──何故、お前はここにいる?
「由っ貴ー! たっだいまー!」
リビングでオレを見つけた瞬間、犬っころのように走って抱きついてくる。
ドカッと音がしそうな、一瞬呼吸が止まるそのタックル紛いの勢いの凄さに、過去にはソファからもろともに転げ落ちたりしたことも何度かある。だから最初の頃はいちいち苛立たせられて、その都度怒鳴っては脳天に拳骨をくれてやったもんだ。
体力も精神力もかなり消耗するその愁一の躾(?)が、最近ようやく報われつつある。オレに抱きつくにしても何とか加減を覚えたようで、こっちが身構えていさえすれば倒れることもない。
しかし実際、なまじそういうのに慣れてしまったから、ちょっと加減を忘れたりしやがったとしてもそこまで怒る気にもならないのが正直なところだ。
抱きついた両腕はそのままオレに腕を巻き付けた姿勢で、愁一は満面の笑みをオレに向けて言った。
「あのさ、さっきオレ達が出た番組で当たったお菓子、持って帰ってきたんだ。一緒に食べよ?」
愁一はにこにこ笑い掛けてくる。
わからない、と思う瞬間は、いつだって唐突にやってくる。
今もまた、そのわからない気持ちで一杯だ。
──全然、わからねえ。こいつは何で、嬉しそうに笑ってんだ?
今オレは、無表情なんだと思う。
笑い掛けられて同じように笑ってやってるわけじゃなくて、ただ真っ直ぐ向けられる視線を普通に受け止めているだけだ。
一言もまだ喋ってない。1ミリたりとも笑ってない。
オレの目は確かにこいつを映し出しているが、本当にただそれだけなのに。
こいつは無駄に元気で、馬鹿みたいに嬉しそうだ。……本当に正真正銘の馬鹿なのは、紛うことなき事実だが。
まあ、今日は邪険に蹴ったり殴ったりしてないだけでも、大分マシな方か。
「懐かしの駄菓子もあり、クッキーやチョコの詰め合わせの菓子折もありの、超お得パックでさ〜マジですんごい量だと思わねえ? 実は優勝が海外旅行で準優勝がナントカっていう高級食器セットだったんだけど、ブービー賞がコレだったからオレ最初っからブービー狙いで頑張ったんだ! だって旅行だと由貴の〆切とオレの仕事の都合が合わせらんないかもだし食器は別に悪くないんだけどオレ下手したら割っちゃうし、でもお菓子なら由貴喜ぶしオレも由貴と一緒に食べれるじゃん! あっそうだコレコレ、いちごポッキーもあるんだ〜。えへへへへだからさ由貴オレと食べよーよっ端と端から齧ってさー最後は甘いいちご味のちゅう、なんつってなっ」
どこをどう突っ込めばいいかわからないくらい破綻した世迷い言をほざきながら(大体ブービー狙いなんて真っ赤な嘘に決まってるんだ、優勝狙ってもブービーしか貰えなかったってのがオチだろう)、しっかとオレに回した片腕はそのままに、一方の手だけで器用に菓子袋をがさごそ荒らして無理矢理袋をこじ開け、目的のいちごポッキーの箱を掴んでみせた。
ていうかお前一気に喋りすぎだ。煩悩垂れ流し過ぎだ。物には加減と限度があることを思い知れこの阿呆が。しかも何で、お前はオレしか見てねえのに菓子の山から未開封のいちごポッキーの箱だけを手探りで掴めるんだ? このオレでも至難の業だぞ。
口を開くのも面倒で、いろんな意味を込めて冷たくこのアホ面を睨み付けてみたが、効果は全く期待できない。
案の定。
ご機嫌ににまにま笑う愁一の動作には何の躊躇いもない。
そうしてペリリとビニルを破った箇所から、いちごの甘い香りが漂ってくる。
──こいつ、オレの返事も待たずにふざけた行為を実行に移す気か。
懲りない奴だ。何度イタイ目に合ったら気が済むのか。
仕方なく、こいつが帰ってきて、初めてオレは声を発した。
「…デザートの前にメインディッシュが必要だろ」
「え、あ、もしかして由貴、ご飯まだだった? んじゃあご飯の後にポッキーな!」
にこにこにこ。
──ああ、もう本当に、わからない。
いちごポッキーを握るその手首を掴み、オレの座っていたソファの上に一気に引きずり上げて、軽い身体を押し倒す。
肉の薄い身体。華奢な骨。
滅茶苦茶をやらかす超人的パワーとゴキブリ並の生命力がこの小さな身体のどこにしまわれているのかと、不思議に思う。
目をまん丸にして吃驚した愁一の顔が面白おかしい。
感情が顔にそのまんま出ていて、手に取るようにわかるのが笑える。
お前、オレの何が欲しいんだ。
何でそんなに懐いてんだ。
邪険にしても振り払っても、スッポンよろしくくっついてきやがって。
オレの傍にいたい理由は何だ。
お前に好かれるような行動なんか、してねえだろ?
オレは何も持っていないだろ?
なのに、どうしてこう──馬鹿なんだ、お前。
覆い被さった態勢でじっと見つめ続けていると、オレがどういうつもりかくらいはわかったんだろう。
次第に上気していく頬。潤む眼差し。
ゆっくり唇を寄せると、僅かに開く唇。伏せられる瞼。
上体が重なれば、背中に腕が回される。
抵抗の欠片もなく、全てを受け入れる、お前。
──何故、お前はここにいる?
問いの答えは、随分前から探しているのに見つからない。
馬鹿の考えはオレには永久にわからないということなのか。
でも。
こうしていると、答えの断片を見つけられるんじゃないかと、ほんの少しだけそんな気がする。
滑らかな肌の熱は、何十にも覆われた膜の向こうから何かをオレに伝えているように思える。
こいつと繋がっている時だけは、オレを苛む疑問も遠ざかる。
だから。
湿った吐息に混じる呼び掛けに、オレは愁一の耳朶を啄んだ。
終
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