特別な日 

2000.8.29.up

 いつでも会えると思っていると、案外会わなかったりする。
 近くにいるから、連絡すればいつだって会える。
 今じゃなくても、明日があるし、でなければ週末にでも。
 そんな甘えがあるから、ずうっと連絡しないまま。
 向こうから連絡してくるだろうと、高をくくっていた──けれど。




「………ねえよな、やっぱ…」

 溜息混じりに、宮田一郎は自室にある電話を見た。
 何がないかというと、電話のコールが、である。
 2、3日に一度、必ず掛かっていた電話が来なくなってから、どれくらいになるだろうか?
 こんなに電話が掛かってこない空白の期間があるとは、思わなかった。
 それは意外と言うよりも、宮田にとっては結構なショックをもたらしていた。
 何故ならその相手は、自分よりも几帳面なところのある幕之内一歩だ。彼が自ら言い出したことだからこそ、その約束が破られることはないと宮田は思いこんでいたし、実際その通りに欠かさず実行されていた。
 それゆえ宮田から電話することは一度としてなく、いつしかその連絡を待つようになった。
 なのに、いつごろからか、この宮田の自室直通の電話が鳴らなくなった。今日こそは掛かってくるだろうと音楽をかけたり雑誌を読んだりして待ってみても、無為に時間が過ぎるばかりで。
 そんな日が今までずっと続いている。
 宮田は再び溜息をついた。

「………別に、約束じゃなかった…けど………」

 小さく呟いて、軽く唇を噛んだ。
 思えば、あのときは一歩が一方的に宣言したのだった。最低でも3日に1度は電話する、と。
 別に定期的にする必要はねえだろ、と返した宮田に、一歩が絶対するから待ってて、と強引に話を持って行かれて。結局は、好きにしろよ、と宮田がどうでもいいことのように締め括ったのだった。…内心は、どうでもよくはなかったけれど。
 ──だけど、今までずっと、オレが何言ったって電話してきたくせに。
 なのに、いきなり何も言わずになしのつぶて、だなんて、ちょっと勝手なんじゃないだろうか?
 宮田は、そんな自分の思いこそ身勝手なのを承知の上で、そう思った。
 一歩のおかげで、『連絡無しに今日も一日過ぎてしまうのか』と、毎日一定の時刻が近づくと電話を気にするようになってしまった。
 何日くらい電話がないのだろうかと改めて思い、壁に貼られたカレンダーを久々に見て、宮田はマヌケにも今更気付いた。
 今日は、8月27日。
 自分の誕生日、ではないか。
 気付いて、ますます宮田の気分はささくれだった。
 もう20歳なんてとっくに過ぎている。だから別に、プレゼントだの何だのと、そういうのはどうでもいい。たった一人の家族である父親だって、もしかしたら息子の誕生日を忘れているのかもしれないけど、多忙を極めて今日も今日とて出張なわけだし、本当に忘れられていても全然気にもならない。
 だが。
 今の状況は、どうかと思う。
 誕生日に誰もいない家で、たった一人でいるなんて。
 しかも、掛かりもしない電話を待っているだなんて。
 ──サイアクの誕生日じゃねえか………
 もともとイベントごとには全く興味のない宮田である。自分の誕生日だって、別に何をしてほしいというのでもない。
 それでも。
 ………誰かに側にいて欲しいと思うのは、ワガママなのだろうか。
 その『誰か』は、誰でもいいわけじゃない。宮田が側にいて欲しいと思う人物は、極々限られているのに。
 そもそも、その『誰か』に、祝って欲しいのではない。
 けれど、今日が誕生日なんだと思い出してしまうと、『誰か』さんに無性に会いたくなったのだ。
 会えないのなら、出来れば声だけでもいいからと、宮田は思った。
 ──こんなに………女々しいヤツだったのか、オレ?
 宮田は、自分だけこんな思いをしてるなんてバカみたいだ、と自嘲した。
 何だか、惨めな気さえしてくる。
 だって、どうしても、定期的に来ていた一歩からの電話が全く来ないのは、自分への関心が薄れたのだとしか思えないのだ。
 そして、それを当然のことかもしれないと諦めている自分も、いる。
 大体、普段から宮田は一歩に対して素気ない態度しか見せていない。あからさまに一歩に好意を態度で示されたりしても、宮田はそれがこそばゆくて思わずかわしてしまい、優しくなんかちっとも出来なかった。逆に、皮肉やからかいの言葉は倍増である。
 そういうのも全てひっくるめて自分なのだから、と思っていたけど………でもやっぱり、やりすぎたのかもしれない、とも多少思う。
 でもそれは、自分の一挙手一投足に翻弄される一歩を見るのが、楽しかったから──懲りずに一歩が自分を追いかけてくるのが、案外心地よかったから。
 それでついつい宮田は、素直になろうとは思わなくなっていた。
 ──だから、アイツがいつ愛想尽かしたって、そりゃ、しょうがないけど………
  しょうがないと考えながら、けれど、宮田は胸が絞られるような痛みを感じた。

