「結構、涼介さんて臆面ないっすよね…。言われません? 史浩さんとか、啓介さんとかに」
それは、涼介が、FCの車中で問い掛けられた質問だった。
プロジェクトDがクルマの整備に利用している、とある場所からの帰り道のことである。
今日はたまたま、Dのミーティング後に、整備をすることになっていた。
だが、夜も更け、明日が近付く時刻になってもハチロクのメンテナンスがなかなか終わらなくて、取りあえず先に拓海を実家へ送り届けよう、ということになったのだ。もちろん、藤原豆腐店の豆腐配達に使うハチロクは、責任を持ってその時間までに松本が届ける、という約束付きで。
通常であれば、終電も終わり掛けたこの時刻に拓海を渋川へと送るのは、涼介ではなく、Dの他のメンバーの役目である。だが、FDのメンテナンスは先に終わっていて、他の面々は先に帰っており、その場にいたのがハチロクのメンテナンスをしている松本と、それを手伝いながら指示を出す涼介、そしてそれら作業を見守りながら時折教えを乞うドライバーの拓海、の三名だったのだ。
よって、後のことは松本に任せ、チームリーダーである涼介自らが今、愛車FCのハンドルを握り、高崎から渋川へと拓海を送る道中にあるのである。
時折、思い出したように会話を挟みながら、白いFCを疾駆させる時間を、涼介はこの上なく楽しんでいた。
多く言葉を交わさないまでも、気分がゆったりと寛いでいく。
思わず口元が綻んでしまうような、そんな時間。
だが、幾度めかの沈黙の後、拓海は訊いてきたのだった。
『臆面ないって、言われません?』
FCのナビシートに深く座り、左手で頬杖をつきながら窓の外を見ている拓海に、涼介は一瞬だけ、隣にチラリと目を走らせてから答えた。
「…別に、言われたことはないな…。何でだ?」
「何でって…、涼介さんって、意外とストレートに物言うじゃないですか…」
「そりゃまあ…余計な誤解されたくないことなら、はっきり言うに限るだろ」
違うか? と拓海の意見をうかがうように言うと、拓海の胡乱な目つきが涼介の頬に突き刺さった。
頬杖をついたままの姿勢で、けれど自分に向けられる視線が強くなったのが、涼介には何となく察せられる。
「…それはわかりますけど…。でも、そういうのって、内容によると思いませんか?」
謂れのないイチャモンをつけられている気分になった涼介は、何だかなあ、と内心で苦笑いした。
「つまり藤原には、オレに、言われたくないことがあるわけか? 言われたら困るようなこととか」
その問いに返ってくるのは、沈黙だけだ。
拓海の無言は肯定の証だろうと踏み、涼介は先程までの拓海との会話を脳裏に思い描いてみた。
自分でも気が付かないうちに、自分は、拓海の気に障るようなことを言ったりしたのだろうか?
