不思議なもので、いつも顔を赤くする奴がいる。対人恐怖症や赤面症ではないらしい。普通に自分のチームの連中とは話しているようだ。余所のチームリーダーだから、俺には緊張しているということか?困ったな。
今後のチームのためにも、論文の為にも、とにかく普通に話せるようになってもらわないと。
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あくびをかみ殺しながら、恐い歴史の授業を聞き流す。教科書を見ているかのような目は、それを素通りして彼の人の顔を見ていた。かっこいいあの人の顔を。
バトルの時は、スタートするまできっちり睨みつつ見ていたはずなのに、どういうわけか俺が勝っちゃった時に見たあの人の顔は、バトル前と違った人のように見えてしまった。整った目鼻立ちとか癖のない前髪とか、薄く形の良い唇だとか、もう気がついたらありとあらゆるパーツが格好良くてドキドキした。
俺ってホモだったのか!?とか落ち込んだりしたけど、SEXしたい抱きたい!とか思った訳じゃないし、これってアコガレとかだからきっと良いと思う。カッコイイ男だよな、涼介さんて。
「たぁっくみぃ〜、一緒にバイト行こうぜぇ〜!!」
相変わらずのひっくり返った声でイツキが俺を呼ぶ。あぁ、とか生返事しながらさっきまで思い人の代わり見つめていた教科書を片づける。このまま家に持ってかえって眺めてよっかな?でもきっと家に置きっぱなしで、学校に持ってくるのを忘れちまうんだろうなぁ。
「たっくみぃ、何ぼんやり教科書なんか見てんだ〜?」
「・・・バイト行こうぜ、イツキ」
あ〜あ、お前は気楽で良いよな。
「ハイオク満タン・・・あと洗車も頼む・・・」
そういって、あの人は俺の前に現れた。心臓が口から飛び出すんじゃないかと思うくらい驚いた。来るなら来るって言ってくれ。心の準備ってもんがあるんだから。人の気も知らないで、涼しげな顔をこっちに向けるのは、ヒキョーだ犯罪だ。俺ばっか驚いてて、ずるい。
「あの、涼介さん!」
「ん?どうした?藤原・・・」
どうかしたからあんたに声をかけたんだっ!
「あの、ヒマとかありますか?」
涼介さんは、少し考えて嫌な顔をせずに返事をしてくれた。
「今日は特に急ぎの用事は無いからな・・・。どうした?」
俺ってきっとすげー緊張してんだろうな。顔が熱くて、きっと赤いんだ。・・・あんたのせいなのに、少しは気付けよな!
「あの、話したいことがあって・・・」
もごもごもご・・・。俺って意気地ね〜!!!はっきり言えねーのかっ!?俺っ!!!
「どのくらいでバイトが終わるんだ?」
と、どこで聞き耳をたてていたのか、イツキのやつが口を挟んだ。
「あのっ、俺ら8時までっス! 8時10分にはこいつも支度出来ます!!」
何でお前が俺の涼介さんに話しかけんだ! 思い切り蹴り倒したかったが、そんな場合じゃないと思い直してイツキを後ろに追いやる。
「あの、9時頃に会ってもらえますか? あの時のスタート地点に駐車スペースあるんで、そこで・・・。俺車乗ってきますから、もしかしたら少し遅くなるかもしれませんけど・・・」
あ、なんて綺麗な笑顔なんだ。ホント、この人ってかっこいいな・・・
「分かった・・・。待ってるぜ・・・」
FCを見送って、今度こそイツキを殴った。
「オヤジ!車借りっからな! 配達までは戻っから!」
自分の部屋に駆け上がりながら茶の間に寝転がってるオヤジに叫び、制服を脱ぐのももどかしくジーパンとポロシャツに手を伸ばす。おそらく一分もかかっていないはずだ。返事はないから良いってコトだろう。今度は階段を駆け下りて、ハチロクの鍵をひっつかむと、あの人が待つ秋名へ向かった。
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エンジンを切ったまま、馴染んだFCのシートに体を預けていた涼介は、自分の作ろうとしている新しいチームのプランを考えていた。
もうすぐ冬が来る。雪が降っては走行練習もままならなくなる。その前にはっきりした形の新チームを立ち上げて、来春からプロジェクトを即実行していかなくてはいけない。ヒルクライムは啓介、ダウンヒルはハチロクの藤原。これ以外のドライバーは今のところ考えなくて良いだろう。何しろ県外遠征で勝てるレベルのヤツが他にいない。まぁタイヤやパーツは2台分の量で済むわけだから、メンテや人員の簡略化も出来てそれはそれでいいわけだが。