「………別に、どうでもいいことじゃねえか」

 胸の痛みを払拭したくて切り捨てるようにそう言っても、やはり痛いままだった。


 しんと静まり返った自宅にいるのは自分の意志。
 電話を待っているのも自分の意志。
 自分は既に一歩の関心の対象外だと思うから、こちらから電話することも出来ない。
 ただ、ここにいるだけの、自分。


 ──バカバカしい。
 そんなことを考えることすら、バカバカしい。
 宮田は、割り切るためにブルンと頭を一振りし、財布を掴んで家を出た。
 今は試合を控えてはいない。減量も特にしていない。
 よって、宮田の行き先は一つ──こんな夜中でも営業しているコンビニである。
 こういうときに心機一転を狙う方法として、時として宮田は飲み食いすることを選んでいた。一般的に、自棄食い、自棄酒、と言われるものである。尤も、一応後々のことを考えて、酒と油モノ、ジャンクフード類は口にはしない。
 偶のことだから今日はよしとしよう、と決めた宮田は、最寄りのコンビニでカゴ一杯になるまで、しこたま食料を買い込んだ。
 そして、いくつものビニール袋をひっ下げ、ひたすら憤然と家路を辿る。
 数分歩き、家の門が見えたところで、怪しい人影が一つあるのに気付いて、思わず宮田は足を止める。
 そいつは、道を歩いている………のではなく。ただそこに突っ立っている。
 宮田が家を出たときには、人通りはなかった。
 ──とすると?
 痴漢とかそういう類の人間だろうか、と思いながら、宮田は再び、今度はゆっくりと自宅に向かって歩き出した。
 宮田の両腕は今は塞がっているけれども、いざというときには瞬時に反応できるようにと心準備をする。
 距離が徐々に近づき、宮田が誰何の声を上げようと息を吸い込んだ瞬間──何と向こうから言葉を発してきたのだった。

「…宮田くん!」

 まさかの事態に、宮田は声が出なかった。
 相手を認識して、ドキリと心臓が大きく鼓動する。
 嬉しそうに小走りに宮田に近寄ってくるのは、一歩だったのである。
「こんばんは。…ゴメンね、こんな夜中に。会えないかと思った」
 にこにこ微笑み掛けられて、宮田は返事に窮してしまった。
 突然のことで、思考がまともに回ってくれない。
「………あれ、どうしたの、その大量の荷物?」
 小首を傾げられて訊かれても、答えられる状態ではなかった。
 言いたいことがないのではなく、ありすぎて何から言えばいいのかわからなくて、宮田は混乱しているのだ。
 とりあえず、何か言わないと、ともごもごと宮田は呟いた。
「…いや…んなことより………お前、何で………」
 何で、こんな夜更けにここにいるんだ?
 まず聞きたいことは、それである。
 が、宮田が問う前に、一歩が先手を打った。
「夜も遅くなりすぎて、さすがに今日は電話はムリかなって………。で、宮田くん家に直接来たら、電気点いてるんだもん。夜中に失礼なのを承知で呼び鈴押すか、公衆電話を探すか、どうしようかなって考えてたとこだったんだ、今」
 ホントによかった、ここで会えて。
 そう続けて、にっこりと一歩は宮田に笑い掛けた。
 屈託のない笑顔に、けれど単純に喜べはしなかった。
 先程までさんざん宮田を悩ませてくれたのだ。
 だがしかし、一歩の言葉は宮田の訊きたいことの答えにはなっていない。
 もちろん、一歩がこの場にいる理由を知りたかったのは本当だが………それにしたって、この訪問は突然すぎやしないだろうか?
 第一、自分はこの男のおかげで、先程まで随分イヤな思いをしていた。
 一歩に対して言うべきことがまとまらないままに、それでも何かを言いたくて宮田が口を開くと、またも遮られる。

