アルファ 作/陸深ユキヤ様 

2002.1.2.up

アルファ
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その電話を拓海はいつもの連絡として受け取った。
かかってきた時間もいつもと同じ午後10時の少し前。
早朝の配達を日課としている拓海の夜は普通の若者と違って早い。早いと言っても決まった
時間に就寝していたわけではないのだが足りない睡眠時間に夜の10時を過ぎた頃の拓海の
頭はろくな働きをしていなかった。さすがにバトルの時は覚醒しているのだが、それ以外は
判然としない拓海の対応を一度経験したことのある涼介は、以来この時間に電話をかけていた。

「今度の日曜日に会えないか? 藤原の都合が悪いのなら日を改めるけど…」
Dの連絡用にと涼介から渡された携帯が響きのよい声を届ける。
背筋を撫でるその声に拓海の顔が火照った。
拓海は涼介の顔と声にことさら弱い。完璧ともいえる整った涼介の顔は女でなくても見惚れる
ほどで拓海は会うと必ず赤面していた。はじめのうちは「あがっちゃうんだよ」と自分でも思って
いたのだが、そのせいではなかったと最近になって自覚した。
声に弱いと思ったのもちょうどその時で、言われた言葉に舞い上がりつつ
『この声で囁かれて落ちないヤツ(女も男も)いないかも…』と思ってからだった。
その声が「藤原…?」と呼ぶ。完全にトリップしていた拓海は我に返ると週末の予定が無いことを
確かめて了承の返事を返した。
「…なにか用事があったんじゃないのか?」
返事の遅い拓海を気遣って涼介が問いかける。
「大丈夫です。いつもの処でいいんですか?」
「いや…迎えに行くから…」
そうして約束を交わし、電話は切られた。


『…あの様子じゃ全然わかってないようだな…』
携帯をベッドサイドのテーブルに置きながら涼介は苦笑した。
いつもの処で…そう言った拓海の言葉からDの打ち合わせだと思っていることが手に取るようにわかる。
それも仕方の無いことだと涼介は理解していた。拓海にDの連絡用だと言って渡した携帯にそれ以外の
用で電話をかけたことは一度もない。想いを告げた時でさえもDの打ち合わせの後だった。
その時の余裕の無さを思い出して舌打ちする。せめて日を改めていればこんな勘違いもなかっただろう
と思う反面、気付かない拓海に少しだけ憤る。
涼介が初めて緊張する気分を味わった告白からまだ日も浅い。それから今日までに会ったのは
Dの練習走行の1回だけ。それも忙しさのあまり拓海と話すことは出来なかった。
やっと時間が出来たと電話して誘った相手はあまりにも淡白で……。
『デートしようって直接言えばよかったのか?』
初デートだというのに気付いてくれない拓海に想いを馳せながら、涼介はベッドに腰掛けると
小さく溜息を零し、部屋を青く染め上げる窓辺の月を見上げた。


