ひどい男 

2005.3.28.up

『諦めろ』
 
 無理なことを命令するのは、大事な人だ。
 自分の一番大事な、愛しい──ヒト。
 
 
 
 
 
 ──諦めろ、って……ひどいこと言うよな、あんた。
 
 心臓が痛い。鼓動が荒い。
 痛む胸の辺りを、愁一は服がしわくちゃになるのも構わず片手で力一杯握り締め、恋人の先程の言葉を脳裏で反芻しながら唇を噛んだ。
 
 
 
 
 * * *
 
 瑛里にフラれた時には髪を染めた。
 ニューヨークに行ったのは自分の意思ではなかったけれど、別れると決めたら、アメリカでデビューすることはむしろ歓迎すべきことだった。
 すんなりと行くはずだったその予定は、しかし実現することはなかった。
 愁一自身が白紙に戻したのだ。
 フラれたと思っていた元恋人が、わざわざニューヨークまで迎えに来てくれたから。
 そして『戻ってこい』と、そう言ってくれたから。
 
 自分が彼の、押し掛け女房ならぬ、押し掛け恋人だったのはわかっている。
 それでも好きで好きでどうしようもなくて、どんなに冷たくあしらわれても邪険にされても何人恋人がいようとも、やっぱり想いはとまらなくて。だからいつも迷惑そうな顔をしていてもほんの気紛れに優しくしてくれたりする瑛里の側に、愁一はいた。
 好きだから側にいたい。だからそうする。基本的に愁一の行動は単純明快なものだった。
 もし瑛里に好きだと言われたら、嬉しすぎてそれこそ心臓が爆発するに違いないが、同時にそんなことがあり得るはずないと理解しているから、全くそのような心配をする必要なんてない。
 わかっていたから、ただただ一方的に想いを伝えてきた。自分を好きになって欲しい、なんてことは勿論思うに決まっている。でも、それより何より自分がどれだけ瑛里を愛しているのか知っていて欲しかった。
 涸れない泉のように溢れ出る想いをそのまま溜めていたら、絶対に体調不良に陥ってしまう。一日に何十回と好きだと言わなければ気が収まらなかったのだ。
 だからずっと、瑛里が愁一をどう思っているかは常に後回しで、飽きもせず毎日毎日、新堂愁一は由貴瑛里に対して愛の告白をはた迷惑なくらいにぶちかましてきた。
 迷惑顔にもメゲず、家を追い出されかけても繰り返し繰り返し、好きだのアイシテルだのと一方的に言い続けてきた。
 あくまで一方通行のまま。
 
 けれど愁一が今日本に帰ってきているのは、瑛里がそう望んだからだ。
 そして一度は意地で蹴った迎えを愁一が受け入れたのは、結局同じことだ。
 …本当は、ずっと瑛里と一緒にいたかった。
 ──ってことは、つまりオレ達って今、正真正銘両想いの恋人同士!?
 恋人に片想いも両想いも無いものだが、そうやって愁一が多少なりと舞い上がって浮かれ喜ぶのも無理はないほど、今まで恋人同士だと実感できるようなことは、言ってしまえばベッドの中以外には思い浮かばなかった。
 あの瑛里がニューヨークに、そして日本では飛行場にまで迎えに来てくれて、『オレの側からいなくなるな』とすら言ってくれちゃったりしたのだ。…穴云々はとりあえず横に置いておくことにして、今まで同様に冷たい言葉を食らわされてクソガキ呼ばわりは相変わらずで、甘い囁きを聞かせてくれることは勿論なくても、瑛里だって愁一のことを好きだと多少は思ってくれているのだろう。
 愁一がそう期待しても、全くおかしくなかった。
 今まで瑛里と付き合ってきた経験上、その期待が1ミクロンほどだとしてもだ。
 
 時には『本当にこいつは由貴瑛里なのか?』と思うほど可愛かったり素直だったりすることがあるけれど、基本的に意地っ張りで強情で捻くれ者で愁一イジメが大好きなあの男のことだから、自分から想いを告げることなどあり得ない。
 でももし瑛里の気持ちを敢えて言葉にするとしたら、『好きだ』とかそういう言葉になるんじゃないかと思った。
 ひょっとしたら違う言葉になるかもしれないけど、それに似た、自分にとっては超絶甘やかな響きのものであることには相違ないと、それこそ1ミクロンの期待を愁一は掛けていた。
 
