びちゃぴちゃと濡れた音が響いている。
耳に入るその音に更に煽られて、夢中で口腔内を貪る。
戯れに逃げる舌を追いかけて先でくすぐるようにすると、反対にやわらかく噛まれた。
ビクンと身体が震える。
その刺激に、下半身に拡がる痺れがますますひどくなった気がする。
もうどのくらいこうしてるのだろうか。
ずっとこうしていたような気もするし、そんなに時間は経ってない気もする。
気が付けばこうなっていた。
拓海は暴走しそうになる身体を押さえつけるためにも、意識を他へ向けるようにした。
確か、涼介が呼んでいるとスタッフの一人に言われて、ここまでやってきたのだ。
ここのところ調子よく走れていると自分では思っていたので、すごく心配になったのだ。
知らないところで何か仕出かしてしまったのだろうかと。
解からないのだ。
自分の走りが、涼介のシュミレートした通りのものかどうか。
普段難しい顔をしている涼介が、よくやったな、と笑顔を向けてくれるだけで。
それだけで嬉しい。単純に。
それだけなのだ。
他に何もあるはずが無い。
なのに。
ゆっくりと近づいてくる涼介の、伏せられた目許の睫毛の長さに、現実感を失って。
掠めるように触れられた唇の感触と。
数センチの距離にうっとりと微笑む涼介の表情を見たら。
訳がわからなくなってしまった。
その後は、噛み付くようにお互いに貪りあって。
それから―――――。
「止めてください! 涼介さん。……そんなコト…」
他のことを考えていたため気付くのが遅れてしまったが、カチャカチャとベルトを外そうとする音に拓海は慌てて抗議の声を上げた。
「どうして…?」
「どうしてって…」
絶句してしまう。
普通、そんなことをいきなりされたら驚くのではないだろうか。
こともあろうに、涼介は拓海のズボンに手を掛けて、その中へ忍び込ませてくるのだ。
拓海の抵抗も物ともせず。
「イヤなのか? オレが嫌いとか」
「違っ。そういう問題じゃなくて」
「なら、何が問題なんだ? 嫌いなわけじゃないんだったら別に構わないだろ。オレがそうしたいんだし」
この際、一番問題なのはあんたなんだよ、と言いたいのをぐっと我慢して。
「涼介さんが……そんなコト…オレ…」
イヤというより、困っている、という方が今の拓海の心情を表すのに的確かもしれない。
本当に困っているのだ。
涼介のことは好きだし、なんとなくだがキスしてしまったのは仕方が無いと思う。
男から見ても、十分鑑賞に堪えうるのだ、涼介の顔は。
それどころか、疚しい気持ちさえ抱いてしまう程で。
ただ、これ以上のこととなると、話は変わってくる。
第一、周りでは大勢のスタッフたちが忙しく働いていて、いつここへ入ってくるのか知れたものではない。
スモークの入ったガラスは、外からは見えなくても中からは丸見えなのだ。
意識せずにいられない。
こんなところでそれを望む涼介の方がどうかしていると思うのだ。
誰でも良いからこの状況から救ってくれないだろうかと、もう泣きたい気分だった。
どうしてこんなときに限って、いつもくっついている弟は姿を現さないのだ、とか。
それよりも。
外報部長の史浩は何をしているのか、とか。
八つ当たりもいいところだ。
「藤原…?」
心配そうに覗き込んでくる涼介に、余程自分は困った顔をしているのだろうと漠然と思う。
「あの…、オレは」
その時。
急に外が騒がしくなった。
「え? 何だろ、いったい」
拓海が外の様子を窺うため窓際に寄ろうとした瞬間。
見てしまった。眉根を寄せる苦悩の表情を。
どうして涼介がそんな顔をするのか、思い及ばないが。
なんとも言えず艶っぽい表情で、ドキリとさせられた。
もしかしたらひどいことをしてしまったのかもしれない、と自分を責めたくなるような。
「オレが行かないとダメみたいだな。藤原ももう行っていいぞ。悪かったな、呼び付けて」
「はぁ…。いいえ、そんな…」
ドアを開けて出て行った涼介に、数人が近寄って何やら事情を説明しているようだった。
その様子は全く普段の涼介に戻っていた。
先程までの行為が幻だったみたいに。
「何だったんだろ…」
掌で口元を覆うとはっきりと濡れた感触が残っている。
自分のものか涼介のものか分からないもので。
今までだって碌に顔を見ることさえ出来なかったのに、キスしてしまったという事実に今更ながら羞恥心を煽られる。
参った。
これからしゃべるどころか側に寄ることも出来ねーよ。
手で火照る顔を仰ぎながら独り言ちる。
まだ何も始まってすらいないのだ。
このゲームも。何もかも。
拓海も続いて外に出た。
急な温度差にぶるっと身震いする。
冷えた空気が未だ身体に残る熱を急速に奪っていくみたいだ。
これから始まるのだ。
すべては――――。
終
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