結局、拓海はデートだと気付くことなく当日を迎えた。
「おはよう、藤原」
「おはようございます…。迎えに来て貰っちゃってすみません…」
FCの助手席に乗り込んだ拓海はこの時点でまだ打ち合わせだと思っていた。
迎えに来ては貰ったが、このままいつも打ち合わせで使っているファミレスへ行くのだろうと
車窓に流れる景色を眺めていた。その見慣れた景色が変わったことに気付いて拓海は涼介へ顔を向けた。
その十数分の間、涼介は拓海が何時になったら気付くのかと心の中で苦笑していた。
5歳年下の恋人は人とは違う感覚の持ち主で、こういった色恋沙汰には鈍いところがある。
時間の流れ方も違っているようで、このまま『デート』だと言わなかったら気付かないで終って
しまうかもしれなかった。涼介は悪戯心から打ち合わせだと勘違いしている拓海に合わせて、
FCをファミレス方面へ走らせた。途中で道を変更したら気付くのか、気付かないのか―――。
「どこ…行くんですか?」
とりあえず気付いたものの、あまりにもらしい問いかけに涼介は苦く笑った。
「どこへ行くと思ってたんだ?」
「……Dの打ち合わせですよね? だからいつものファミレスだと思ってたんですけど?」
その前にどこか寄るんですか? と疑問符を頭上に浮かべあくまでも打ち合わせだと思っている拓海に
涼介は溜息を吐いた。前方に駐車スペースを見つけ、FCを停める。
「藤原…ほんとに打ち合わせだと思ってる? この状況から他のことは思い浮かばない?」
「この状況…ですか? えーと……」
拓海は首を傾げて今の状況を考えた。ここは涼介の運転するFCの中、あたりまえだがFCの中には
涼介と拓海のふたりだけ、行き先はファミレスじゃないらしいからDの打ち合わせでもなくて……。
「峠の下見…じゃあないですよね?」
恐る恐る問いかけてみると、涼介が寂しそうな表情を見せる。
―――D関係以外で……ってどこに行くっていうんだ?
拓海は行き先が思い浮かばなくて救いを求め、目で涼介に訴えた。
「聞いているのは行き先じゃないんだけどな……」
必死にどこへ行くか考えている拓海に涼介は苦笑を零す。行き先がどこかなんて聞かれたら涼介自身も
答えられない。今日のデートは会ってから拓海に行き先を決めてもらうつもりだった。
デートの内容を考えなかったわけではないが、歳の差からくる意見の違いがあるかもしれないと思って
拓海の案に期待していた。当の拓海はデートの認識がないのだから今現在のスケジュールは白紙状態だった。
デートだと言ってしまえば話は早いというものだが、涼介はどうしても拓海自身に気付いてほしかった。
―――藤原の中で、あの告白はなかったことになっているのか……?
そう思えてしまうほど拓海の様子はいつもと変わりがない。
視線が合えば顔を赤くして俯いてしまうのはいつものことだし、困ったように口篭もる様子にもなんら
変わったところはない。
―――告白したからといって状況が変わったわけじゃないんだよな…。
今日が初のデート。そして約束を取り付けたあの電話は告白してから初めてかけたプライベートな電話。
改めて思い起こせば拓海が気付かないのも無理はなかった。
それでも、拓海自身に気付いてほしいと思うのは、付き合うことを承知した拓海の意思確認がしたいから。
―――流されて返事をしたわけじゃないと信じさせてほしいよ。
少し翳りのある笑みを浮かべて涼介は俯いた拓海の頭上を眺めていた。
「…あっ……///」
黙ったままの拓海が急に声を上げた。
と同時に項と耳が赤みを帯びる。前髪の隙間から見え隠れする頬はすでに赤く色づいていて…。
「わかった…のか……?」
声をかける涼介に拓海はこくりと頷いた。
「…デート……?」
自分の言葉にさらに顔が赤くなった拓海はいっそう俯いて、まるで叱られたかのように項垂れた。
考えてみれば、付き合うことになってからふたりきりで会うのはこれが初めて。
その時点で気付かない自分に情けなくなる。
―――は、初デートってことじゃんかっ!!
それを打ち合わせと勘違いして、電話のあったあの日から今の今まで気付かなかったなんて……。
しかも、涼介は勘違いしていたのを知っていて……。拓海はその間の涼介の気持ちを思うといたたまれなくなった。
「すみません…。オレ、勘違いしてたみたいで…」
顔を上げ、涼介の瞳を見つめながら謝罪する。
「謝らなくていいよ。怒ってたわけじゃないし……。なんにしても気付いてくれてよかった。少し…不安だったんだ」
「不安…?」
涼介さんが? と拓海は瞳で問いかけた。
拓海の言おうとすることがわかって涼介は苦笑した。
「オレにだって不安はあるさ。特に藤原のことに関しては自信が持てない」
「オレ…そんなに信用ないですか?」
初デートも気付かないくらいだからそう思われても仕方ないんですけど…。と、拓海はまた項垂れる。
