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2001.7.22.up

<兄拓version>

 涼介の囁きは、熱を孕んでいた。
 見つめる目も熱っぽい光を湛え、何かを切望するかのように、拓海だけを映し出している。
 それは、辛うじて焦点が合うかという距離だった。
 間近で見る涼介の容貌は、何の遜色もなく端麗で、一分の隙もない。
 そして。
 ずっと、ずっと──それしかできないとでも言うのか、あるいは拓海の反応を待っているのか、黙ったまま拓海を見つめ続ける涼介に、見惚れながらも同時に歯噛みする思いを味わっている拓海は、いつまでも自分の頬に触れている涼介の手を払い退けた。
 パシン、と意外に大きな音がする。
 その音に少し怯んだものの、なかったことにすることもごまかすこともできず、拓海は口元を引き結び、涼介を睨んだ。
「………オレに、これ以上どうしろってんですか」
 声を低く抑え、熱く火照った顔をフイと背けた。
 …これ以上、自分にはどうすることもできない、と本気で拓海は思っていた。
 
 
 恋人と交わるために、最後の布さえ取り払う──それは、当たり前のこと。羞恥は感じても、それ自体を厭う自分ではない。
 だが、その先は?
 実際に体を重ねて交わる時はどうだろう?
 もしも男と女なら、体の構造の違いから役割は決まっている。
 ならば、自分が男で、恋人も男の場合はどうなるのか。
 それを、拓海自身、全く想像しなかったわけではなかった。けれども、考える度に、まだ先の話だと高を括っていた。
 拓海も涼介も互いに男で、強まる恋情は性欲に直結している。相手が欲しくてたまらなくなるのも、欲望が理性を駆逐するのも、きっと直ぐだ。
 だが、男同士だからこそ深入りすることに躊躇する部分もあるだろうと、それが思慮深い涼介なら尚更そうじゃないかと、思っていた。…思い込んでいた、と言ってもいい。
 それゆえ拓海は、今の展開ぶりについていけないでいる。
 自分が涼介を前にして、全裸無防備のこの姿──それだけでも両手で顔を覆いたいのに、足を開いて涼介を誘い込むように彼の身をしっかり間に挟み、全てを彼の眼下に曝しているなんて。
 具体的に想像していなかっただけに、この現実は受け入れがたいものがあった。
 衣類の全てを取り去られ、一糸纏わぬ姿となり、上から下までためつすがめつ、しかも熱く勃ち上がった自身まで見下ろされているのだ。全部が全部信じたくない光景だし、とんでもなく恥ずかしい。
 ………こんなに羞恥を感じたのは、初めてのことだ。本当に、どうしていいかわからない。
 恥ずかしすぎて、身の置き場に困る。…それもこれも、涼介の眼差しを一身に浴びているせいだ。
 …そりゃ確かに、時折は涼介とのSEXを空想した。そういう意味では、拓海とて清廉潔白ではない。けれどその中で最終的に落ち着くのは、あくまでも拓海が与える快楽に酔いしれる、涼介の表情や姿だけ。自分の姿はそこにないことが多く、あったとしても、抱く・抱かれる、といった観点からは、そのイメージは程遠かった。考えなくはなかったが、どこかリアリティに欠けていて、最近は全く考えなくなっていた。
 それ自体が甘かったのだ、と拓海は今まさに思い知らされている。
 想像よりも3割増に逞しい、均整の取れた涼介の体を拝まされ、自分との体格差を見せつけられても、こんな状況に陥るとは実は思わなかった。元々身長も骨格も違うことはわかっているから、体つきに関して変な拘りもコンプレックスも、今更そんなに感じはしない。
 しかしそれは、拓海が涼介を甘く見ていたという意味ではない。
 そうではなく、涼介の熱っぽい眼差しを受け、綺麗な肌を見て、………今まで触れたいだけだったある種幼い感情が、年上の彼を自らの腕に抱きたいという願望を取り込んで、大きく強くなってしまったのだ。
 拓海の方こそがそういう意味で欲情してしまい、ドキドキと胸を高鳴らせながら、ゴクリと生唾を飲み込んでいた。
 ──何をしたら、気持ちよくなってもらえるだろう。どうしたら、自分も一緒に気持ちよくなれるだろう? 経験が殆どなくて、元々淡泊な方だと思うから、そういうことには全然詳しくないし、よくわからない。…もしかして…、何か自分じゃわからないところで、幻滅…されたりしないだろうか………?
 少し、怖い。…けれど、それよりももっと、彼を想う気持ちの方が強い。
 ──涼介さんに、触れたい。もっと、近付きたい。
 その心と、………そして、体に。
 そうやって自分の欲に眩んでそのことばかりに夢中になってしまい、涼介が今の自分にどういう気持ちを抱いているかなど、拓海の頭になかった。
 興奮と緊張で僅かに震える指先を、そっと涼介へと伸ばし、拓海は拒まない彼の体をゆっくりと抱き寄せた。同じように抱き返してくれる涼介の腕に込められた力強さに、そして重なるぬくもりに、拓海はいたく感動して、嬉しさの余りギュッと抱き締め、そのまま涼介をベッドへと縫いつけた。
 何気なく涼介に態勢を変えられたけれど、でも心地よさゆえに、そのままの姿勢を保ったまま、押し寄せてくる興奮と感情の高ぶりに身を任せていたら──
 あれ、何かが違うような…? と頭の片隅でノンキに訝しんでいる間に、もう既に今現在のこの状況に陥ってしまっていたと、そういう次第である。
 