さて。俺の理論を実践で証明してもらう啓介と藤原には、俺の理論を理解してもらわなければいけない。啓介は細かいことを言わなくても分かっているだろうが、藤原は一から教えなくては行けないな・・・。
・・・俺と話すと緊張するようだが、大丈夫かな・・・。まぁこれから話す機会も増えるわけだから、そのうち馴れるだろう。
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遠くからハチロクのエンジン音が聞こえてきた。平日の人少ない秋名の夜は、街灯の少なさも手伝って、闇の色が濃い。スタート地点からのストレートに、白いハチロクの姿が現れた。
「すんません、こんな時間に・・・」
車から降りるより早く謝罪の言葉を口にした拓海は、闇の中でも鮮やかに浮かび上がる涼介の姿に息をのむ。改めて、間違いじゃない、俺この人が好きなんだ、と確信した。
「・・・いや、かまわないぜ・・・。」
この人は俺をどう思ってるんだろう。赤城の白い彗星の不敗神話を破った、にっくき敵とか思ってないよな?確か「気に入ったぜ」とか言ってくれたよな、あの時。
「あの、俺、話があるって言ったのは・・・言っても良いですか?」
なにやら日本語の文法にない言い方で、拓海は涼介に今から言うことの了解を得ようとした。何を言おうとしているのか、涼介が知るはずもないのに。
ほら、また顔が赤い。と涼介は思った。まだ片手で数えるほどしか顔を合わせていないのだから、仕方の無いことではあるが。迂闊にそれを指摘して、藤原が逆に緊張してしまう方がマズイか。そこまで一瞬で思い巡らせて、拓海の不安や緊張を早く取り除くためにすぐに返事を返す。拓海にどんな影響があるのかも考えない魅力的な微笑付き。
「あぁ、いいぜ・・・。」
思わず見惚れてしまうカッコ良さ。心は決まった。一呼吸置き、拓海は意を決して涼介を見やる。
「あの、俺涼介さんが好きです!!!」
・・・・・
沈黙が二人の間を支配する。拓海はイキナリ後悔してどっぷり沈んだ。やっぱ言わなきゃよかった。俺の事ホモとか思われちゃったんだろうな。
いきなりな言葉を聞いて、涼介の思考が止まった。思いもよらなかった拓海の言葉にただ唖然呆然とする涼介は、きっと親でも見たことはないだろう。が、流石は天下の秀才。すぐに頭は働きだした。
(今こいつは、俺を好きだと言ったのか? ・・・男だったよな、藤原は・・・。ゲイなのか?この若
さでこいつは・・・ だから顔を赤くしていたのか?・・・・・・困ったな、いずれうちのチームの連中にそういう色目を使われるかもしれない・・・)
「・・・藤原、お前ゲイなのか?いや、もちろん他人の恋愛の仕方に文句があるわけじゃなくて・・・」
ある程度予想できた涼介の答えに、ディープに沈んだり潜ったりしていた拓海はなげやりに言葉を返す。
「俺ホモじゃないっス!」
「・・・なら何故?俺もお前と同じ男だが?」
あ〜〜も〜〜〜どう言えば分かってもらえたんだろう!?最初にホモじゃないけど、と断りを入れてから話せば良かったんか? だから俺は男が好きなんじゃなくて、
「俺は涼介さんが好きだって言ったんです!男が好きとかホモだとか言ってません!!」
目の前の少年は、やや青ざめた顔をして必死に告白してくる。秋名のバトルで俺を負かしたときも、そういえばこんな風に必死に「勝ったとは思っていない」って食い下がっていたな・・・。
端で見れば嫌味なほど冷静に、拓海の言葉を聞いていた。
じっと拓海の顔を見ながら、数えるほどしか逢っていない拓海の表情や言葉を思い出していた。俺が話しかけたり見たりすると、必ずコイツの顔が赤くなる。・・・啓介とかにはこんな表情じゃあなかったな・・・。
そんなことを考えつつ、ふと見れば俯いて無言になった拓海に気がつく。
「・・・藤原、俺を好きと言ったな?」
「・・・はい・・・」
俯いているせいで幾分くぐもった声が、でもしっかりとした声色でもって涼介の耳に届いた。
「・・・俺は・・・自分で言うのもおかしいが、群馬の走り屋からは『赤城の白い彗星』と呼ばれて、走りに関してはかなり尊敬されている。お前もそういう意味で俺を好きだというわけか? それとも恋愛感情で俺を好きだというのか・・・?」