「そうじゃなくて…。好きだから気になるっていうか…。藤原はオレと付き合ってもいいと
返事をくれたけれどDのこともあるから断われなかったんじゃないかって…」
「やっぱり信用ないってことじゃ…」
「違うっ。オレに自信がないんだ」
途中、口を挟んだ拓海に涼介が声を荒げた。
「好かれるほどの価値をオレの中に見出せない……」
「理由がほしいんですか?」
普段の様子と違う涼介を拓海は困惑した目で見つめた。恋愛に理由なんであっただろうか? 経験値の低い頭の引出しを片っ端から開いてみる。
―――好きになるのに理由なんてないんじゃないのか。
自分ではどうすることも出来ない感情に振り回されてしまうというのも理由や訳がわからないから。
恋とか愛は自分にも他人にもどうすることも出来ない衝動。―――情熱。
「涼介さん…もしかして恋愛経験って…」
まさか、涼介に限ってとも思う。家柄も容姿も頭脳も何もかもが一流の、女なんて引く手数多なそんなイメージ。
それが女から男に変わったからといってここまで不安になるものなのか……?
拓海はそんなはずはないだろうと思いながら涼介に問いかけた。それなのに―――。
「こんな感情になったことは一度もない……」
ぷいと反らした横顔が見る間に赤く染まっていく。
涼介にとってその言葉は言いにくいことだった。いい年して恋愛のひとつも経験していないと告白するようなものだから、こんな話は弟の啓介ともしたことはなかった。言い寄る輩は女だけではなかったし、付き合うという行為をしたことがないわけではないのだけれど、ほとんどの相手が家柄や容姿目的では経験というほどの恋愛なんて出来るはずがなかった。自分自身に価値がないと思うほど恋愛に対して臆病になってしまうには十分だった。
「…だから、自信なんて持てない」
「涼介さん…」
そう言う涼介が幼子のように見えて拓海は俯いた涼介の肩に手をかけた。ぴくりと肩を震わせて涼介が顔を上げる。
視線を絡めたまま、二人はしばらく黙っていた。
肩に置かれた掌が互いの熱を伝える……。
拓海は咄嗟にかけた手をどうしていいかわからずにそのまま固まっていた。涼介も自身の情けない告白を拓海がどう思ったのかわからずに、ただ拓海の言葉を待っていた。
その沈黙を破ったのは拓海だった。普段の涼介ならこんなに長く沈黙するはずがない。それも含めて
はじめて見る涼介のらしくない様子に驚きながら拓海はうれしくなっていた。
―――なんか…涼介さん、かわいいかも…。
5歳も年上の涼介にかわいいと思ってしまうのもなんなのだが、他に形容する言葉を拓海はみつけられなかった。
拓海自身もたいした恋愛経験を積んでいるわけではないのだけれど、初めての感情に戸惑っている涼介の、その感情が自分に対してで、ましてや心底好きだと言われているようなものなのだから、拓海はうれしさのあまり涼介を抱きしめてしまいたい心境だった。
「涼介さん。オレ……涼介さんのことが好きです。Dのことは関係なく…」
「藤原…」
「信じてもらえませんか? 証拠とかオレのどこがとか聞かれても答えることは出来ないけど……。でも、
オレが好きなのは涼介さんだけだから……」
拓海はそう言って涼介の顔を覗き込んだ。―――そう涼介には見えたのだけど。
急に視界が遮られ、唇に暖かな何かが触れた。
「…藤…原……?」
そのまま抱きしめられて涼介はどうしていいのかわからなかった。
―――今のは……?
呆然としたまま首に回された拓海の腕に手を添える。
「…いきなりですみません……。なんか涼介さん見てたら愛しくなっちゃって……。こんなことしたいって
思うの涼介さんにだけです。それでも信じられませんか?」
耳元で囁く拓海の声に涼介は飛ばしたままの意識を取り戻した。
「藤原……。今は昼間なんだが……」
「あ……。す、すみませんっ」
フロントガラスから見える風景の明るさに、我に返った涼介は回されていた拓海の腕を解いた。
拓海は慌てて謝罪すると周りを伺いながら助手席に座りなおす。
―――オレ…なにやってんだろ?
自分の行動が信じられなくて、拓海が項垂れているとくしゃりと頭を撫でられた。
「涼介さん…」
「藤原の気持ちはよくわかった…。試すようなことをして悪かったな……」
顔を上げると照れくさそうに微笑む涼介の目と合った。互いに顔を赤く染め、ぎこちない空気だけが辺りに漂う。
しばらくして、涼介はステアリングを握るとFCを走らせた。
「これからどこへ行こうか?」
初デートはまだこれから。ふたりの幸せな時間は今始まった―――。



終     

リクエスト:両想い後の初デートで緊張している二人。   

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