 だが、その愁一に向かって吐いたあの恋人の台詞は──
 
『諦めろ』
『オレが好きなのは北沢有希だけだ』

 そんな、拒絶に等しいものだった。
 言葉を綴る瑛里の手は愁一の頬に添えられていて、その手は確かに温かかったのに。
 そしてその声は愛しい人のものなのに、耳に届く言葉は愁一を凍らせた。
 
 
 
 
 ──諦めろだぁ!? 何だよソレ。もうずーっと前からあんたにフォーリンラブなこのオレに? 同棲なんかも随分長いし可愛い寝顔とか拝ませてもらったり美味しい御飯作ってもらってたりしてるし、えっちとかもご無沙汰ーってことも全然ない上になんか色々やっちゃったりー……っていやいや違うそうじゃなく、あとはえっとー、そうそうマスコミ通じて今や公認のホモカップル宣言も由貴が自らしてたりする、そういう関係のこのオレにだぞ? 今っ更、諦めろだとォ!? 本気で言ってんのか? 違うだろ!?
「ンなの無理に決まってんだろーがぁぁぁああ!!!」
 肺一杯に空気を吸い込んだ愁一が力の限り絶叫したのは、凍り付いて数時間が経過してからだった。
 当然、瑛里は側にいない。
 ぜいぜいと肩を上下させながら、荒い息をする。
 こんな雄叫び一つで気分がすっきりするわけがない。
 結構な時間が経っているのに心臓の痛みも和らぐことなく、先程の瑛里の台詞を思い出す度にキリキリと胸が引き絞られるのだ。
 ──ほんっと、ひどいね……あんたって。
 諦めろという言葉は全てを拒絶する。
 1ミクロンの期待さえも持つなと、愁一に言いたいのだろうか。瑛里は。
 
「ちょちょちょっと、何よ!? どうしたのよいきなり!」
 前触れもなく轟いた大声に吃驚して、レイジが泡を食っている。
 声を掛けられてようやく、愁一はハッと我に返った。
 側に瑛里がいないはずだ。ここは家ではなくN-Gのビルの中で、これから愁一には歌の仕事が待っているのだから。
 隣にいるのは現在一応自分のマネージャーである、レイジだ。
「無理って一体何がよ?」
「え、や、あははー何でもない。さーて今日もおシゴトがんばるかー!」
 慌てて殊更明るく笑ってごまかすが、不可解そうなレイジの目が愁一の頬に遠慮なく突き刺さる。
 色んな諸事情がレイジにバレるのは時間の問題だが、少なくとも今この場で突っ込まれないに越したことはない。
 幸い目前の扉の先が、本日の仕事場だ。完璧に防音機能を効かせた部屋で、既に浩司と順が待っている。どうせ彼女にバレるのなら彼らと同時でお願いしたい。説明する手間が省けるというものだ。
 バンドメンバーの彼らにはすぐさまわかることだろう──諸事情とやらの具体的内容はどうあれ、新堂愁一の調子の良し悪しは由貴瑛里次第だということを、事実としてしっかり認識している彼らなのだから。
 
 愁一の歌声を聴けば一発で彼らは察するに違いない。
 気持ちが声に連動してしまうことを愁一は止められないし、愁一も、事情を悟った時の彼らの表情が目に浮かぶ。
「はぁー…今日は帰んの遅くなるなぁ……ごめんなー、ヒロー藤崎ー……」
 扉に手を掛け、力を込めて重いそれを押し開く直前、俯き加減に愁一は乾いた笑いを声に乗せて力なく呟いた。
 
 自分が惚れたあの厄介な男が悪いのではない。
 そういう男に骨抜きになって、あまつさえ自分の世界の中心を彼に奪われたことがイケナイのだ。
 全ては愁一自身の咎、なのである。
 
 
 
 
 ──由貴に好かれてもいないくせに、な。
 
 そんな声が心の奥で木霊して、愁一の心はまたツキリと痛んだ。



終     

   

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