頭痛の種 

2003.10.12.up

「テル先生、回診の時間ですよ」
「そうッスね。じゃ、行きましょうか」
 ナースの声に、アイツが笑顔を向けて立ち上がる。
 近くで聞こえたその会話に反応して思わず視線を向けたボクに、アイツは気付き、いきなりムッとした顔でこっちを振り向いて、口を尖らせた。
「…何だよ」
「別に、何も」
 軽く笑ってサラリと躱した。
 微笑みの裏でボクが考えていることなんか、きっと思いつきもしないだろう。
 ボクだって、自分自身が信じられないくらいだ。
 
 このボクが、だよ?
 何だってこんなヤツに、興味を抱いてるんだか。
 不可解なこと、この上ない。
 
「だったら、ンな嫌みな笑い方すんなよな」
 ケッ、とふてくされた顔でそっぽを向いて小さくぼやいたのは、多分、ボクに言うつもりなんかない独り言、なんだろうけどね。
 キミの声は小さくても、よく通るんだ。
 自分で知っておいた方がいいんじゃない? ボクはわざわざ教えたりしないけど。
「聞こえてるよ、テル先生」
「う゛っ」
 はっきり言って、ボクと一つ二つしか年が違わないようにはとても見えない。
 ボクも他人のことは言えないけど、テル先生って童顔だし。でも、それだけじゃなくて、子供っぽい所が多いというか。
 子供と相性がいい、っていうのはものすごく頷ける。
 その点だけは感嘆に値する。
 それだけは、テル先生には適わない。…まあ、張り合おうとも、ちっとも思ってないけどね。
 だけど、ボクに勝っていることなんか、多分それだけだ。
 
 別に技術がボクより上ってわけじゃない。
 経験も、ボクと競り合うほどでもない。
 なのに。
 他人にさして興味を持たないボクが、アイツを視界に入れてるだなんて。
 
 実際、ボクはアイツの何が気になってるんだろう?
 正直、よくわからない。
 
 
 *  *  *
 
 
 結局、会話はナースの一声によって途切れ、ボクは自分の仕事に戻った。
 そして今、少し他科に所用があって、病棟の廊下を歩いている。
 と、回診を終えたらしいアイツとナースが、並んで階段を上がってきているのが見えた。
 話に夢中なのか、階段を昇りきった辺りに立っているボクに、彼らは気付いていない。
 すると、あと数段、というところで。
 テル先生の爪先が、階段に引っかかった。
「あっ」
 思わず呟いたボクの目の前で、テル先生が、見事にコケた。
「うわぁっ!」
 同時に、ビタン!と派手な音が立つ。
「きゃあ、テル先生! だ、大丈夫ですか!?」
 …階段を降りる方で転んだんだんじゃなくてよかった、と思ったのは、きっとボクだけじゃないはずだ。
 万が一、階段を踏み外して転がり落ちたりしたら、タダじゃ済まないことの方が多いんだから。
 ……それとも、ドジで有名なテル先生のことだ、転び慣れてて全然平気だったりするのかな?
「あ、ハハ〜大丈夫ッス」
 力無くヘラヘラ笑うアイツは、相当痛みを我慢してるみたいだけど、まあ大丈夫そうだ。
 前につんのめっただけだしね。
 ただ、コンクリートの階段だから、青タンはそこかしこにあるんじゃないかなあ。
「し、四宮!」
 ……気付くのが遅いんだよ。
 っていうか、キミのそのドジ、本当にどうにもならないんだね。
「はぁ……本っ当に、わからないな」
 思いっきり呆れてしまって、ボクは大きく溜息を吐きながらそう言った。
「あ? 何がだよ」
 立ち上がり様、ボクに問い掛けてくるテル先生に、ボクはこう答えた。
「……何でこうもドジが連発できるのかってこと。表彰ものだよ、ある意味」
「なっ、何だとぉ〜!?」
 嘘じゃない。心の底から思ってることだ。
 だって、ここまでドジな人間を、ボクは見たことないから。みんな、言わなくてもそう思ってるんじゃない?
 でも──違う。
 わからない、とボクが言った本当の意味は、別にある。
 
 呆れたのは、テル先生にじゃない。
 自分自身に対してだ。わからないのも。
 どうしようもないなと、自分でそう思ったんだ。
 本当に。
 
 こんなドジで子供で、医師としても技術的に劣るヤツなのに。
 このボクでもできないような、目を瞠る技量を見せることはあっても、そんなのは稀にしかない。
 それなのに、どうして。
 
 気になるんだろう。
 目で追ってしまうんだろう。
 
 ……放っておけばいいのに。
 以前のボクならそうしたのに。
 おかしいだろう、どう考えても。
 
「はぁ……。全く以て、理解に苦しむよ……」
 
 ──自分で、自分のことが。
 
 どうやら自分のことを言われたと思っているテル先生が、ギャンギャン吠えたててくる。
 けれど、これ以上構ってられなくて、そんな余裕なんかなくて、ボクは止めていた足を動かしてその横を素通りした。
 …頭痛がする。
 しかも、酷く痛む。
 
 顳かみをおさえても、ちっともマシにならない。
 
 それもこれも、キミのせいだ。
 どうしてくれるんだ?
 …どうせ、わかっちゃいないんだろう。
 ああ、わかってるさ。
 だから、気に食わないんだ。



終     

   

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