「クラピカ」
呼ばれた刹那、ドキリとした。
キルアがその名をまともに呼ぶことは、あまりない。
いつもは、「アンタ」とか、名前でなくそんなふうに適当に呼び掛けられるだけ。
だからクラピカは少し動揺してしまい、振り返るまでにおよそ二秒を要した。
ポーカーフェイスを繕うための、時間だ。
「何だ?」
数瞬後、平常心を心がけながら振り返り、キルアと視線を合わせる。
……大丈夫。まだ、大丈夫。
こうやってすました顔を作っておかないと、非常に困る事態となる。
キルアに知られてはならない秘密を、クラピカは抱えているのだから。
キルアへの、恋心。
暗殺者として淡々と仕事をこなしてきたであろうキルア。
私情をまじえず依頼通りに命を奪うことを生業としてきたと、キルア自身から聞いた。
その彼のことを自分が完全に理解するのは、きっと永遠に不可能だろう。
それを充分わかっていながら、惹かれた。
気付いた時には引き返せないところまできていた。
元暗殺者とはいえ、やはり歳相応の少年でもあり、時々驚くほど素直で子供っぽい我侭も口にする。そのくせ、少年らしからぬ頭の回転の良さと冷静さと、そして多分狡猾なところもある。己の都合さえ良ければ周りに何の違和感も与えることなくさらりと嘘をつけるのだから。
精神面も肉体面もまだまだ成長過程、それでも潜在的な能力や器は側にいれば肌で感じた。
他にもたくさん、クラピカにはないものをキルアは持っている。
ゴンと一緒なら、太陽の光を受けて輝く銀の月のように、彼はなれる。更に時間を掛ければ、自らが光を放つことも可能だろう。
ただそのためには隣にゴンがいなければならなくて、クラピカではどうあっても無理なのだ。
同胞の仇討ちという『負』の宿命を背負う自分ではダメなのだ。
理解だけ出来たって何の役にも立たないのに、とクラピカは思う。
そんな甘い痛みを伴いながら、大きくなったこの気持ち。
もう、恋などではないと否定することもできなくなった。
だが──忘れてはならない。
自分達は男同士。これは禁忌の想いなのだ。
知られればどういうことになるか、大体の予想はつく。
キルアには気持ち悪がられるに決まっているし、他の仲間もいい感情は持たない。
当たり前のことだ。
だから、隠さなければいけない。
しかし、自分にとって感情を押し殺すことはとても難しいのだと、クラピカにはよくわかっていた。
どんな時も冷静でいたいという思いとは反対に、いつも、少しでも気が緩めば簡単に激情に流されてしまうのだ。
それが己の弱点なのだとわかっているのに、未だ完全には克服できていない。
感情の完全なる制御ができれば何も苦労はないのだが、こればかりは仕方がない。
けれど、それなりに顔に出さないようにはできるはずだ。
今までだって、ポーカーフェイスを装えるよう常に努力してきたのだから。
クラピカはそう思って、表情を繕ってキルアを振り返った。
すると、キルアはジッとクラピカを見上げていた。
何の感情も表していないその顔は能面のようで、整っていて綺麗だが、怖い。
無言で見つめられて、クラピカは居心地が悪かった。
暫くの沈黙の後、キルアはやっと口を開いた。
「……いいよ、別に隠さなくても」
「え?」
「前から思ってたんだけどさあ。あんた、オレのこと相当気に食わないんだね。いつも怖い顔して睨んでんだもん」
突然の台詞に、クラピカは驚いて目を見開いた。
気に食わないなど、とんでもない誤解だ。
怖い顔とは、自分は一体どんな表情をしていたのか。
睨んでなどいない、ただ無意識のうちに目で彼を追ってしまっていた確率は高い。
キルアがそんな誤解をしているとは、思いもしなかった。
クラピカの驚きぶりに、キルアは更なる誤解をした。
「図星? ま、わかってたけど。そりゃもう、痛いくらい視線感じてたし?」
肩を竦め、皮肉っぽく言うその顔は、少し無理をしているようで、何となくキルアらしくない気がする。
クラピカはキルアの言をすぐさま否定しようとした。
「キルア、違う。図星なんかじゃ……」
「言い訳なんか、要らない」
一刀両断だった。とりつく島もない。
譲らない、頑なな声音に思わず言葉を途切らせたクラピカに向かって、キルアは強く繰り返した。
「オレはね、あんたの言い訳なんか要らないの。理由も知りたくないね。どーだっていい」
クラピカの言葉など聞く耳持たない、とでもいうように発言の機会を与えないままきつく言い放ち、キルアは踵を返した。
話を無理矢理打ち切られては、クラピカも二の句が継げない。どうせ何を言っても聞いてはもらえないだろう。
そして完全に立ち去る前に、キルアはピタリと足を止め、クラピカの方をちらりと見た。
「だからさ、オレに作り笑いなんかしなくていいよ。むしろ、そういうのウザいからやめてくれる?」
初めて向けられた、キルアの本気の冷たい眼差し。
無機質で、人を見ているとは思えないその瞳。
凍りついたクラピカを一瞥し、キルアは今度こそクラピカの前から立ち去った。
その場に立ち尽くすクラピカは、ショックを受けていた。
キルアから、あんなに冷ややかな目を向けられたことは今までなかった。
どんなに角を突き合わせていても、キルアのその目には何らかの感情が表れていた。感情の流れを見せるくらいには、気を許してくれていた。
なのに、さっきの態度はどうだろう。まるで赤の他人に相対する時と変わらない。敵意というより、無関心。
キルアにとって、クラピカは、気に留める必要のない通りすがりの人間と同じ扱いなのか。
そういうことなのだろうと、クラピカは理解した。今までもそうだったのかは知らないが、少なくとも今と、そしてこれからは。
確かに、キルアの誤解があることに、全ての端は発しているかもしれない。
けれども、その誤解を解かなくても構わないくらいに、彼にとってはどうでもいいわけだ。クラピカのことは。
だからこそ、キルアはクラピカの言葉を聞こうとしなかったのだ。
「……ウザい、か。そうだよな……」
ズキリと胸が痛む。ぎゅっと引き絞られるように、痛い。
だが、クラピカはその痛みを受け入れるしかなかった。
誤解を解いたとしても、どのみち近い将来、いずれキルアに同じことを言われるに違いない。例えばそう、もしキルアがクラピカの想いを知ったなら、『ウザったい』『キモチ悪い』──そんな意味の言葉を彼はきっと口にするだろう。本音だからこそ素直に、クラピカの前でも何の躊躇いもなくはっきり言うことだろう。それよりもっと酷い言葉や態度で示される可能性だってある。
今の状況はまだマシな方だ。
クラピカの気持ちを、キルアは知らないのだから。
少なくとも、想いを知られ、疎んじられたのではないのだから。
そう己を納得させつつも。
救いようのないこの虚しさを抑え込む自信は、クラピカには無かった。
.....続く
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