だが、一体何が気に入らなかったのだろう? こんなに、数少ない会話の中で。
………わからない。
「『臆面がない』って言われても…、オレはただ、言いたいと思ったことをそのまま言ってるだけだし………自分じゃよくわからないな…」
独り言のように涼介が呟くと、拓海がフウ、と小さく溜息をついた。
「………いいです、もう…。…けど、ああいうことは、あんまり言わない方が…。ていうか、言わないで下さい。でないとオレ、誤解するじゃないですか………」
「『ああいう』って………具体的には?」
神妙な顔つきでわけのわからないことを言い出す拓海に、涼介はクルマのヘッドライトが照らす道路の前方へと視線を向けたまま、胸中で首を傾げた。
拓海は、涼介のその横顔を盗み見て、ふと視線を足元へ落とす。
そして再び、真っ暗闇の窓の外に目をやった。
「…『もっと一緒にいられたらいいのに』とか…『明日の豆腐の配達、付き合ってもいいか?』とか。そういう台詞のことですよ。………さっきは修理工場で、『やっと念願叶って、藤原と二人っきりで渋川へのドライビングを楽しめるな』とか何とか、松本さんに言ってたじゃないですか。…松本さんは笑って、よかったですねって言ってたけど………。そういうこと、涼介さん、平気で言うし」
指摘されて、そのことか、と涼介はようやく思い至る。
拓海の言う通り、確かにそれは自分の言動である。
苦笑して、悪い、と素直に謝った。
…些細なことだが、拓海にとっては困るようなことだったわけだ。
拓海と涼介が深い仲だとは、誰も知らない。それを承知で涼介が、ほんのたまに、誰も気付かない程度で冗談混じりにその類の台詞を言うだけだ。
別に、意味があってそうしているわけじゃない。ただ、普段は完全に隠している本音を、僅かだけでも吐露してみるのもいいか、と考えていたのだが。
しかし、それを拓海が嫌がるというのなら──
「………嫌なら、もう言わないから。そんな怒るなよ」
「…そーじゃなくて。別にオレ、怒ってねえし………ヤじゃない…ですけど。でも、………誤解するから」
「誤解…?」
問われて、一瞬口ごもる。
「………………オレんこと、誘ってんのかな、って。………なんか、口説き文句にも聞こえるし」
言いにくかったけれど、拓海は何とか声に出した。
聞こえるか、聞こえないかくらいの小さな声で。
闇夜が、FCの窓ガラス全てを、鏡に変えている。
拓海がいくら窓の外を見ているフリをしていても、目の焦点を変えれば、見えるのは車内と自分の顔だ。
自分の顔の色までは窓ガラスの鏡じゃわからないまでも、きっと頬は赤くなっていることだろうことは、見なくてもわかる。
そのまま拓海が黙っていると、今度は涼介が、沈黙を静かに破った。
「…なあ、藤原。そこまでわかってるんなら、もう一歩先へ進んでみないか?」
「一歩、先…──?」
「それ、誤解じゃないぜ。大体、オレが何も考えずにそんなこと言うわけないだろう」
「………は?」
「全部が全部とは言わないけど…正真正銘、口説き文句。…のつもり、だった」
──でも、あまりに反応薄いから、躱されてるのかと思ってた。
涼介の言葉に、拓海は顔に血が結集するのを感じた。
──〜〜〜だから、そういうコトを平気で口にする所が、臆面ないって言うんだって…!
言いたくても言えず、心の中で地団駄踏む拓海である。
だが、それでも。
言われること自体は嫌じゃないどころか、嬉しかったりするのが、自分でも少々困りものでもあるのだ。
「………涼介さんって…物好きですよね、かなり」
嬉しいとは素直に言えない拓海が、拗ねたように口を尖らせ、そんな言い方で照れを隠す。
涼介は、それに対し、楽しげな含み笑いとともに答えた。
「…そうかもな。鈍くて、素直じゃなくて、その上ちょっとひねくれたヤツが好きなんだ」
そうして、最後にこう付け加える。
「ま、そういうひねたヤツに限って、そんな物好きなヤツが気になってる場合もあるみたいだから、『物好き』もお互い様というか──ヒトのことは言えないもんだと、オレは思うがな」
喉奥で笑う涼介を、拓海はやや熱くなった顔のまま一瞥して、心の中で嘆息する。
言葉はどうあれ、その通りなのだから、反論の余地はない。
「………………趣味悪ぃっすよねー…ホント」
ぼやくようにもう一度同じような言葉を繰り返すと、やっぱり同じ答えが返ってくる。
「…お互いにな」
顔を見合わせることはなかったが、二人して同時にクスリと小さく笑い合った。
それから他愛のない話を時折交えて、間に、心地の良い静けさを味わい。
渋川に辿り着くまでのひとときを、時間の流れが緩やかであればいいと密やかに願いながら、過ごしていた。
触れ合える距離にいて、何故だか、触れられなかった。
触れたいけれど、それはもうちょっと、後少しだけ、先延ばしにして──ただ、今はたまに瞳を交わすだけ。
それだけで至極、幸せな気分だった。
今求めるものは、互いに同じような気がした。
時折重なる瞳の奥の光は、それを肯定しているように思えた。
──こんな優しい時が、少しでも、後僅かでも、長くありますように──
終
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