「…お前な…」

「ま、待って。あのっ、………ごめん、これだけ先に言わせて。──宮田くん」

 少し口調を変えた呼びかけに、何だ、と宮田が目線だけで問うと、きれいに微笑んで一歩は言った。

「誕生日、おめでとう」

 ──!!
 瞬間、宮田は心臓をぎゅうっと鷲掴みにされた気がした。
 暫し、静寂だけが辺りを包む。
 生温い湿った風が、やんわりと二人の体を撫でる。
 宮田は、その気持ち悪さを妙に感じながら、意識は一歩の気配だけを追っていた。
 完全に黙ってしまった宮田の顔を、一歩はおずおずと覗き込んだ。

「………え、っと…ごめん。プレゼント、何買っていいかわからなくて………買ってないんだ。だから、何か欲しいものとか、ある? あと、してほしいこととか………」

 ボクに出来る範囲のことだったら、何でも言ってよ。
 そう続けた一歩の声音は、優しくて耳に心地よくて。
 それなのに、何故か、宮田はやけにイライラした。
 ──欲しいものなんか、ねえよ。
 …なんて、ウソ。
 あるには、ある。確かに。
 だが、目の前のこの男には、全然わからないのだ。宮田本人に聞くくらいだから、全く見当もつかないのだろう。
 ムカついて、宮田はキュッと唇を噛んだ。

「………? 宮田くん? あの、怒ってる? ご、ごめ………」

「──んなことより、オレ荷物持ってて重いんだけど。お前、どうせ暇なんだろ? こんな時間にうろつくくらいなんだから。………………取りあえず、ウチ、入れば」

 今度こそ一歩に最後まで言わせず、冷たく宮田が言い放つと、戸惑いながらも彼はそれに応じた。

「あ………、えーと…。う、うん…わかった。じゃあ、それ、持つよ」

 貸して、と一歩に言われて、宮田は半分どころかその全てを手渡した。
 両手にいっぱいの、食料。
 ようやく重い荷物から解放されて、宮田はホッと一息吐いた。
 理由もなく、一歩のとぼけた顔を見るとムカついてムカついてしょうがなかったけれど、荷物を渡して両腕が軽くなった分、ほんの少しだけ気分はマシになった。
 宮田の代わりに買い物袋を持ったまま、神妙な顔で宮田を窺う一歩をじっと見て、やっぱり腹立つ、と宮田は思った。
 本当は、イライラする理由も、何となくわかっている。
 ………本当は。
 自分をこんなにかき乱してくれたくせに、何を察するでもなくのうのうと顔を出すこの男に、イライラするのだ。
 タイミングが良すぎて、腹立たしいことこの上ない。
 こっちの思惑も何にも知らないくせに、ギリギリのところで現れるなんて、反則に等しい。
 そして、たったそれだけで絆される自分自身に、さらに苛つく。

「………宮田くん…?」

 いつまでも視線を合わせているだけで何も言おうとしない宮田に、一歩が遠慮がちに声を掛ける。その様子さえも………
 ──ムカつくし、すっごく不本意だけど。
 それは本当の気持ちだったが、今だけは置いておいて。
 ムカついただけではなかったから、と宮田は一つ嘆息して、一歩に数歩歩み寄った。
 一人で悶々としていたあのときの教訓(?)も兼ねて、一つだけ素直になろうと思ったのだ。
 一つだけ。
 もう一度心の中で繰り返して、宮田はそうっと一歩の頬に両手を添え、吐息のかかる間合いまで近づいて。

「………来てくれて、サンキュ」

 何か言い掛けた一歩の唇を、言葉ごと、奪った。



終     

   

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