──どうして、わかってくれないんだろう。
──本当に、わかってないのかな。
──全然、伝わってない? それとも、知らないフリしてる?
宮田と一緒にいると、一歩はよくそんな風に思う。
『よく』とは言っても、宮田と二人で会うこと自体が、ごく稀だ。大体、ひと月に2度会うかどうか。単なる知り合いにしては、月2度は多いと言えるかもしれない。
その、数少ない日、必ず二人の間でワンパターン化したこんな問答が繰り返される。
「…お前さ。何でオレを誘ったワケ?」
「え?」
「だってさ、こういう所に来るんだったら、結構女のコとかも喜ぶだろ」
真っ青な空に薄くヴェールを掛ける白い雲。陽の光によりさらに鮮やかに見える、見渡す限りの緑。なだらかに延々と続く並木道と、道の両脇付近を華やかに彩る色とりどりの野生の花。遠くに見える常緑樹の森に、そこここで日陰を提供してくれる大きな広葉樹。
今二人がいるのは小高い丘の上であり、傾斜になっているやや前方は視界が開け、町の風情がミニチュア3Dとして展開されている。
初夏のあつく強い日差しと、酸素をたっぷり含んだ涼しげな山風をふうわりと受けて、僅かに目を細めた宮田は暴れる黒髪を片手で抑えつつ、一歩に背を向けたまま素気なく言った。
「…え、っと…何でって、それは………」
戸惑いがちに、一歩は言葉を綴り出した。宮田の台詞に、ツキンと何故か胸が痛んだ。
──宮田くんを、誘いたかったから………なんだけど。
どうしてかと訊かれれば、それが本音。
一週間ほど前だったか、一歩が商店街へと買い物に出かけた折り、偶然、町内会の掲示板の前を通りがかった。何気なく流し見ただけだったが、ピタリと目がとまったのは、その3行目に書かれた文章を見たときだ。
──都内から1時間以内で行ける、丘陵公園の散策用ハイキングコース。
特に何かが催されているわけではなかった。が、短い説明文と小さく描かれた写真に、何となく心惹かれた。
──こういうところで、ゆっくり過ごしてみたいかも。
一歩の脳裏に浮かぶその情景には、当たり前のように、自分の隣に宮田の姿があった。
緑いっぱいで空気もきれいなその場所に、行ってみたい。それはあくまで宮田と行きたい、という思いで………だから、一歩は宮田を誘ったのだけれど。
──イヤ、だったのかな。…こういうの。
それなら最初から断ってくれればよかったのに、と思うのだが、それをそのまま宮田に言うことはできず、一歩は口ごもった。………それに、宮田の口調だと、オレじゃなくて女のコを誘え、と進言しているようにも聞こえて、何だかちょっとへこんでしまう。
それっきり黙り込んだ一歩をちらりと横目で見、宮田は肩を竦めた。
「…ま、オレもこういうトコ嫌いじゃねえけどな」
風も気持ちいいし、結構好きかな、と言い足して、風が来る方向に顔を向け、目をすがめた。
「…ホント? ………だったらいいんだけど」
一歩は少し微笑んでホッと胸を撫で下ろしながらも、胸中は複雑だった。
──なんか、やっぱり、ボクの気持ちとか………宮田くんはわかってて無視してる、のかな。
つい、溜息をついた。
…一歩は以前、宮田に告白した。
あの頃は、寒すぎず、暑すぎず、とても過ごしやすかった。あれから今まで、ゆうに3カ月は経っている。
『トモダチとかライバルとかじゃなくて、宮田くんのことが好きなんだ』と、ハッキリ告げてしまったあのとき──瞠目してあからさまに驚いた宮田は、それでも気持ち悪いとは一言も言わなかった。冗談として流すでもなく、きちんとまともに受けとめてくれた。
だが、最終的には、『今のは取りあえず聞かなかったことにする』と宮田は宣った。ぶっちゃけた話、一歩は振られたのだ。………そして、暫くの沈黙の後、一歩が、我が事ながら未練がましくも、おずおずと『時々なら声を掛けてもいい?』とダメもとで申し出てみると、何故かあっさりと『好きにすれば』と返ってきたのだった。
──好きにすれば、と言われても………
その返事に、一歩は困惑させられた。もちろん、拒絶されなかったのはとても嬉しかったけれど。
それは、イヤじゃないけど良くもない、ということなのか。一歩の想いは知ってて知らないフリをする、という意味なのか。
──遠回しに言われても、ボクには全然わからないのに。
わからないまま、けれども改めて訊くと宮田の機嫌をそこはかとなく損ねそうで。その意味を確認しないまま、現在に至っている。
ただ、宮田の言動から完全な拒絶ではないことだけは伝わってきて。だから一歩は、『好きにすれば』の言葉通り、時々電話を掛けたりしている。宮田の応対も、煩わしそうではなかったし、一歩の誘いを断ることはなかった。
本当にごく稀にではあっても、こうして二人きりで会えば、普段は見せない宮田の一面をほんのちょっとだけ一歩に見せてくれる。宮田にしてみればそれもまた普段通りの態度なのだろう。だが、一歩にとっては初めて知る彼で、その度にドキリとさせられて、また惹かれて──そんな自分の感情を自覚すればするほど、想いを無視されているかと思うと苦しい。
好きなのに──でも、だからこそ、何だか苦しい。
「おい、何ボーッとしてんだよ?」
「うわぁっ!?」
いきなり正面からずいっと顔を近づけられて、ビクッと一歩の身体が跳ね上がった。
驚いた表情がおかしかったのか、宮田は一歩の顔を覗き込んだまま、クスクス笑った。
「立ったまま寝てんなよ。…なあ、そろそろ降りねえ? オレ、ハラ減った」
「…あ、そういえばボクも………」
「んじゃ、行こうぜ」
うん、と一歩は答えようとして、けれど自分に向けられた宮田の笑顔に、一瞬見とれた。
滅多に見られない、柔らかな眼差しと微笑み。
こういう表情は、ボクシング漬けの日常から離れていないと、宮田はなかなか見せないんじゃないかと、一歩は思う。いつもどこか怜悧で、ピリッとした緊張感を漂わせている。
──ただ、ボクだけにこんな笑顔見せるわけじゃないもんね。…って、片思いなんだから当たり前だけど。
「………こら、まだ寝てんのかよ?」
「ご、ごめん。じゃあ、行こっか」
多分少し赤くなったであろう顔を宮田に見られたくなくて、慌てて一歩は足を速めた。
後ろで、ブツブツ言いながらついてくる宮田に、気付かれないようにクスッと笑う。
こういう時間を宮田が許容してくれる理由は、一歩にはわからない。
だから宮田がどういうつもりかも、わからない。
一歩のことをどう思っているのかも、知らない。
片思いだし、ホントは知ってて無視されてるのかもしれない。
でも、今は、こうして他愛ないときを過ごせるから。
ちょっと苦しいけど、心の中の『好き』の方が上回るから。
このままいられればいいな、と思う。
このままで十分かな、とも思える。
──今は、まだ。
終
|