 
 
 涼介の優しく強引な腕──好きだからこそ、彼を拒むことなどできない。自分自身の思い描いていたのとは違うのに、それでもやっぱり拒めない。
 嫌だと思うどころか、気持ちいいし、嬉しいしで、だけど照れも羞恥も加わって、何だか自分的にはすんなり容認できない。
 いとも簡単に自分の思惑を翻させられた拓海は、悔し紛れに、必要以上に乱暴な言葉を放った。
「涼介さん…まるでエロ親父ですよ、それじゃあ」
 気障ったらしい涼介の台詞もだが、それよりも、先程抑えられなかった自分の甘ったるい声が耳に残っていて、その方が拓海にとっては百倍恥ずかしい。
 悔しいのだ──涼介に翻弄されていることが。
 そして何より、翻弄されて尚、こんなにも嬉しいと感じる自分が。
 ………手の平や、指で。唇で。舌で。
 体の全てを使って、優しく拓海の皮膚を辿る涼介の愛撫。体のあらゆる所に触れるそれは、拓海の何もかもを知り尽くしたい、という彼の思いを存分に物語っていた。言葉にしなくても、囁きが、吐息が、折り重なる熱い体が、…それを伝えてくる。
 拓海がピクリと僅かでも反応を返すと、再び同じ箇所を追ってくる。見つかったソコばかりを攻められ、追われて、追い上げられて、追い詰められて──堪えていたはずの声が、さっきは堪えきれずに漏れてしまった。
 ずるい、と拓海は思う。
 こうしたかったのは、自分だ。自分が、涼介にこんなふうにしたかった。
 自分は涼介みたいに言葉を上手く遣えない。喋るの自体が得意じゃないから、今までずっと言葉にならなくて………だから余計に、自分から涼介に触れたかった。そうしたら、言葉じゃなくて、気持ちを伝えられると思った。
 だから、ずるい、と臍を噛んだ。
 …その手段を拓海から奪ったことも。そのくせ、息が詰まるほど強く抱き締めて、甘い吐息と優しい腕で、嫌だと拓海に言わせないことも。
 悔しくて情けなくて………なのに気分は結構幸せで。
 どうかしてる、と思いながら、拓海は唇を噛み、依然として眦を赤く染めたままそっぽを向いていた。
 と、その時、涼介の低い声が耳元で響いた。
「…それじゃ、いけないのか?」
 いつもより低いバリトンは、今まで聞いたことのないような艶っぽさを秘めていた。
 ゾクリと、拓海の背筋に電流が走る。
「オレにだって、性欲くらいあるんだぜ…? 藤原とSEXしたいって、二人きりになるといつも思ってた。………藤原の声が聴きたい──それだけじゃなくて、感じてる時の顔も、熱い体も、全部…知りたいんだ」
「………涼介さん」
「…オレがこんなこと考えてるなんて、お前には想像もつかなかっただろうけど………」
 ──…幻滅したか?
 最後にそう締め括り、涼介は耳朶を唇でそっと食んだ。
 台詞は、まるで睦言だった。甘く熱く囁かれる、吐息に掠れたその声音に、快楽を感じて体が痺れた。
 けれど、それをまともに聞いて──拓海は少々ムカついてしまった。
 自分に対する侮辱だ、と受け止めたのだ。
 それはまるで、涼介が本気で言っているようだったから。
 ──幻滅? 誰が誰に、何に対して? そんなことくらいで、幻滅するわけない。………好きなのに。ずうっと、好きだったのに。
 オレの想いって、そんなに軽く見えますか?
「…アンタは…オレのこと、一体何だと思ってんですか? あんまり見くびらないで下さい」
 拓海の剣呑な台詞と視線に、顔を上げた涼介は少し驚いた表情をしていた。
 けれど、構うものか、とそのままの勢いで、涼介に向かって言い続けた。
「想像なんか、簡単につきます。当然でしょ? アンタは高橋涼介って男で、オレは藤原拓海で! アンタだけじゃない、オレだって男なんだから、…し…したいと思ってたしっ、アンタを想って一人でヌいたことだって………っっ!」
 いくらでもある、とまでは、びっくり眼の涼介と視線が絡んだ今はとてもじゃないが明言できず、拓海は一気にカアッと頭に血を上らせて、心の中でじたばたした。
「もう、言わせないで下さいよ、こんなこと!」
 恥ずかしさにギュッと目を瞑り、地団駄踏んだところに、涼介の笑いを含んだ声が間近に降ってくる。
「………オレが言わせたわけじゃないと思うけど?」
「それはアンタが…ッ」
 あんなコト言うからだろ──と言おうとしたが、涼介にきつく抱き竦められて、途切れた。
 だが、こうも力任せに抱かれると、関節が何カ所か軋みを上げてしまい。
「ちょっと、涼介さんてば、痛いって………ッんぅ…」
 文句を言おうと拓海が彼を仰ぎ見たところ、強引に顎を捉えられ、唇を塞がれた。
 ………何となくごまかされているようで、抵抗したいのは山々だったが、やっぱりどうしてもできなくて。