回りくどい言い方をして、拓海が考えて答えを口にする僅かな時間を作り出す。そうしておいて涼介は目の前の拓海の表情や言葉を暫し観察することにした。何にせよ、自分が今すぐ引導を渡して新チームの構想を自らの手で握りつぶすこともない。
拓海は鬱々としながらも、言ってしまったいきがかり上、せめてこれからの人生で引きずらないように、思っていることの全て を話そうとしていた。ここで伝えなきゃ、俺一生後悔するかもと。
「・・・ここでバトルして、後で涼介さんと話してから、俺、なんつーか、かっこいい人だなとか思って。で、涼介さんの走りとかもカッコイイと思って毎日考えてたんです。」
ごくり、と拓海がつばを飲み込む音が聞こえた。涼介はつとめて穏やかな視線を拓海に向け、話の先を促す。
「きっと、走りがきっかけだとは思うんです。でもいつも最後に見た涼介さんの顔が頭から離れなくて・・・俺、変かもとか考えたけど、でも好きだなあって思う方が強くって、別に男にキョーミがあるとかじゃなくて、涼介さんが好きだなぁって・・・。」
「この夏はなんか色んな車とバトルさせられて、どの人もすげーなって思えて、何で俺なんかにバトルの挑戦とかしに来るのか腹が立ってたけど、でも涼介さんと逢えて・・・良かったと思います・・・」
最後の方はだんだんと小さくなってしまった声が、涼介に告白して後悔して落ち込んで諦めるという自己完結に至ってしまった拓海の心を現していた。
・・・ダメだ、このままでは藤原は俺の新しいチームに入ってくれなくなる! チームリーダーとしてハナからつまづいてるようではマズイぜ!
瞬間的に最初に考えたのは、打算という名の引き留め作戦だった。
「・・・少し寒くなってきたな・・・。藤原、悪いが俺の車に乗ってくれ・・・」
世間話の最中にふと気付いたような何てこともない声色で、涼介は自分の車に誘う。しかし内心はこれからの展開や掛けるべき言葉を考えて、様々なことを想定・シュミレーションを始めていた。
地獄の底まで落ち込んでいた拓海は、あまりに普通の言葉を聞いて、俯いたままぼ〜っとしてしまった。何だろう?車に乗れって言ったのか?涼介さんは・・・?
涼介に促されるまま、無言でFCのナビシートに腰を下ろす。バン!とドアの閉められる音で、びくっとしつつ、ようやく拓海は顔を上げた。
当たり前のことだが、拓海の隣・ドライバーズシートには、涼介が腰を下ろす。決して広いとは言えないFCの車内で、自分の右側に涼介の質量を感じ、落ち込み中だというのに顔が赤くなる。
涼介は車に乗り込むときから拓海の表情を見ていた。啓介のようにすぐ感情を表に現すのではなく、実は青くな ったり赤くなったり焦ったり、短い時間で驚くほどの表情の変化を見せていたのだ。そして今、何を考えてい るのかは分からないが、うっすらと顔を赤らめて正面を睨んでいる。
今気付いた。高校生の男子らしからぬ可愛らしいとも 思える表情をするものだ、と。
涼介は知らず内心苦笑する。
(男相手に可愛らしいとは・・・)
と、何の予備動作もなく、正面を睨んでいたはずの拓海が、いきなりこちらを見た。急なことで、目を逸らす間もなかった。真剣な、 という以外に表現の仕様もない大きな目とぶつかり、涼介は心の中で舌打ちした。
「好きです。どう考えても思い違いとかじゃなくて、涼介さんが好きです。止めろと言っても無理です。」
何を・・・と言いかけて、拓海の目に動揺や焦りがないことに気付く。十代の、思い込んで真剣になる様は、啓介が最近まで見せていた様子と重なって見える。必死の形相で訴えるのではなく、思い詰めた表情でもなく、ただただ真剣な気持ちを静かに涼介に伝えてきた。
(俺、間違ったかもしんないけど、でも今全部言っとかなきゃぜってー後悔する。せめてホモじゃなく、涼介さんだから好きになったってことだけでも分かって欲しい・・・頭いい人だから、きっと分かってもらえる)
悲壮感を背負いながら、拓海は思う言葉を全て涼介に伝える。
涼介の心の中に、微かな違和感が生まれる。自分を見て顔を赤らめる藤原と、それを嫌とも思わずに見ていた自分。まさか自分に恋愛感情での行為が男から寄せられるなどと、考えもしなかった。
だが。
俺は新チームの選抜ドライバーとしてコイツを欲しかった。卓越した技術とセンスの良さ。そして何よりも謙虚であるのは、これから俺の理論を教え込むのに丁度良い。
・・・自分の速さを自覚していない、ダイアモンドの原石のような藤原。啓介のように伸びやかに、コイツを伸ばしていけたら・・・!
