目の前は、職員室。今は、二限目が終わった後の休憩時間。
そのドアの真ん前に、私はいる。
私はさっきの自習時間に配られたプリントを、全員分集めて持って来ていた。
もちろん、先生に渡すために。
だけど、どうにもこうにも心拍数が妙に上がって、落ち着かなくて。
ドアの前で、私は何度も深呼吸を繰り返していた。
──なっちんが昨日言ってたのは、心理テスト。
──そうよ、ただの、心理テストなんだからっ!
何度も心の中で、繰り返し言い聞かせた。
…なのに、全然効果がない。
それどころか、逆効果みたいに思える。
思い出すと、どんどん症状はひどくなるから。
──な、何で、こう顔が熱くなるのよ。何で、こんなに心臓バクバクいってんの。
私が持ってるプリントは、担任の先生、つまり氷室先生に渡すべきもの。
だから、そのために私はここにいる。
わかってる。…けど。
だけど、………だからって私は何で昨日のことばっかり思い出すのよ。
──もう、違うったら違うんだってば!
──何勘違いしちゃってんの、私!
す、す、好きな人って、そんなふうにあの心理テストでは出たけれど。
だ、だって、ねえ。そりゃあその、尊敬してる先生…なんだし。
ほら、たまたまあの時は、氷室先生に教わってたし。
だから偶然、先生を一番最初に、赤でイメージしちゃっただけのこと。
目の前にいたんだから、条件反射ってものよ。
うん、絶対そう。ただ、それだけ。
絶対絶対、そうに決まってるんだから!
…よし。ちょっと落ち着いた。
気合いを入れ直して、私はドアに手を掛け、開けるために力を込めた。
すると──ガラリと音を立てて開いたドアは、やけに軽かった。
開くと同時に第一歩を踏み出していた私は、勢い余って誰かにドン、とぶつかってしまう。
「すっすみま…──」
慌てて顔を上げると、あろうことかそれは。
──ひ、氷室先生っ!?
「き、君か…。気を付けなさい」
ケホン、と一つ咳こんで、ちょっと眉間にしわを寄せているところを見ると、痛かったのかもしれない。
結構勢いあったし。──なんて、冷静に判断している場合じゃない。
「は、はいっ、すみません。あ、あの、私、さっきの自習用のプリントを…」
──あああ、し、心臓がっ!
またしても、バクバクと忙しなく高鳴っていた。
さっきあれだけ深呼吸して落ち着いてたのに、もう全然ダメダメだ。
顔も火照ってきて、私にはもうどうにもできなくなっていた。
…何で、こうなっちゃうのよぅ。もうイヤ〜っ。
──だから、あれはただの心理テストなんだってばぁ!!
「ああ、ご苦労だったな」
──いえ、そんな。
とそんなふうに言って、とにかく私はこの場を去りたかった。
けれど。でも。
──センセ、ゆ、指、指がーっっ!
プリントを受け取ろうとした先生の指が、私の指に触れていた。
それは、ほんのちょっと、指の先っぽだけだったけど。
確かに、触れ合っているのだ。
顔どころか首も耳も真っ赤に染まってしまった私に、そのことにようやく気付いた先生が、早口に小さく呟いた。
「…あ、す、すまない…」
そして素早くプリントだけをするりと持っていく。
この時点で私の任務は終了だ。
そりゃあそうだ。このためだけに、職員室に来たんだった。
思い出して、わたわたと逃げる準備に取りかかった。
だってだって、もう限界だったから。
「い、いえ!! じゃ、じゃあ、あの、私はこれで。失礼しますっ!」
これ以上、ここにはいられない。
フルマラソンを完走した直後みたいな心拍数と、急上昇した体温に、もう耐えられそうにない。
──早く早く、ここから離れないと!
ぺこりと先生にお辞儀をして、急いで踵を返す。
走ったらまた先生からお小言を貰ってしまうから、競歩の選手よろしく、思いっきり大股で自分のクラスまで廊下を闊歩することにした。
──もうもう、何が何だか全然よくわかんない。何で私、パニクってんの!?
全身を赤く染めたまま、私はただひたすら真っ直ぐ自分のクラスを目指す。
──そういえば先生の顔も、ほっぺたがちょっと、赤かった…ような。いやでも、まさか。
まさか、と思いつつ、私は思い立って、自分のクラスを素通りした。
そして、なっちんのクラスへと直行する。
──私、氷室先生のことは、尊敬してるの。うん、絶対そうなの。それは間違いないの。
だからね? と心の中でなっちんに、話し掛ける。
だから、もっと他の心理テストもやってみて、きちんと物事の正否ってものを、確認しなくちゃいけないと思うのよ!!
終
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