 ちくしょう、と思いつつも執拗に追ってくる舌に応え、喉元を伝う唾液の感覚にさえ快楽を感じていた。
 …キスだけではなく。
 首筋や肩を撫で回しながら少しずつ下方に下りていく涼介の手は、時折拓海に悪戯を仕掛けてくる。
 やや硬くなった乳首を指の腹でくすぐっては、押し潰し、摘んだりする。その度に、拓海の体はピクリと震え、絡まる舌が僅かに戦慄いた。
「りょ…すけさん………」
 ようやっと唇が離れ、呼吸を整えながら拓海が呼び掛けると、再び柔らかく唇を啄まれた。
 触れた時と同じようにそっと離れ、嬉しそうに笑ってくれる。
「………よかった。同じで」
「え…?」
 きょとんとしてしまった拓海に、涼介は自嘲気味に微笑んだ。
「ごめんな、藤原の気持ちを疑ってたわけじゃないんだ。でも………結果的にそういうことになるのかな。…あんなこと、本当は言うつもりなかった………」
 ──言ってる意味が、よくわかんないんだけど。
 拓海の戸惑いはアカラサマに表に出ていたのだろう、涼介は拓海の顔を見るなり軽く噴き出し、苦笑してみせた。
「つまりさ、どうもオレは、憧れや尊敬や妬み嫉みの対象であって、友人や恋人にはなりにくい…みたいなんだ。………だから、もしかしたら藤原もそうで…オレの気持ちとはズレているのかも──と、正直少し不安だったから」
「不安………? 涼介さんが?」
「──でも、そうじゃないって、藤原がさっきはっきりと言ってくれたし」
 そうして、拓海の頬に手をそうっと宛い、涼介は首を傾けて、覗き込んできた。
「…なあ、藤原。オレのこと、好きだろ?」
 にっこりと、最上級の微笑みを、けれど照れくさそうに向けてくる。
 拓海はドアップで綺麗な笑顔を見せられ、ドキンと胸が高鳴った。
 ──また、やられた。
 そう思った。
 いつもいつも、何だかんだで涼介に先手を取られる。自分がそれに甘んじてばかりいるのも癪だ、と思っていればいたで、こうして不意に、彼はにっこり笑って言葉をねだったりして甘えてくる。──この、タイミングのよさ。長男のクセに甘え上手だなんて、詐欺だと拓海は心底思う。いつもは自信満々なのに、稀に不安げな様子を見せるのだって、演技じゃないだけに始末に負えない。
 …そういえば、この態勢からしてそうだ。
 少し甘えて見せてはいるが、それでも彼は自分をエサと見なす獣だ。拓海がこうするはずだったのに、いつの間にやら自分の方が四肢を抑えられている。そして、拓海の体を甘噛みし、唾液を啜り、舌なめずりをしつつ──拓海が罠に陥落するのを待っているのだ。
 甘い罠──だが、涼介のことだ。わざと逃げ道を作ってくれているだろう。なのに、自分に逃げる気が更々ないのだから、お手上げだ。
 涼介が自分を抱きたいと思っているなら、それに身を任せてみたい──などと思っちゃったりしている自分は、もう頭のてっぺんから爪の先まで腐ってるに違いない。
 ──だって男なんか相手にしてもつまんねえだろーに、それくらい好きなんだって言われてるようなものじゃんか。
 拓海は、内心で深々と溜息をついた。…大仰な割には重苦しくはなく、甘ったるい吐息である。
 そう考える拓海こそ、涼介を抱きたいと思い、抱かれてもいいとまで思う自分自身の感情を、あまり理解してはいない。
 それでも………拓海の気持ちがわからなくて不安だったと涼介に言われ。思いっきり絆されている感はあった。
 微笑みを湛えて返事を待つ涼介の唇に、拓海は触れるだけのキスをする。
 そして、赤く染まった顔を見られないように彼の背中へときつく腕を回した。
「………です」
 ずるい涼介への意趣返しに、拓海は『好き』なんて言葉は言わなかった。
 ──多分、涼介さんよりオレの方が、好きですよ。
 とは、心の中で付け足して。
 
 
 
 
 
 
      今回は、しょうがないから、折れてあげます。
      でも、次の時には、オレのお願い、きいてもらえますか?
 
      同じ気持ちで、同じ『好き』って──
      それってつまり、そういうことですよね?
 
      言わなかったけど、多分涼介さんは
      オレの気持ち、まだ誤解してる。
      吹けば飛ぶようなものだと、思ってるでしょう?
 
      違うって言っても、なかなか言葉じゃ伝わらなくて。
      オレの言い方じゃ、涼介さんにはわからなくて。
 
      だから。
      次の時には、オレのお願い、きいてもらえますか?



終     

   

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