思わずといった風に手で口元を覆う。目の前の高校生は、何と愛おしいのかと。
突然だった。明かりのスイッチを入れるように、OFFからONに切り替わってしまった。俺はコイツをどう思ってる? 自然と口をついて出たのは・・・
「・・・藤原・・・」
暫くぶりに自分の耳の届いた涼介の言葉は、拒絶や否定でなく、自分の名前だったことが拓海には嬉しかった。きっともうこうして会うこともない峠のカリスマと、こうして二人きりの時間を持てたことだけで良しとすべきなのかもしれない。それでも涼介さん、俺これからもずっと好きです。本当はあなたも俺を好きになってくれたなら、尚良いけど。
「すいません、俺、きっとこれから先も涼介さんのこと好きです。」
我ながら未練タラタラ、女々しいヤツかもしんない。そんな風に考えつつも言葉を止められない。ホラ、涼介さんも困った顔してるじゃん。
涼介は困っていた。愛おしい。
今まで平静さを身にまとっていた涼介の様子が一変する。俺も好きだと伝えるべきなのか否か。
今までオン ナに好きだといわれたことは何度かあったが、別に好きになれるオンナはいなかった。よく言えば相手の性別 なぞ関係なく話せたし、悪く言うなら恋や愛を語る相手とは思えなかった。
だが今目の前にいるコイツは・・・。最初は卓越したドライビングテクニックに目がいった。自分や啓介よりも若いのに、少しも鼻に掛けることなく謙虚なのが気に入った。俺に生まれて初めての黒星をつけた相手なのに、何故か不快に思わなかった。好きだ。単純な言葉だけどそれ以外もう考えられなくなってしまった。
「男同士だから変だってのは分かってます。でも何かしたいってんじゃなくて、好きなんです。」
それを聞いた途端、涼介は感情に歯止めを掛けなかった。
「好きだ、藤原。俺もお前が好きみたいだ。すまない、今まで気がつかなかった」
やや言わなくても良い言葉があったような気もしたが、ここで自分の気持ちを告げておかなければ一生後悔すると思った涼介だった。
爽やかな笑顔を満面に見せ、拓海は興奮して嬉しくて上擦った声で叫んでいた。
「ホントっすか!? ホントに俺、好きですか!? ありがとうございます!」
今気持ちを伝えて良かった。好きな奴が嬉しそうにしてるのは、自分も嬉しいモンだな・・・。そう思いつつ、後れをとったことを隠すように拓海の頭に手を伸ばした。黒くしなやかな髪に指をくぐらせ、くしゃり、と髪の毛を弄ぶ。
途端に真っ赤になった拓海をみて、涼介は再び言った。
「好きだぜ、藤原・・・。」
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いつも心の中に、あの夜見た笑顔がある。俺だけに向ける真っ赤な顔は、暖かな思いとともにいつも俺の支えとなった。
明日にでもプロジェクトDに誘おう。それを口実にすれば、もっと藤原と逢えるようになる。今まで知らなかった アイツのことをもっと知りたい・・・。
終
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