璧なお膳立てで至れり尽くせりってワケだ。良かったねぇ当麻」
こんな細かいところにまで気の配れる僕ってなんて親切なんだろう。君はそう思わない?
などと滔々と流れるように、とんだ戯言まで嘯いてくれる。
思い通りに事を運べて満足し、悦に入っている伸を見て、当麻はげんなりとした。とりあえず、一言も返さないではいられない。
「…何の企みなのか説明して貰いたいもんだな」
つまり自分は今、遼に連絡をしろと伸から命を下されたのだ。
だが、そんなことを伸に指図される謂れはない。誰にも何のメリットもないと思われる。ただそれだけのために自分を呼び出す伸の神経も、どうかと思う。
遼が秀に何を言ったのか、或いは秀が遼の様子に何を感じ取ったのか知らないが、遼から秀、秀から伸、伸から自分へと伝言ゲームのように繋がったネットワークに、齟齬はないのだろうか。
「企みも何も、小さな親切だと僕は思ってるけど。説明してほしいの? それ本気?」
伸が意外そうに目を丸くして驚く。当たり前だ、と当麻が仏頂面で睨むと、伸の淡い茶色の瞳が面白そうに煌めいた。
「僕が何も知らないと思ってるんなら、甘いよ」
「…何が言いたい」
「個人宛てに連絡を取ってほしいのに市外局番から始まる番号の、しかも仕事先だけ教えるなんて、このご時世であり得なくない? ──遼の名前を、君の前では出さないように僕は今までずうっと控えてたんだけど、それにも気付かなかったのかな」
当麻はドキリとした。
伸の言うことは尤もだ。こんな回りくどいやり方は伸らしくない。また、伸が自分の前で遼の名をあまり口にしていないことも、当麻は薄々気付いていた。今まで確証がなかったから知らぬ振りをしていたが、当の本人が今それを肯定してのけた。
もっと言ってほしいかと目で問われ、当麻はあっさり白旗を掲げた。
「…わかった、もういい」
「そう? ついでだから、どこまで僕が正しく把握してるか確かめてみるのもいいかもよ」
「丁重に遠慮させて頂く。……くそ、先を読むのは軍師の本領なんだぞ」
肘をテーブルに突いて組んだ掌に頭をもたせかけて俯き、ぶつぶつと当麻は唸るように呟いた。
伸はにやりと意地悪く笑う。
「敵対する相手がいてこそ本領が発揮される『戦術』の部類と、誰かの心をより深く知ろうとするのとは、また話が別だよ。前者は君の独壇場だけど、後者の場合、君が僕に適うわけないのは君も知っての通り。だろ?」
「……言いたい放題だなお前」
口を尖らせてグラスを傾ける智将の子供じみた姿に、伸の笑みが深まった。
「当麻ってさ、気を許した人が相手だと何も考えずに対応することも結構あるもんねぇ。多少含みがある時でも割とスルーするし」
「別にいいだろ。どうせ本音でしか付き合ってないんだから、大して差もなけりゃ支障もない。大体、裏を読むとか面倒なことは普段からしたくない」
「全く、面倒臭がりの極みだね。自分が当事者でなければ、その気になれば大概のことはわかるくせに。…あ、もしかして──知りたくない本音まで知る羽目になるのがイヤなのかな?」
「ノーコメント。──おい伸、ここは当然お前の奢りだよな」
この話題はさっさと打ち切りたくて話を強引に変えた当麻に、仕方がないな、と伸は合わせた。
「要望に応じてくれたってことで、そうだな…六対四で手を打ってあげよう」
「ケチだな。あと二割引くらいしろよ」
「…言いたいことはそれだけ?」
笑って凄む伸を拝顔し、慎ましく無言を通した当麻である。
が、降りた沈黙は長く続かなかった。
「…………ずっと聞き役だったなら、どうして今回もそうしなかった」
不平とも取れる当麻の問いに目をぱちぱち瞬かせた伸は、隣の渋顔を覗き込み、興味深そうに口元を緩めた。
「変なこと訊くね。…幾つかあるけど、じゃあ一つだけ教えようか」
──遼が気の毒になってきたからだよ。
そう続けられ、当麻の眉間に皺が寄った。自分と遼との距離は今のままが遼にとって望ましいのではないか、と考える当麻には、伸の意見は間違っているものにしか聞こえない。
「何故そう思う。俺と何の関係があるってんだ」
「……これだもんなぁ。わからないなら本人に直接訊いてみれば?」
呆れたように伸に返され、じゃあそうする、と言えない当麻はぐっと言葉を詰まらせた。それでも、言われっぱなしでは癪に触る。せめても、と思いつくままを口にした。
「秀といい伸といい、戦いから離れても遼のことばかりみたいだな」
「今も昔も一番遼に囚われてるっぽい誰かさんに言われたくないね」
間髪入れず飛んでくる台詞は、サクッと触れられたくない核心を貫く。
二の句が継げない当麻はその後、会話を楽しむことは諦め、せっせと食べ物を詰め込んで胃袋や舌を満足させることに専念したのだった。
約束通り、当麻が遼に連絡を入れたのは二、三日後のことである。
.....続く
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